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芝居のバランスを考える
         〜オムニバス形式による論考

*本稿は「歌舞伎の雑談」コーナーに連載されたものをまとめたものです。


1)音楽の足取り

本稿は「芝居のバランス」を考えるのが目的ですが、最初の方は音楽の話ばかりですから、ご興味のない方は斜め読みでお流しください。吉之助の場合はクラシック音楽を長年聴いている関連で、芝居のバランスを音楽で考えることが必然があるのです。まあ、こういう聴き方もあるものと思っていただければ十分かと思います。

音楽の場合は、例えばオーケストラ曲ならば指揮者がその全体のバランスを司ります。芝居の場合はそういうわけにはいきません。だから、同じプロダクションでも・日ごとの出来 不出来の差は、芝居の方がずっと大きいと思います。何が起こるか分からないところが芝居の面白いところではあります。みなさんは芝居のバランスなどということをあまり考えてみたことはないかも知れませんが、本稿ではバランスのことをまず音楽で考えてみたいと思います。

吉之助の初めて聞いて感激したクラシック音楽はベートーヴェンの交響曲第5番「運命」で、ミュンシュ指揮ボストン響の演奏でした。これは 造形の引き締まった素晴らしい演奏です。私が中学生のことでしたから、もちろんLPレコードの時代です。この演奏は第1楽章の繰り返しをしないのです。現代ではこの繰り返しをするのが普通ですが、昔はしないのが結構ありました。吉之助はこれで「運命」のフォルムを刷り込まれたので、こちらの方が構造引き締まって聴こえるという感じもしますけどね。ワルター指揮コロンビア響も同様に繰り返しなしです。それと第4楽章繰り返しをする指揮者としない指揮者は、今でも半々くらいですかね。

第1楽章の繰り返しの件ですが、ワルターは「繰り返すと最初からやりなおしているみたいで嫌なんだ」と正直なことを言ってます。ワルターの冒頭・運命の主題ですが、4拍目を通常の倍に伸ばしてダダダダーーーンという感じです。(ミュンシュはそうではありませんが。)こういう伸ばし方は昔のドイツの指揮者には多かったのです。このワルターのやり方であると、冒頭部は完全に独立して聴こえて・第1主題はその後からになるという解釈であって、繰り返しができないのはこれだと当然かなとも思います 。

第4楽章繰り返しは、人によっては曲がフィナーレに至るのを少しでも引き延ばそうとしているように感じるようですが、確かにそういう要素がこの曲にないわけではないようで・あるいはベートーヴェンの繰り返しの意図もそこにあったかも知れません。

テンポとフレージングによって曲の印象は全然変わります。特に合わせ物、協奏曲・オペラなどはソリストの個性が強く出るのでもっと印象に差が出ます。

交響曲の場合であると、4つの楽章が緊密に関係しあってひとつの印象を作り上げるわけで・音楽はまさにブロックの積み上げ・建築のようなものであると感じます。ベートーヴェンの交響曲 第5番はまさにその典型です。さらに第1楽章の内部もブロックの積み上げで出来ています。西欧では音楽論を論理学の一部として研究していることもあるほどで、音楽はある部分は感性で聞くというよりは・論理の積み重ね、理性で聞くものだと言えます。

だから吉之助が思うには、クラシック音楽は最初のタクトを振り下ろした瞬間に曲の最後までのテンポ・フレージングのあるべき形が決まるというイメージです。つまり、リズムもフレージングもすべてある解釈に直結しているというイメージです。こういう演奏はかつきりと決まって・規格正しいという印象がします。(もちろんそう言うフォルムへの強い締め付けをせずにゆったりと歌わせる行き方もあって、それもまたその良さがあります。どちらも魅力的ですね。)

テンポ設計がうまくない場合は、第2楽章を聞きながら・もう少しここを早く(遅く)振った方がいいのにというような印象になったり(それは第1楽章とのバランスでそう感じられるのです)、あるいは 第5番の場合で言えば・第3楽章がえらく長く感じられて第4楽章への移行がうまく感じられないことがあったりすることがあります。

