伝統について考える

歌舞伎・文楽に関係あるような無いような事柄のなかにも
どこか「日本のこころ・かぶきのこころ」に係ることを
思うがまま雑感風に綴るコーナーです。

題名

仇討ち 返り討物の論理〜「絵本合法衢」
仇討ち物の論理〜「伊賀越道中双六・岡崎
女形論 女形の哀しみ〜歌舞伎の女形の「宿命論」
歌舞伎の女形を考える為の三章
シェークスピア・喜劇「十二夜」を記号論で読む
演劇におけるジェンダー〜オムニバス形式による論考
「をむなもしてみんとて」歌舞伎の女形を考えるヒント
破滅のパラダイム〜歌舞伎の女形の「実のなさ」について
二代目扇雀の美しさ〜歌舞伎の女形の写実に関する随想
美しいものは見た目も美しくなければならぬのか〜四代目中村雀右衛門小論
現代演劇における女装俳優
    現代演劇において女形が象徴するもの
キャスリーン・フェリアの声〜女形の声を考えるヒント
演技論 台詞はアクションである〜歌舞伎と連歌
兼ねることには「意味」がある〜変化・兼ねる・早替わり
演劇論 沈黙の言語
折口信夫 大阪人の野性味
音楽 音楽と言葉〜オムニバス形式による論考
イメージとの格闘
音楽的な歌舞伎の見方 第1部
松井須磨子が歌う「カチューシャの唄」〜流行歌の誕生
    様式とは・フォルムとは〜ショパン・コンクール2021
音遣い 音遣いを考える
語り物芸能の系譜 物語る者と語られる者〜「ふるあめりかに袖はぬらさじ」
    誣い物語りの真実
     
  かぶき的心情の研究 その1:憤(いきどお)る心
    その2:「この清い私を見てくれ」
    その3:ものの見方について
     
  歌舞伎の型を考える 「型」の周辺〜オムニバス形式による論考
古典劇における「趣向」と「型」〜オムニバス形式による論考
主題と変奏〜浄瑠璃・歌舞伎におけるプロットとは
    「とにかくやってみることだ」〜歌舞伎の型を考えるヒント
歌舞伎という演劇 文学のふるさと・演劇のふるさと
立体性のない演劇
試論:「歌舞伎の舞台はなぜ平面的なのか」
女形〜歌舞伎におけるバロック・その1
見得と隈取り〜歌舞伎におけるバロック・その2
若手を観る楽しみ
    今の世に在って言ってはならないことは
過去の架空の出来事に仕立ててしまえば良い
GHQ報告書〜戦後歌舞伎の出発点
きまることは嫌なこと
歌舞伎役者の稽古
芸道における体罰・いじめ
中川右介著:「歌舞伎 家と血と藝」について
歌舞伎とオペラ 歌舞伎とオペラ〜新しい歌舞伎史観のためのオムニバス的考察
雑談:オペラと歌舞伎の心情的近似について
    意欲的な日本語オペラ創造の試み〜歌劇「紫苑物語」世界初演
    雑談:オペラと歌舞伎の理念的な近似について
    歌舞伎ファンへのお勧めオペラ:メットの「蝶々夫人」
    歌舞伎ファンへのお勧めオペラ:ロイヤル・オペラの「トゥーランドット」
歌舞伎の伝統 時代との親和性と乖離性
ポスト・モダンとしての歌舞伎
歌舞伎の生(なま)感覚
歌舞伎の現代化(?)演出
    民俗芸能としての「鮓屋」〜黒森歌舞伎訪問記
古い映像を見ることの楽しみ
    現代的な歌舞伎の見方
伝統を受け渡す者・伝統を繋ぎ直す者
過去の舞台映像を見ることの意義
国立劇場開場50周年
これからの歌舞伎を考えるヒント〜木ノ下歌舞伎の「東海道四谷怪談」
歌舞伎は危機的状況なのか〜伝承芸能としての歌舞伎
平成歌舞伎の31年吉之助流・平成歌舞伎回顧
    昨今の新作歌舞伎の動きについて考える
    コロナ以後の生活〜令和2年(2020)の「歌舞伎素人講釈」
    コロナ以後の歌舞伎〜「歌舞伎は今必要とされているのか?」
    芸能の始原へ〜檜枝岐歌舞伎訪問記
    エリザベートの「うっせいわ」
歌舞伎の「世界」 「世界」とは何か
時代の循環・時代の連関〜歴史の同時代性を考える
歌舞伎の照明 舞台の明るさ・舞台の暗さ〜歌舞伎の照明を考える
パリ・オペラ座の「勧進帳」
歌舞伎におけるお金 金がなければコレなんのいの
歌舞伎の仁(ニン) 歌舞伎の仁(ニン)を考える
空想の劇場 空想の劇場
「批評」について考える
「批評」について考える・その2
役者の全盛期について〜歌舞伎の古い映像を見ることの意味
    魂(たま)を呼ぶ声
クラシック音楽 バーンスタインの陽と陰
賢治の聴いたベートーヴェン〜パスターナックの「運命」交響曲
歌舞伎「寺子屋」から生まれたオペラふたつ
台詞術を考える 黙阿弥の「七五調」の科白術
左団次劇の様式〜二代目左団次の芸
アジタートなリズム〜歌舞伎の台詞のリズムを考える
「息を詰む」ということ〜いわゆる「歌舞伎らしさ」を打破する為のヒント
七五感覚と二拍子感覚〜いわゆる「歌舞伎らしさ」を打破するためのヒント・2
七五調を写実にしゃべるためのヒント〜四代目松緑初役の髪結新三
    対談「日本の伝統芸とコトバのリズム」映像
獅子物舞踊 獅子物舞踊のはじまり
芝居のバランス 芝居のバランスを考える〜オムニバス形式による論考
音楽・演劇における基調のテンポ
新歌舞伎 左団次劇の様式〜二代目左団次の芸
新歌舞伎の行方
随想 町人階級と浄瑠璃
絵本「夢の江戸歌舞伎」
絶対的なるもの〜吉田秀和・最後の言葉
「マネジメントの父」が愛した水墨画〜ピーター・ドラッカー・コレクション
西欧芸術と江戸芸術 19世紀の西欧芸術と江戸芸術
死への憧れ〜ボヘミアンの生活
1875年・明治6年・パリ
歌舞伎の水彩画のイメージ
ヴェネチア〜人工的な自
廃墟への思い
大黒屋光太夫 大黒屋光太夫のこと〜江戸期におけるロシア漂流民
    居におけるドラマティック〜三谷歌舞伎の大黒屋光太夫
     
