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令和歌舞伎座の「千本桜」通し・第2部(Aプロ・Bプロ)

令和7年10月歌舞伎座:「義経千本桜」〜木の実・小金吾討死・鮓屋

四代目尾上松緑(いがみの権太)、初代中村萬寿(弥助実は三位中将維盛)、初代市村橘太郎(鮓屋弥左衛門)、初代坂東新悟(主馬小金吾)、三代目尾上左近(娘お里)、初代中村種之助(権太女房小せん)、三代目中村又五郎(梶原平三景時)、二代目中村魁春(若葉の内侍)他 (以上Aプロ)

十五代目片岡仁左衛門(いがみの権太)、初代中村萬寿(弥助実は三位中将維盛)、五代目中村歌六(鮓屋弥左衛門)、三代目尾上左近(主馬小金吾)、五代目中村米吉(娘お里)、初代片岡孝太郎」(権太女房小せん)、三代目中村又五郎(梶原平三景時)、八代目市川門之助(若葉の内侍)他 (以上Bプロ)


1)いがみの権太と「平家物語」の世界

本稿は令和7年10月歌舞伎座での「義経千本桜」通し・第2部の観劇随想です。「千本桜」のドラマは、西海の藻屑と消えたはずの知盛・維盛・教経が実は生きていた、名前を変え姿を変えて・彼らは一体何を企んでいるのか?、「平家物語」が語ること(史実)は書き換えられることになるのか?を一人ずつ各段ごとに検証していこうと云うドラマです。しかし、「千本桜」三段目(今回の第2部に相当)については、維盛が「平家物語」から出でて「平家物語」に還って行くと云う論理構造(ロジック)がストレートに読み取れません。それは三段目の主人公が、名もない庶民である・いがみの権太であって、維盛ではないからです。三段目のドラマは捻(ひね)った形で書かれているのです。

いがみの権太は自らの妻子までも犠牲にして、維盛一家(維盛若葉の内侍・六代君)を救う大博打に打って出ますが、それは父弥左衛門に「出かした権太郎、やっぱりお前は俺の息子だ」と自分を認めて欲しいが為でした。権太にも忠義の心が全然なかったわけではないでしょうが、弥左衛門が恩義ある主筋として必死で護ろうとしている人(維盛)であるから、維盛一家を護れば親父さまが喜んでくれるに違いないと思ってやったことです。だから権太一家の悲劇では、忠義よりも、個人的な事情(弥左衛門に俺の息子だと認めて欲しい)の方が優先するわけです。

単刀直入に云えば・いがみの権太の悲劇とは、「除け者扱いの放蕩息子が最後にたった一つだけ良い事をして・家族に許されて死んでいった」と云うドラマなのです。観客は権太の死を見て、「それは悲しいことだけど・最後に親に許されて良かったなあ」と思って泣くでしょうが、そこに「平家物語」が絡んで来ることはありません。もちろん維盛の件を通じて絡むのですが、それは権太の悲劇の本質的なところではないと云うことなのです。

そう云うわけで、三段目を・いがみの権太の悲劇として、突っ込んで・泣ける芝居に仕立てれば仕立てるほど、実は三段目は「平家物語」から遠くなっていくわけなのです。見取り狂言として三段目を出す場合には、まあそれはそれです。権太の悲劇として完結させることは、見取り狂言であれば、十分有り得ることです。しかし、通し狂言「千本桜」のエピソードの一つとして三段目を出す場合には、やはり「平家物語」との関連を考えないわけに行きません。二段目の知盛の死を踏まえたうえで、次の三段目の結末が立つはずなのです。そのためにはいがみの権太を「平家物語」の維盛に重ね合わせて読まねばならないでしょう。(この稿つづく)

(R7・11・19)


2)「・・さることなれども・・」

「千本桜」の各段はどれも「平家物語」の世界へ還ろうと・筋の落ち着く先を探しながら動いています。三段目は維盛の偽首の謎を解くのが主筋であるはずです。ところが三段目のいがみの権太の大活躍を見ると、ドラマが一体どこへ向かおうとしているのか判然としませんね。このように権太のドラマと見えたものを、維盛の方に一気に引き寄せるのが、維盛の次の一言です。権太一家の身替りの真相を聞いて驚き嘆く弥左衛門を見て、維盛はこのように声を掛けます。

「弥左衛門が嘆きさることなれども、逢ふて別れ逢はで死ぬるも皆因縁、汝が討つて帰りたる首は主馬の小金吾とて、内侍が供せし譜代の家来。生きて尽くせし忠義は薄く、死して身代る忠勤厚し。これも不思議の因縁」

「・・さることなれども・・」、聞きようによってはいささか強引な手法ですねえ。この一言によって維盛は三段目が本来自らに与えられた場であったことを宣言するのです。もはや権太のドラマではありません。このように時代物では、時代の律が最後に現れて、有無を言わさず奪い取るのです。続く頼朝の陣羽織の件では、権太の身替りの大博打は鎌倉方(頼朝・その代理としての梶原)に見抜かれていたことまでも明らかになります。権太はあらかじめ書かれた筋書に乗って踊っていただけのことであった、このことを知って瀕死の権太は嘆くしかありません。

「及ばぬ智恵で梶原を、謀(たばか)つたと思ふたが、あつちがなんにも皆合点。思へばこれまで衒(かた)つたも、後は命を衒(かた)らるる種と知らざる、浅まし」
と、(いがみの権太は)悔みに近き終り際(ぎわ)、維盛卿も、
「これまでは仏を衒(かた)つて輪廻を離れず、離るる時は今この時」
と、髻(もとどり)ふっつと切り給へば、