そこでですが、これを歌舞伎にうまく絡めなくてはならないのですが、九代目団十郎の言葉がありますね。

『一尺の寸法を十に割って、一寸つづ十に踊れば一尺になる。それは極まっている定間のことだが、これを八寸まで早くトントンと踊り込んで、残った二寸をゆっくり踊って、一尺に踊り課せばそのところに面白さが出るのだ』(六代目尾上菊五郎:「芸」より)

あるいは鶴沢道八の言葉です。

義太夫の三味線で足取が重要なことはお話しするまでもないことです。世話時代の弾き分け、文章のすがたを弾き表すのは第一に足取です。これは一寸口ではうまくいひ表せませんが、例へば一つの「フシ」の長さがかりに一尺あるとしますと、その一尺のものを等分に割らずあるところは一寸五分、あるところは三寸二分、また次には五寸、その次は四分……といふ風に辿つて、結局は一尺のものに納めるのが足取で、その割り方、辿り方によつてその場その場のすがたが表れて来るのです。一尺のものを一寸づゝ十に等分する場合もないことはありませんが、まづ少く、何時でも等分ではそれは足取といへません。ですから同じ一つの「フシ」でも足取をつけ変へると全く別のものになります。』(鴻池幸武:「道八芸談」より)

ということは、上記は「間」の芸談として受け取るのが普通なのですが、歌舞伎の芸・邦楽においても、テンポ・フレージングのバランスの意識は間違いなくあるということでもあるわけです。道八はこれを「足取り」と言ってますが、まさにこれはクラシック音楽のテンポ設計・フレージング設計の感覚となんら変わることはないと思います。クラシック音楽にも「足取り」は間違いなくあります。ブルックナーの交響曲など足取りが命であって、それがなければどうにもならぬものです。

だから、邦楽はリズムがない・調性がない・西洋音楽とは全然成り立ちが違うとも言いますが・音楽ということには変わりないのでして、そういう似たところを探し出していけば・意外とアプローチは簡単なんじゃないかと思いますね。

(H17・2・14)


2)音楽のバランス

「芝居のバランスについて考える・その1」での鶴沢道八の言葉が強く印象に残ります。

『例へば一つの「フシ」の長さがかりに一尺あるとしますと、その一尺のものを等分に割らずあるところは一寸五分、あるところは三寸二分、また次には五寸、その次は四分……といふ風に辿つて、結局は一尺のものに納めるのが足取で、その割り方、辿り方によつてその場その場のすがたが表れて来るのです。』

例えば交響曲1曲を一尺の長さとします。これを四つの楽章で・四つに割ります。その割り方・たどり方でその場その場の姿が現れるわけです。(注:ここでの「一尺」はひとかたまりの 曲の単位というイメージでお考えください。)

「割る時の比率」は物理的時間だけでは計れません。「心理的時間」 ・いわば曲想が導き出す音楽的密度も加味した上で、一尺を四つに割るイメージを考えたいわけです。だとしますと「運命」の場合だと、第1楽章の繰り返しをするかしないか・第4楽章の繰り返しをするかしないという版(ヴァージョン)が変われば、当然各楽章の比重も変化することになりましょうか。

交響曲の場合だと両端楽章の比重はどうしても重くなり勝ちですが、中間楽章の比重の取り方で全体の印象は大きく変わります。「運命」交響曲のように非常に密度 が高く緊張感のある第1楽章の後だと、第2楽章を同じ感じでは続けられません。安らぎというと何だが、第1楽章の熱さを冷ますところが欲しいと思います。第3楽章は第4楽章の爆発的な興奮にフィナーレに持っていくために・押さえ気味にドライブせねばなりませんが・かと言って重くなりすぎると 第4楽章にうまくつながらないわけです。そうするとおのずと自分のなかでの各楽章の比重のイメージが決まってくるのです。申し上げておきますと、もし上記と同じ考え方(コンセプト)で曲の比重を決めたとしても、それは個人の感じ方・解釈で微妙に配分は違ってくるものです。だから「比率の定数」があるわけではないのです が、しかし、「4つの楽章で一尺に収める」というイメージは必ずあるのです。

