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大坂歌舞伎旧跡散策・その4

谷町筋沿いの寺町〜近松門左衛門の墓・お初の墓など

大坂歌舞伎旧跡散策・その3:曽根崎新地・蜆川・河庄跡の続きです。


1)谷町筋沿い法妙寺跡地〜近松門左衛門の墓

谷町の地名は、大阪の西へ落ち込む上町台地の谷の地形に由来するそうです。大阪中心部の南北を貫く幹線道路のひとつである谷町筋(たにまちすじ)に沿った細長い町になります。このうち8丁目と9丁目北部が谷町筋八丁目寺町と呼ばれる寺町で、西隣りの中寺筋と共にお寺が多い地域です。

歌舞伎研究者にとって神様同然である近松門左衛門(承応2年・1653〜享保9年・1724)のお墓として伝わるものは、二つあります。まずひとつは、兵庫県尼崎の日蓮宗広済寺にあるお墓です。(こちらは9年前に訪問しましたので、別稿「近松門左衛門の墓参り」をご参照ください。)もうひとつのお墓が、本稿で紹介する大阪谷町の日蓮宗法妙寺跡地(大阪市中央区谷町8丁目1)にあるものです。

尼崎と谷町の、どちらが本墓かについては、その後の研究では、どうやら尼崎の広済寺の方が本墓であるようです。谷町の法妙寺の方は、尼崎まで行くのは不便だという方のために、死後数年経って広済寺のとそっくりのお墓を、近松の妻の実家が檀家であった谷町の法妙寺に建てたそうです。(ただし異説もあり。)

法妙寺跡地」と云うのは、昭和42年(1967)に谷町筋で大規模な区画整理が行われたため、法妙寺が現在の大東市へ移転したからです。ホントは近松さんのお墓も一緒に移転するはずでしたが、移転すると国史跡の指定が解除になってしまうから移転しないでくれと大阪市が要請したので、結局、近松さんのお墓はそのままとなったそうです。(なお大東市の法妙寺境内には、現在本物とそっくり同じ別墓があるそうです。)そこで今回、跡地の近松さんの墓を探してみると、地下鉄谷町線の「谷町9丁目」駅から歩いてすぐですが、大阪谷町郵便局があるマンションの脇にお墓がひっそりとありました。と云うよりも「押し込められていた」と云う表現の方が正しいようですねえ。「大阪の精神的象徴というべき近松さんに対する、大阪市のこの扱いは何じゃ」とモノ申したい気分になりましたが、まあそれは兎も角、これで近松さんの二つのお墓参りを果たしたわけです。

ここが谷町の法妙寺の跡地。お隣はガソリン・スタンド。大阪谷町郵便局が入っているマンションの脇にある小路地の数M先に近松さんのお墓があります。近松さんが「息苦しうてかなわん」と訴えているのが聞こえるような狭っ苦しさ。何とかならないものでしょうかねえ。


2)中寺筋沿い〜初代富十郎の墓・初代若太夫の墓

近松さんのお墓から谷町筋の大通りを渡って、反対側の西高津中寺町筋を、お初のお墓がある久成寺を目指して南へ歩いて行くと、通りの左右に立派なお寺がずらりと並んでいます。そのなかから、伝統芸能に関連するお墓がある、ふたつのお寺を紹介します。

上の写真は、初代中村富十郎(享保4年・1718〜天明6年・1786)のお墓がある薬王寺。言わずと知れた、内輪歩きの技法を編み出し・女形芸に革命的な発展をもたらした江戸時代中期の名女形。「京鹿子娘道成寺」(宝暦3年・1753・江戸中村座)の初演者でもあります。そう云えば、今月(令和5年7月)の大阪松竹座では、菊之助の白拍子花子で「娘道成寺」が掛かっていますねえ。

上の写真は、初代豊竹若太夫のお墓がある本経寺。若太夫(後の越前少掾、元和元年・1681〜明和元年・1764)は、大坂道頓堀の人形浄瑠璃座として、竹本座と並び称される豊竹座の座元でした。天性の美声を生かした派手な芸風で、いわゆる竹本座の西風に対し、豊竹座の東風を代表する大名人。


3)中寺筋沿い久成寺〜お初のお墓

「曽根崎心中」は、元禄16年(1703)4月7日早朝に、大阪堂島新地天満屋の女郎お初(本名妙、21歳、19歳との説もあり近松の作では19歳となっている)が、内本町醤油商平野屋手代である徳兵衛(25歳)が、曽根崎の露天神社(その後はお初天神として有名)の森で情死した事件を題材にしています。これを近松門左衛門が即刻人形浄瑠璃に仕立て、事件から一か月後に、道頓堀の竹本座で初演された「曽根崎心中」は爆発的なヒットとなりました。

そのお初の墓が、中町の久成寺(くじょうじ、大阪市中央区中寺2丁目1−41)にあります。久成寺は本門法華宗のお寺です。「大阪伝承地誌集成」によれば、天満屋が久成寺の檀家であった関係から、当寺にお初の墓が建てられたそうです。明治の動乱期に所在不明となったが、平成14年(2002)のお初の300回忌に再建されたのが、このお墓だそうです。墓石が新しいので「アレッ?」と思いましたが、そのような事情です。

中町の久成寺の山門。入口に「曽根崎心中お初墓所」の石標。

久成寺墓所の一角にあるお初の墓。小さなお墓です。戒名は「妙法妙力信女」、側面に「元禄十六年四月七日寂、曽根崎心中お初の墓」と刻まれています。こうなると徳兵衛のお墓がどこにあるのかが気になりますが、不明のようです。事情が事情だけに、人知れず葬られたのでしょうか。

*写真は、令和5年7月3日、吉之助の撮影です。

大坂歌舞伎旧跡散策・その5:新清水・浮瀬亭跡もご覧ください。

(R5・7・24)


 



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