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寺山修司没後30年


うっかりしてましたが、今年(平成25年)は寺山修司(1935〜1983)の没後30年だそうです。吉之助の世代にとって寺山はちょっと 上になります。学生時代の吉之助も「書を捨てよ 町に出よう」など寺山の本をいくつか読みました。しかし、当時の吉之助は音楽主体で、演劇に関してはまだ教養主義的段階(まずはシェークスピア・チェーホフから)で、アングラの天井桟敷にまでは興味が行きませんでした。というよりも、1975年に東京阿佐ヶ谷近郊で行なわれた市街劇「ノック」は一般家庭の玄関の扉をノックし・家の人が出てくるとそこに全身に包帯巻いたミイラ男が立っていたという具合で・驚いた人が110番して警察が駆けつけるという大騒ぎになりました。こういう報道が吉之助には「気色悪い」という印象になったせいで、当時の吉之助は天井桟敷をまったく受け付けませんでした。寺山自身の言に拠れば「あなたの平穏無事とはいったい何なのか?」(朝日新聞  昭和65年5月7日)という問題提起だったそうですが、まあ正直言ってこういうのは今もって理解できません。吉之助はその点保守的なのです。

そういうわけで吉之助は寺山修司と長い間疎遠でしたが、最近いくつか寺山の対談や評論を目にする機会があり、「寺山と演劇」ということについてちょっと関心が湧いて来たところです。そのことについてはいずれ書く機会があると思います。そんな時にタイムリーに先日(平成25年10月27日)早稲田大学・演劇博物館主催で「いまだ知られざる寺山修司」という講座がありましたので、これを聞いてきました。行ってみると、この講座はテレビ作家寺山のことが主で・吉之助の直接的な関心に応えてくれなかったのだけど、不勉強ながら吉之助は演劇に取り組む以前の寺山が放送台本を手掛けたということを知りませんでしたので、寺山の新たな一面を知ることが出来ました。講座では、寺山の構成脚本によるふたつのドキュメンタリー作品(TBS放送)が上映されました。ひとつは『中西太 背番号6』1964714日放送)、もうひとつは『あなたは・・・』19661120日放送)で、初回放送は 吉之助はもちろんどちらも見てません後者は日本のテレビ史に残る有名なもので・何かの機会に再放送を見たような記憶がありますが、寺山の仕事だとは知りませんでした

ところで上記ドキュメンタリー上映の後・パネルディスカッションがありましたが、そこでの講師が制作サイドの方々であったせいか、久しぶりに作品を見直してご自身がどう感じたかとか・そういう話はなくて、寺山の裏話的な話に終始し、ドキュメンタリー作家としての寺山の本質に迫る発言が聞けなかったのは残念でした。作り手と受け手(視聴者)との関係に関心がないのかなあと思いました。何となく電波垂れ流しの・一方通行メディアとしてのテレビの限界を思いました。もう双方向のメディアの時代がそこまで来ているのだけどね。

吉之助が見た感じでは、寺山構成による・これらふたつのドキュメンタリーはとてもメッセージ性が強くて、しかも、ある種の「押し付けがましさ」を持つものでした。まず『中西太 背番号6』は実際のプロ野球の試合を素材にしていますが、その試合展開にプレーイングマネージャーの中西太(つまり全盛期を過ぎた時代の怪童中西)の人生を強引に重ね合わせてストーリーを作って行く、「 こじつけ」とも言える・かなり強引な作りでした。視聴者に「ここはこう読め」とイメージを押し付ける感じが強い。これは恐らく当時の60年安保闘争世代の・肩肘張った感覚を反映していることは容易に想像が付きます。

『あなたは・・・』は、街歩く一般人に突然マイクを突きつけて「あなたは昨日の今頃何をしていましたか」、「あなたは人に愛されたことがありますか」などと一方的かつ機械的に脈路ない質問を次々と発して答えを迫り・最後に「あなたは誰ですか」という質問で締めるというものです。これなどは、さらに押し付けがましい。しかも、こういう質問を誰かれかまわず延々と続けられると、視聴者の方も画面の人が答えている反応を第三者として笑って楽しむという余裕が失われてきて、「自分がマイクを突きつけられたら自分はどう答える?どんな顔をして答える?」というような圧迫感が次第に募ってくる。これが寺山の狙いであったことは明らかです。これもこの時代の空気を濃厚に反映しています。

寺山は視聴者に対して「こういう時、あなたならどうする?」という問いを刃物のように突き付けます。そして視聴者に反応を迫って来ます。 その反応自体はどんなものでも良いのですが、しかし、その反応次第でどんな人間か判断されそうな感じがあって、それが怖い。当時は「お前は右か左か、親米か親ソか」などとすぐ主義主張を問われそうな雰囲気がありました。これは視聴者にとってあまり心地が良いものではない。そこに当時の寺山の焦燥感が見えるようです。(講師の方々はどうも軽く受け取っている気がしましたが)単にこういう趣向が面白い のじゃないかという好奇心で寺山があれこれ実験をやっていたわけではないと、吉之助は思います。と同時に、そこから
寺山が一方通行メディアとしてのテレビに飽き足らなくなって、演劇に走ったことの気持ちが見える気がしました。この『あなたは・・・』が、一般家庭の玄関の扉をノックし・家の人が出てくるとそこに包帯巻いた ミイラ男が立っていたという、あの市街劇「ノック」の前段階であることは、見れば明らかであると思います。表現者としての寺山は、受け手との間に更なるヴィヴィッドな関係を求めたのです。

パネルディスカッションでは「テレビの暴力性」という発言が最後に出たので、ああやっと出てきたかと思いましたが、そこまででしたね。(注:テレビの暴力性とは、相手の都合も何も考えず、一方的に、家庭のお茶の間に上がり込んで、そこに関係のないあらゆる情報を無神経に垂れ流すということです。)ともあれ、今回ふたつのドキュメンタリーを見て、吉之助は、寺山が市街劇「ノック」で何をしたかったのか、その気持ちが少し分かった気がしました。それにしても残念だったのは講座の参加者が少なかったこと、特に大学での開催ということを考えると予想以上に若者がとても少なかったことです。もう寺山修司は過去の人ということかな。60年代という時代とあまりに強く結び付き過ぎているということでありましょうか。

(H25・11・3)


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