これが曲が違って・同じベートーヴェンの交響曲でも第7番なら・四つの楽章の比率はまた違ってきます。この曲の第2楽章アレグレットは非常に素晴らしいものです。ここを濃厚に生かすか・サラリと淡く生かすかは、指揮者の個性が出るところです。いずれにせよこの第2楽章はリズムの刻みが明確な第1楽章につづく楽章として格別の意味があります。第3楽章スケルツォは比較的比重は軽めになるかも知れませんが、ここのリズム感が生きてこないと「舞踏への聖化」とも言われる第4楽章の重いリズムの饗宴が映えてこないのです。それでも結果としては「4つの楽章 を一尺で収める」感覚になります。

各楽章のあるべきテンポはそうした指揮者の解釈のなかで必然的に決まってくるものです。曲の版が違えば・その解釈で当然「一尺」の長さ自体が違ってくるわけですから、その配分は変わります。また指揮者によってその「一尺」の感覚が違ってくるのも、当然かと思います。また、その人に心地よいと思えるテンポは心臓の鼓動とか呼吸数とか気分とか微妙なものに左右されますので、みんなが同じテンポであることの方がおかしいわけです。

しかし、その人のなかには「彼だけの・正しいテンポ」のイメージは間違いなくあって、指揮棒を一旦振り下ろした時に曲のテンポ設計も決まる。それで「一尺」の長さも決まる。あとは指揮者は曲を一尺に収めるべく足取りを進める、そういうものかと思います。各楽章のなかの構成も同様なイメージで割り振りができる。そのなかでテンポもフレージングも、その指揮者のなかで決まってくるというものかと思います。 テンポもイン・テンボが必ずしもいいわけでもありません。曲想がテンポの変更を即す場合もあります。だから、指揮者が違えばテンポも違えばフレージングも全然変わるわけです。

ただし、これは演奏者は「どんなテンポ・歌わせ方をしてもいい」ということでは絶対にありません。結果として・そこに「4つの楽章で一尺」のフォルムが見えてこなければなりません。そこに「これがベートーヴェンだ」という足取りが見えてこなけれならないのです。その足取りを見抜くのが演奏者の仕事です。そのような構成が聴き手の眼前にまざまざと見えてこないのならばクラシック音楽ではないのですね。

もうひとつ、「テンポは演奏者が自分判断で自由に決めていい」ということでは絶対にありません。それは作品に無心に対した時の自分のなかの「内的必然」によって決まるのです。自分のなかのテンポを決めるのは作品の方であるという謙虚な姿勢こそが芸術家の姿勢であろう(これについては別稿「批評について考える・その2」をご参照ください)と思いますが、これはやはり曲全体のバランス感覚で決まるものだろうと思います。

音楽批評で困るのは、客観的に計れるものがそれしかないせいで・テンポが解釈の指標みたいに書かれることが少なくないことです。例えば「彼のテンポは正確に守られて厳格である」とか「彼のテンポは柔軟でロマンティックな感情を呼び起こす」というような書き方になってしまいがちです。テンポは音楽の密度と密接に結びついている重要な要素ですから、こうした印象批評的な書き方になることも致し方ないところがあります。しかし、音楽のバランスを考えないで相対的なテンポの速い・遅いを議論してもあまり意味がないことは知っておく必要があります。

(H17・2・16)


3)歌舞伎のバロック構造

先日、生まれて初めて歌舞伎を見に行ったという方の話を聞きました。本年1月歌舞伎座夜の部だそうです。「どうだった?」と聞くと、どうやら二番目の「土蜘」でメゲて・三番目は見ずに帰ったらしい。しかし、一番目の「鳴神」は面白かったそうです。その彼の感想ですが、「ディズニーランドだとミッキーを出してこれでこういう風に楽しんでくださいという感じで・お仕着せなんだけど、歌舞伎というのは素材を並べてどうぞご自由にという感じだなあ」と言うのです 。彼は恐らく、ひとつのパッケージとしてお楽しみの仕方をご提供する芝居でなくて、素材が並列的にならんで・いろんなお楽しみが組み合わさっているバロック的なイメージを持ったのだろうと思います。これは歌舞伎のイメージとしては「的確」と言うべきで して、初めての歌舞伎でそれが分かるとは「なかなかセンスがある」と吉之助は褒めてあげました。

