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悪態の演劇性

平成16年6月歌舞伎座:歌舞伎十八番のうち「助六由縁江戸桜」

十一代目市川海老蔵(十三代目市川団十郎)(助六)、五代目坂東玉三郎(三浦屋揚巻)

(十一代目市川海老蔵襲名披露興行)


1)悪態の起源

「助六」は悪態の芸術だと言われますが、なぜでしょうか。 悪態の台詞が様式化されているという説明では、どうもピンときません。そもそも傍若無人のかぶき者の悪態がどうして芸術になるのでしょう。

折口信夫は、「日本芸能史」のなかで「助六」にあるような歌舞伎の悪態は神事芸能の流れの上にあるということを言っています。折口はいくつかの論文で 悪態のことを考察していますが、その悪態についての考えを吉之助なりに整理してみると、こういうことです。遠来の神(まれびと)が祭りの場に来臨し、土地の精霊に対して「ことどひ」の言葉を持って挑みかかります。これに対する精霊の反応のひとつは沈黙を守ることで、これを「しじまを守る」と言います。精霊は口を開くと自分が神の力に負けてしまうことを知っているのです。だから、神は威力ある言葉を発して・精霊の口を開かせようとします。それはしばしば強圧的なもので・呪詛の言葉であったりします。これが神のつく悪態で、これを「そしり」と言います。やがて、精霊はその力に負けてしまって口を開くのですが、それでも始めのうちは神の言葉を混ぜ返したり・揚げ足をとったり・悪態をついて抵抗を続けます。このような精霊の反応を「もどき」と言います。このような神と精霊の悪態の応酬を「かけあひ」と言うのです。「かけあひ」というのは能や歌舞伎の演劇用語でもありますが、もともとは「祭りの場に来臨する神と土地の精霊との問答」にその起源を発するのです。

ここで吉之助は「助六」を芸能神事に還元しようとしているわけではありません。そのようなことがあまり意味があることとも思いません。しかし、折口信夫が指摘している「祭りの場に来臨する神と土地の精霊との問答」に始まる悪態の応酬というのは、恐らく圧倒的に優れた技術を持って大陸から渡来した人々と・日本土着の人々との出会いと軋轢(あつれき)・その受け入れの過程を反映したものだろうと思います。これは異質な者がやってきた時の共同体の拒絶反応のひとつのパターンを示しているのです。つまり、これは町のならず者・ごろつきである「かぶき者」に対する土地の者たちの反応と似通ったところがあると言えます。このことから「助六」の悪態が考察できると思うわけです。

こうした土地の者のよそ者への反応は日本だけのものとは思われません。例えばドイツ中世の民話「ハーメルンの笛吹き」を見てみれば、不思議な笛吹きが町を訪れて・笛の力でネズミを退治します。(名乗りと自らの力の誇示)そして、笛吹きはネズミを退治したことの対価を求めます。(ことどひ)これに対して町の人々は その支払いを拒否します。(しじまを守る)笛吹きは笛で子供を連れ去ってしまう(神のそしり)という過程になります。ただ「ハーメルンの笛吹き」の場合は笛吹きが子供を返して欲しければどうしろとか町の人々に何の要求もしないまま忽然と消えてしまって・掛け合いのないまま寸切れになってしまっているので、それが不可解で・不条理な印象を生み出しています。しかし、どのような社会であっても異分子を共同体に受け入れることはなにがしかの拒絶反応が伴うものだろうと思います。

例えばかぶき者が肩をいからせて往来を向こうから歩いて来るとします。普通の人はこういう人とは係わりになりたくないですから、当然、道を避けたり・視線をそらしたりするでしょう。つまり、「しじまを守る」わけです。しかし、運悪くかぶき者に因縁をつけられてしまえば、そこで悪態(そしり)を受けて・力で屈服させられてしまうことになります。その過程は、別に神事を持ち出すまでもなく・ほぼ「神と精霊の問答」と似たようなものになります。