伝承について 「伝承」について考える
民俗芸能としての「鮓屋」
吉之助が芸談「芸十夜」を読む・前編
吉之助が芸談「芸十夜」を読む・後編
近松門左衛門 近松心中論
近松門左衛門の時代物と世話物
近松世話物論〜歌舞伎におけるヴェリズモ
忠臣蔵論 「忠臣蔵」は御霊信仰で読めるか
「忠臣蔵」のもうひとつの見方
伝統・文化 如何にして日本の伝統・文化を守るか
雑談:伝統芸能の動的な見方について
    上方芸の伝承と四代目藤十郎の芸
バロック論 「かぶき的心情」とバロック
ふたつの魂
日本における「バロック的なるもの」
ジャポニズムとバロック
能楽におけるバロック
歌舞伎の舞台構造におけるバロック
歌劇におけるバロック
バロックに関する対話
古典性とバロック性
舞踊 舞踊の振りの本質
舞踊の身体学〜海老蔵の「鏡獅子」
    続・舞踊の身体学〜八代目染五郎と五代目団子の「三社祭」
芝居と踊りと〜日本舞踊を考えるヒント
続・芝居と踊りと〜日本舞踊を考えるヒント・2
現世の芸能〜歌舞伎の表現を考えるヒン
    いつも変わらぬ美しさ〜竹原はんの地唄舞「雪」について
文楽 クローデルの「文楽」
生きている人形〜谷崎潤一郎:「蓼喰う虫」論
鬼が棲むか蛇が棲むか〜谷崎潤一郎:「卍」論
間について 試論:間について考える
三島由紀夫 「三島由紀夫の歌舞伎観」補遺ノート
三島演劇の言葉の過剰性について
絶望やニヒリズムから芸術は決して生まれないのです
     
源義経 九郎判官義経の話〜民俗芸能と義経
黙阿弥 村上春樹・または黙阿弥的世界
村上春樹・または黙阿弥的世界・2
村上春樹・または黙阿弥的世界・3
村上春樹・または黙阿弥的世界・4
和事 和事芸の起源
和事芸の多面性
上方和事の行方
時代と世話を考える 「六段目」における時代と世話
「 鮓屋」における他者
「熊谷陣屋」における時代の表現
「実盛物語」における反復の構造
「寺子屋」における並列構造
「道明寺」における時代の表現
「大物浦」における業(ごう)