要するに、歌舞伎はひとつの主題(テーマ)を持って・それにそって筋(ストーリー)を構築していく・フィナーレに向けて一貫した筋を構築していくという近代劇の構造をとっていないわけです。各役者の持ち場・見せ所があって・その複合体として全体の筋が浮かび上がるという構造を持つわけです。それが歌舞伎です 。

これは西欧でも昔の芝居(イプセン以前)はそうでした。シェークスピアを見れば、例えば「ハムレット」でのオフィーリアの狂乱の場・あるいは墓堀りの場などは全体の筋から見ると脇筋なのですが、こういう場面を役者が延々引き伸ばして演じるから面白いわけです。筋が一貫していないことも多いようです。 吉之助が初めて「オセロ」を見た時、途中ではゾクゾクするほど悪魔的魅力のある悪役であるイヤーゴが、最後のシーンでは存在感がまったくな くなってしまうのが不思議でなりませんでした。しかし、昔の芝居はあんなもんなのです。歌舞伎でも魅力的な登場人物が途中でいつのまにやらいなくなるのがありますね。

ところで話を「熊谷陣屋」に飛ばしますが、熊谷の物語と首実検の間・すなわち青葉の笛と敦盛の幽霊の件ですが、最初に「陣屋」を見た時はこれは何のための場面なのか・まさか直実の着替えのための時間稼ぎじゃなかろうなと 吉之助はホントに思いました。九代目型を 見ていると思いますが、もし仮に九代目が首実検の前後で直実の衣装を変えずに通すというコンセプトを設定していれば・九代目は青葉の笛の場をカットしたかも知れないと いう気さえしています。直実ひとりの無常にひたる九代目型から見るとあの場は主題からはずれるわけです。

ちなみに岡本綺堂がこの青葉の笛の場面が冗長で作者の腕が凡庸であると批判をしています。綺堂が九代目型の舞台を見て・文楽の舞台 を見ないであの文を書いたのは間違いないようです。しかし、九代目型だけで「陣屋」を論じるならばやはり青葉の笛の件はそう言われても仕方ないところがあります。九代目型の「陣屋」は 脚本をイジり・入れ替えたりした弊害で全体の「一段一尺」のバランスが狂っているところがあるのです。その不備を感じさせないように・役者の方でバランスを調整して「 一段一尺」に収めてうまく演じているわけです。役者も苦労しているわけです。

しかし、原典である丸本を見れば・「陣屋」はやはりそれぞれの場面が独立していて・それぞれの役に見せ場があって、そしてそれが組み合わさって・複合的に大きなひとつの場を形成しているわけです。もちろん青葉の笛の件にも確かな意味があるのです。これが「陣屋」の本来の構造です。ちゃんと全体でバランス良く「一段一尺」になっているわけです。

(H17・2・19)


4)「熊谷陣屋」の場合

芝居には音楽と違って指揮者はいませんし・全体のバランスを管理するという人がいませんから・その判断が難しいのですが、芝居を見ていて「中盤がダレるなあ・・」とか「クライマックスに持っていく 芝居が長いんじゃないの」と感じるようなことはあるでしょう。 仮にある役者が自分の持ち場を延々と引っ張ったとすると、そのために全体が締まらなくなることもあります。そういう場合は全体が一尺にちゃんと収まらなくなるからそう感じるのです。だから芝居のバランスというものは確かにあるのです。

芝居のバランスは脚本だけではなく・配役によっても変化します。「熊谷陣屋」の場合で言えば、相模を歌右衛門が演じるならば・たとえ歌右衛門が控えめに演じようが相模のウェイトはどうしても重くなります。歌右衛門が演じれば相模が小次郎の首を抱えて嘆くクドキの場が重くなるのは当然です。これはこの場が時間的に長くなるということもあるかも知れませんが、心理的比重が重くなるということで もあります。これにより「一段一尺」のウェイト配分が変化することは言うまでもありません。相模が他の役者なら・それはまたそれなりの重さになるでしょう。こういうことは 実際に配役して舞台で演られてみないとそのバランスが良いかどうか分からないかも知れません。