これがかぶき者が別のかぶき者と行き当たる・たとえば町奴と旗本奴が行き当たるということになれば、これはもうタダで済むはずがありません。お互いが意地を張り合って・威嚇し合って、お互いに悪態(「そしり」と「もどき」)の応酬になってしまうのです。悪態の応酬はどちらが屈服するか・子分になるかというような形で納まるか、誰かが留めに入るか・あるいはお互いが度量の大きさを認め合って別れるかしかありません。こうしたかぶき者の「かけあい」のさまが「助六」のように芝居に取り入れられると、異分子のぶつかり合いのさまが・さながら「神と精霊の問答」を想起させるということです。そこから 悪態の「祭祀性」が照射されるのです。

「助六」で興味深いのは、悪態をつくのが助六や意休のような町のならず者たちだけではなくて、福山のかつぎのような町人も悪態をつき喧嘩を売り・揚巻のような女郎までもが見事な悪態をつくということです。つまり、このようなかぶき者の気風が一般人にまで膾炙していたということです。

別稿「荒事における稚気」において、「荒事芸は童子の心を以て演ずべし」という口伝には、そうした「かぶき者の気風」が愛された・かぶき者にとっての古き良き時代の記憶があるということを考えました。「助六」の悪態についても同様なことが言えると思います。


2)悪態の演劇性

このことは悪態の「演劇性」という問題を考えさせます。現実の町奴と旗本奴が悪態の応酬をする時に彼らが「芸能神事」を意識しているとは到底思えません。しかし、彼らは「男伊達」でありますから・それにふさわしい振る舞いをしてみせないと「男がすたる」のです。だから悪態の応酬は周囲の眼をつねに意識しているのです。悪態に対する反応に・度量の大きさとセンスの良さが出ないと「格好悪い」わけです。

奇癖道人の「幡随院長兵衛一代記」には男伊達の代表的人物・幡随院長兵衛と水野十郎左衛門との出会いが書かれています。長兵衛が吉原へ行くと、仲の町十文字屋の店先に、青簾(あおす)の上に燃え立つばかりの花毛氈(もうせん)が敷かれて、そこに酒肴が散らかっています。これは誰の席かと亭主に聞けば、これは天下のお旗本水野十郎左衛門さまの御席で・ただいまお出かけ中ですが・そろそろお戻りになる頃でございます、と言います。それを聞くと、長兵衛はやにわに裸になり毛氈の上に大の字になって寝てしまいます。そして、十郎左衛門の一行が戻ってくると、自分が眠っていたのを起こしたと言って烈火の如く怒り出すのです。

この場面での十郎左衛門の長兵衛に対する反応が「男伊達」の真髄です。普通ならば天下の旗本に無礼千万を働いたならず者など・その場で無礼討ち(斬り捨て)しても良さそうなものです。が、そこをしないのが「男伊達」なのです。十郎左衛門は、その無礼な男が江戸でその名を知らぬ者もない幡随院長兵衛であると知ると、実に丁重な挨拶をします。そして「これ幸いの出会い、知人となり、以後のは懇意を結ばんとして折角の眠りを騒がせしぞ、必ず悪しうな思われぞ」などと言うのです。

なぜ十郎左衛門が長兵衛を無礼討ちにしないかと言うと、それは長兵衛の行為が自分の命を掛けているからです。これは正真正銘の男伊達の行為だということを十郎左衛門は認めています。だから、ここで長兵衛を斬ってしまえば旗本としての十郎左衛門の面目は立つわけですが、それでは男伊達の否定になってしまうのです。だから十郎左衛門は内心は怒りに燃えていても、表向きは丁重に挨拶するのです。当然、これに対する長兵衛の挨拶も十郎左衛門に対する感謝になります。「さては貴方さまがあの水野の殿様にてましますや。私が無礼の御咎めもなく、冥加に余りて只今のお言葉、有り難き仕合せに存じ奉る」と長兵衛はこれも丁重に挨拶をします。