思えば三位中将維盛は、武家の頭領としての資質にまったく欠けた人物でした。そのためには余りにも神経が繊細過ぎて、心が綺麗に過ぎました。維盛にとって、平家の御曹司として生きること自体が過酷に過ぎました。ですから、これまでの維盛の人生は、自己を偽った「騙りの人生」であったのです。このことを維盛に気付かせてくれたのが、権太の死でした。権太は自らの騙りの人生を悔いて死に、維盛は自らの騙りの人生を自覚して髻を切って出家する。こうして三段目は「平家物語」の世界へ還っていくことになります。(この稿つづく)

(R7・11・21)


3)仁左衛門の権太・松緑の権太

ここ10年くらいの仁左衛門は、どんな役を演じても、「古典に親しくない現代のお客様のために・作品の主題や役の感情の綾を分かりやすく演じる」ことに心を砕く姿勢が一段と強いように感じますね。在来の型に固執することなく、常に新たな工夫を加えて演じることを厭わない。そのような十五代目仁左衛門型の・最も成功した例が、この鮓屋のいがみの権太ではないかと思います。仁左衛門の権太については、これまでもいくつかの舞台をサイトに取りあげましたから、そちらをご覧ください、

正直に云えば、奈良の田舎のならず者を演じるには仁左衛門はちょっとカッコ良過ぎで、ニンとして必ずしもピッタリと云うわけではないのだが、仁左衛門は持ち前の愛嬌で観客の心を掴んで放しません。母親への甘えよう、或いは首実検の時に流れる涙を・松明の煙が煙いと紛らせてみせたり、頼朝から下しおかれた陣羽織を羽織って得意気に振る舞ってみせる(音羽屋型であると・これはしないこと)など、随所に仁左衛門なりの細かい工夫が見られます。だから「ならず者の放蕩息子が最後にたった一つだけ良い事をして・家族に許されて死んでいった」と云うドラマの核心がしっかりと描かれています。結果として観客は権太の死を見て、「それは悲しいことだけど・最後に親に許されて良かったなあ」と思って素直に泣くことになる。そこのところに如才はありません。

しかし、確かに如才はないのだけれども、今回(令和7年10月歌舞伎座)仁左衛門が権太を演じる第2部・Bプロは通し狂言「義経千本桜」のなかの三段目ですから、本稿冒頭で述べた通り、「三段目を権太の悲劇として突っ込んで・泣ける芝居に仕立てれば仕立てるほど、実は三段目は「平家物語」から遠くなっていく」と云うところがないわけではない。Bプロ・鮓屋幕切れで維盛が高野へ向かうため一人下手に立つと云う工夫をしたりもしていますが、仁左衛門の権太が上手いだけに・イヤあまりに上手過ぎるために、良くも悪くもやはり全体の印象が「権太のための芝居」になり過ぎるのでしょう。もしこれが三段目だけの見取り上演であったなら、こんなことはあまり感じなかったと思います。

このように感じてしまうのは、必ずしも仁左衛門の権太のせいだけではなく、恐らく弥左衛門・維盛他と権太とのバランスも関係するでしょうね。それにしても、今回(令和7年10月歌舞伎座)の通し狂言に於いては、むしろ松緑のいがみの権太(Aプロ・第2部)の方に、「平家物語」の無常感との繋がりをより強く感じたのです。おかげで「千本桜」通しとして見ると、Aプロ通しの方が第2部(三段目)の納まりが良い印象です。

松緑の権太は平成31年2月歌舞伎座での初役以来2度目のことですが、先日(令和7年1月歌舞伎座)での熊谷や・同じく3月歌舞伎座での由良助が感情移入が強い(と云うか泣きが強過ぎる)「暑苦しい」出来であったので、松緑の権太だとこれがどんな感じに出るか、正直に申し上げると、見る前はあまり期待をしていなかったのです。しかし、実際の舞台では、松緑の権太は確かに妻子を犠牲にしたことの悲嘆の情は強いけれども、「暑苦しい」ところまでは行っておらず、適度に時代っぽい印象もあるせいか・バランス的に程よい感じに仕上がりました。

思うに、熊谷や由良助であると彼らの行動論理に忠義・奉公といった建前の要素が入り込んで・これが彼らの人情(本音)と相克したところでドラマが生じるわけですが、これを強く意識し過ぎるために、これが松緑の時代物の印象を暑苦しいものにしていたと思います。世話物の権太であると、これを「除け者扱いの放蕩息子が最後にたった一つだけ良い事をして・家族に許されて死んでいった」と云うドラマだと割り切れば、権太の行動論理は比較的単純になって来るので、過度に入れ込んで演じる必要がないわけです。後のことは弥左衛門や維盛に芝居を任せれば、芝居は自然と「平家物語」の方へ寄っていくのです。

ここで二代目松緑の権太(昭和51年11月国立劇場)のことを思い出すのですが、役の本質をグッと大掴みにして・細かいところにあまりこだわらない二代目松緑の権太と当代松緑の権太とが、何だか印象が似通っている感じがして、そこに不思議な面白さを感じたりしたものでした。と云うわけで、今回(令和7年10月歌舞伎座)の「千本桜」第2部は、仁左衛門の権太(Bプロ)の名演さることなれども、思いがけない収穫は松緑の権太(Aプロ)と云うことになりましょうか。

(R7・11・23)


 

 


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