「陣屋」の九代目型というのは「熊谷ひとり」にスポットを当てて・その無常感を表現しようというものです。そのために九代目は特に幕切れの段取りを大きく改変しました。それにより「陣屋」の一段一尺のウェイトは幕切れが格段に重いものになっています。九代目型の場合は、すべてが熊谷の花道引っ込みに向けて段取りされているといっても過言ではありません。「そもそも熊谷の山は物語でも何でもなく、じつは出と引っ込みにあるのだ。直実は仏心に始まって仏心に終る。・・・要するに『陣屋』は花道の芝居である」と杉贋阿弥も言っています。

こういう九代目の芝居の作り方は、ひとつの主題(テーマ)を持って・それにそって筋(ストーリー)を構築していく・フィナーレに向けて一貫した筋を構築していくという近代劇に割と近いコンセプトなのです。つまり、「型」とは言っているけれど・「演出」に近いと思ったほうがよろしい のです。

九代目の工夫は、劇途中の部分である「十六年も一昔。ア夢であったなアとほろりとこぼす涙の露。柊(ひいらぎ)に置く初雪の日影に融ける風情なり」を最後に持って行って、これを幕外の花道引っ込みに使ったことです。本来ならば、「すみ所さへ定めなき有為転変の世の中やと、互ひに見合す顔と顔、さらば、さらば、おさらばの声も涙にかきくもり別れて、こそは出でて行く」が「陣屋」の最後なのです。(「熊谷陣屋・床本」のコーナーをご覧下さい。)

まず音楽面から言えば、三味線のシャンの音で終結し・引っ張りの形で幕を閉めるべき「陣屋」の場を、花道の憂い三重により音楽的に未完にしてしまったことです。演劇面から言えば、全体が大きく「平家物語の世界」へ収攬されていくはずのものが、実録物っぽい直実個人の悲劇に置き換えられています。極論すれば、「陣屋」の芝居 が直実の花道引っ込みの為にあると言ってもいい構造に 変わっています。さらに花道引っ込みは役者の気分に応じて引っ張れるだけ引っ張ってもいいようになっています。(別稿「熊谷の引っ込みの意味」をご参照ください。)

このようなコンセプトに基づいて「陣屋」のバランスが根本的に作り変えられていきます。九代目が端場である「熊谷桜」の場をカットしたわけではありませんが、現在ではこの場が上演されることがほとんどなくなってしまいました。それは上演時間の問題もありますが、これを出すと主人公の登場が遅くなって効果的でないという理由 もあるようです。確かに九代目型のコンセプトからすればこの方がドラマの密度が高くなるのです。当然、「陣屋」の登場人物の比重も変化してきます。敦盛を受け取る弥陀六は「陣屋」を平家物語の世界へ収攬させる大事な役割を持つわけですが、九代目型ではその印象が軽くなってしまう印象は否めません。

このように「一段一尺」のイメージで「陣屋」を計った場合に(従来型である)芝翫型と・九代目型ではバランスが根本的に変わるということがご理解いただけましょう。芝翫型と九代目型 では、「型」として見た場合にほとんど隔絶している・まったくコンセプトが異なるのです。これだけコンセプトが異なれば、違う作品と考えていいくらいのものです。つまり版(ヴァージョン)が違うわけです。版を選択することが演技コンセプトを選択することになるわけです。

(H17・2・22)


5)「盛綱陣屋」の場合

晩年の三島由紀夫が武智鉄二との対談でこんなことを言ってます。

『僕は前から思っていますが、武智さん演出で見たい歌舞伎がひとつあるんです。それは「盛綱陣屋」なんですよ。というのは「盛綱陣屋」くらい僕はつまらない芝居はないんですよ。あれは団子(だんご)です。団子という五つのエピソードがつながって、みんな同じ大きさで、串で刺してあるんですよ、今やっている(歌舞伎の)「盛綱陣屋」は。篝火の件、微妙の件、盛綱の件・・・みんな同じ重さで、クライマックスもなければ何もないんですよ。よくあんな退屈なものをものを見てると思う。だけど原作を読んでみると、決してそんなことはない。(歌舞伎では首実検の場面を)27分やった人がいるんですってね、なんてバカでしょう。』(三島由紀夫・武智鉄二:「現代歌舞伎への絶縁状」・昭和45年2月)