翌日の江戸の街は、長兵衛は斬られに行き・十郎左衛門はこれを斬ってもいいのに斬らなかった・さすがはどちらも立派な男伊達だということで話題 もちきりになりました。 彼らの行為は芝居掛かっているのですが、「芝居掛かって見える」のではなくて・二人とも翌日は町中の評判になることを意識して・わざと芝居掛かったことをやっているのです。芝居掛かっていなければ 野暮になってしまうのです。つまり、かぶき者の傍若無人の振る舞いは周囲の眼を十分に意識した「演劇的(劇場的)行為」なのです。

だから、かぶき者の悪態も観客を意識した演劇的行為なのです。「助六」の悪態は本質的にカラッとしているもので、そこに悪意や憎しみ を込めたものではありません。言われた方も体面がありますからカッとはしますが、それよりはいかに格好よく悪態を投げつけるか・相手の悪態をどうセンスよくやり返すか、悪態を返して相手をやり込めてやろうか・というようなゲーム感覚、そんなところがあるのかも知れません。そこにかぶき者の意気地があるのです。それを観客が見て楽しむのです。そこに悪態の演劇的意味があります。


3)ツッパリの助六

さて今回取り上げる「助六」は、平成16年6月歌舞伎座での十一代目市川海老蔵襲名の舞台です。海老蔵が新之助時代に初めて演じた「助六」の舞台については別稿「ツッパリの助六」で取り上げました。海老蔵の助六は何と言っても花道の出端が素晴らしい。スッキリとした立ち姿のなかに・どこかに憤懣をぶつける先を求めるようなかぶき者の突っ張ったところが感じられて、渋谷のアンちゃんが舞台に立っているような今風のところがリアルで面白いと思いました。あれから4年、2度目の助六は余裕が出てきて・雰囲気はそのままにもっと練れた感じになったとでも言いましょうか。

海老蔵の助六の名乗りのツラネは台詞の緩急のギアチェンジの仕方がまだちょっと粗いところがあります。車の乗り心地でいえば、時々ガックンとくる感じなのです。だからテンポの速い部分の言葉がちょっと軽く 表面的に感じます。もうすこし緩急の切れ目をスムーズにつなげば・台詞にメリハリがついて来ます。しかし、そういう点はあっても・「面相拝み奉れ」で海老蔵がカッと眼を見開いて見得をするとすべてが消し飛ぶ感じです。助六はこれでなけりゃあ嬉しくありません。

折口信夫は 「助六」は煎じ詰めれば出端だけの芝居ですと言いました。吉之助も正直言うと半分位はそう思っています。 白酒売りが登場してからのやりとりなどは別に歌舞伎じゃなくてもいいようなものです。しかし、今回は出端以外の部分もなかなか面白く見ました。こうした今風の風俗を芝居に取り入れることで・逆に芝居掛かった本筋を生きたものにする、そういう効果もあるものなのでしょう。

これは別稿「荒事における稚気」にも書きましたが、観客を含めた劇場全体がこの若き役者の 襲名を祝福し・ その存在を愛し・将来を期待していることがひしひしと感じられることから来るものです。観客のテンションも普段より高くなってますから、助六の悪態 ・仕草に客席が敏感に反応していて・そこに悪態の「演劇性」が自然に現れています。そこにかぶき者がかつて愛された・活気のあった古きよき時代の記憶が蘇るのです。

このことは共演の玉三郎の揚巻にも言えます。意休に対する悪態の初音はじつに力がこもった堂々たるもので 、これは歌右衛門に優るとも劣らない揚巻と言ってよろしいと思いました。ここまで言われて意休が揚巻を斬れないのも、揚巻が命を掛けているからです。揚巻のその覚悟が伝わってきます。さすがは助六の恋人、揚巻もまたかぶき者なのです。「間夫が なければ女郎は闇」、その台詞に吉原の太夫の意気地というものがよく出ています。

演劇的行為である悪態が、共演の役者も揃った襲名興行の雰囲気でいかにもそれらしく映えました。

(H16・7・18)


 

 

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