文楽では首実検の場面はあっと言う間に終ってしまいますが、歌舞伎では首実検の場面が最大限に引き延ばされてい ます。ここだけで一番大きい団子ひとつ分になっているのです。歌舞伎の盛綱はもちろん首を見てそれが偽首であることをすぐに見破るのですが、「弟・高綱は一体何を画策しているのか」という風に考え込む思い入れあって・さらに揚幕の方を見やり「さては死んだことにして身を隠し北条殿を狙おうとの魂胆よな・小癪な奴め 」というような感じでニヤリと笑い、次に傍らで腹に刀を突きたてて伏している小四郎を今更ながら見て驚き、「そうすると小四郎が切腹したは・・」とまた考え込み、それでハッと気が付いて・やっとこさ偽首を高綱の首だと言って北条殿を欺く決意を固めるという段取りになりましょうか。こ ういうのは「心理的描写」というとはちょっと違うようです。盛綱の思考過程を分解して段階的 かつ説明的に延々と首実検を演じているわけです。そこが表情と肚芸での見せる役者の仕所ということになっています。

そんなものパッと演っちゃいえばよろしい・長々とやるなんて何てバカでしょうと三島が言うのもそれはそれで一理あるのですが、しかし、逆に言えば (どこからどこまでの27分かもよく分かりませんが)こういう場面を27分も掛ける役者がいたというのは大したものです。一体どんなことをやって27分持たせたのかは興味あるところです。

盛綱の行動はかぶき的心情での反応でして、小四郎の心情にハッと気付いて・ううむ、それならば・・・ と盛綱は勢いでいかないと、これが実際の出来事ならとても人間はああ行動できないかも知れません。しかし、歌舞伎はその・恐らく実際場面ならせいぜい十秒間のことを、十数分に引き伸ばしていると言えます。この場面は映画で言えば静止画像のモノローグとでも考えればよろしいのかな、というのが一応歌舞伎を弁護してみた時の考えでしょう。

話が変わるようですが、昭和31年(1956)に三島由紀夫の「鹿鳴館」が文学座で初演されましたが・その舞台稽古の時、影山朝子が生き別れしていた息子久雄と再会するシーンで朝子の「私は知っていますよ。あなたの左のお膝にある小さな 細い傷跡も・・」という台詞に久雄役の俳優が何の反応もしなかったので、この部分の演技をなんとかしようと言う話になったのだそうです。この時にスタッフのひとりが「あそこは先代(初代)鴈治郎なら大変だったろう」と言ってその真似をしてみせたそうです。どうしたかと言うと、朝子の言葉にハッとして左の膝の傷跡を押さえ、次にその時の痛みを思い出したかのように顔をゆがめ、さらに「この傷のことを知っているあなたはやっぱり本当のお母さんなんだ・・・」という思い入れで朝子を苦しそうに見つめ、その表情が次第にウルウルとしてきて・感極まって久雄は地面に突っ伏し・地面をのたうち回る、それでみんなで大笑いだったと三島が書いています。

これでお分かりの通り、新劇であれば心理的な内面的な部分だとして表情の変化くらいで済ませて大げさな動きをしたがらないところを、歌舞伎はその心理を論理段階風に分解して・説明的に 順序立てて長々と見せてくれるわけです。悪い言い方をすれば、そうした「大仰(おおぎょう)で ・くどくて・しつこくて・臭い演技」が歌舞伎の重要な演技手法とされているのです。これは皮肉を言っているわけではなくて、そのような「嘘を嘘っぽく演じる」ことをその持ち味とする・これも歌舞伎の大事な演技手法のひとつなのですね。逆に言うと、こうやっていれば「それなりに歌舞伎らしく見える」ということでもあります。そして、この手法を応用すれば力量のある役者なら自分の持ち場を延々と引き伸ばすことができるわけです。「盛綱陣屋」の首実験はその代表例かも知れません。

(H17・2・25)


6)首実検をどう演じる

「盛綱陣屋」は、「和田兵衛上使」・「小四郎恩愛」・「盛綱首実検」のみっつの場面に分けられます。本来はこの「盛綱首実検」での早瀬の登場から幕切れまで・大きなひと掴みの流れが三島の言うところの団子 ひとつ分なわけで、首実検はそのなかのひとつの要素に過ぎないわけです。ところが歌舞伎を見ていると首実検の場面だけで大きな団子ひとつになっています。さらに後で小四郎を褒める場面も小さい団子ひとつくらいにはなっています。そして、これが歌舞伎のバランスになっているわけです。首実検の場面を床本で見てみると次のようになります。

『三郎兵衛承り大将に一礼し、無慙の弟が死首に是非もなき対面やと呑込む涙、後ろより父の死顔拝まんと窺ふ小四郎、盛綱が引明る首桶の二目とも見もわかず「父様さぞ口惜しかろ、わしも後から追付く」と氷の刃雪の肌、腹にぐっと突立つる。「ヤレ母人お留めなされ、何故の切腹、仔細をいへ様子はいかに」と人々あはて介抱に、小四郎きっと目を見開き「何故死ぬとは伯父様とも覚えませぬ、卑怯未練も父様に逢たさ、父を先立てて何まだまだと生き恥をさらさん、親子一所に討死して、武士の自害の手本を見せる」と、きりきりと引廻すその手に縋り母微妙「ナウその立派な心を知らず、呵った婆が面目ない、こらへてたも」と右左、目をしばたゝく三郎兵衛「猶予は如何に、早実験、何と何と」と御上意に疵口拭ひ耳際までとっくと改め故実を守り、謹んで両手に捧げ「矢疵に面体損じたれども、弟佐々木高綱が首、相違御座なく候」と御前に直し押し下れば・・・』

歌舞伎では、この『とっくと改め故実を守り』(赤字の部分)をたっぷりと時間を掛けて・盛綱の思考過程を分解して段階的 かつ説明的に延々と首実検を演じるわけです。 この首実検の場面を歌舞伎では「寺子屋」・「熊谷陣屋」と並ぶ最重要の場面としていますから、ここを念入りにじっくり見せ場として描こうとする気持ちはよく理解でき ます。

しかし、床本を読みますと「引き明くる首桶の二目とも見もわかず」とありますから、盛綱は「一目」は首を見る間があ ったわけです。しかも、 突然の小四郎の切腹に対して盛綱は「何故の切腹、仔細を言え」と叫んでおりますから、この時点で既に盛綱はそれを一目で偽首を見破っているのも明らかなのです。したがって、 時政に催促されて改めて首実検を始める時には盛綱はもう偽首を弟高綱の首だと嘘をつく(つまり主人時政を裏切る)腹を固めているわけです。だから『とっくと改め故実を守り』の部分を十秒程度でさっと演り切ることは理屈として可能です。歌舞伎では この部分を分析的かつ説明的に・盛綱が偽首を前に長々と考え込んだりしていますから、これでは三島のように「何てバカでしょう」という声が出てくるのも仕方ない所があるわけです。

それではこの場面を文楽に近く・十秒くらいでサッサと済ましちゃったらどうなるでしょうか。それは理屈ではあるのです。吉之助がもし盛綱をやるならばそうし てみたいものだと思います。しかし、恐らくこの場面だけ仕事を変えたら・全体のバランスと感触が 狂ってしまってうまくないでしょうね。多分「盛綱陣屋」全体の仕事を再構成して・バランスを調整しな ければならないと思います。そうしないと・首実検の場面だけが浮き上がってしまいます。その辺りが理論と実践の難しいところです。要するに、型というのは「あちらの良いとこ採って・こちらの良いとこも採って・両方合わせて良い型を作ろう」ということはできないものだろうと思うわけです。 こういうことは・その型のその部分だけを見ていたら分からないのです。だから、芝居全体のバランスを考える必要があると思うわけです。

(H17・2・27)


 

 

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