心やさしき武士〜六代目勘九郎・久しぶりの実盛
令和8年1月歌舞伎座:「源平布引滝〜実盛物語」
六代目中村勘九郎(斎藤別当実盛)、二代目中村七之助(小万)、四代目尾上松緑(瀬尾十郎兼氏)、六代目嵐橘三郎(百姓九郎助)、四代目中村梅花(九郎助女房小よし)、守田緒兜(倅太郎吉)、初代坂東新悟(御台葵御前)他
*この原稿は未完です。
1)心やさしき武士
令和8年1月歌舞伎座・初春大歌舞伎で、勘九郎の斎藤実盛による「実盛物語」を見て来ました。勘九郎の実盛は平成30年(2018)11月・浅草浅草寺境内での平成中村座以来のことで、今回が4回目と云うことになります。前回の勘九郎は、実盛という役が持つ本質的な暗さを捉えていることは良い点であったが、やや暗さが勝ち過ぎた印象でした。もう少しパッとした華やかさが欲しいところだなと感じましたが、近年一段と芸格が増した勘九郎が約8年後の今回どのように実盛を演じるか?大いに期待して見ました。
ところで「葉隠」のなかで山本常朝が次のように書いています。
『やさしき武士は古今実盛一人也。討死の時は七壱拾余也。武士は嗜(たしなみ)深く有るべき事也。』
ここで常朝が云う「実盛」とは(当時の人が歴史書として読んだ)平家物語のなかの実盛であって、芝居の実盛でないことをまず書いておかねばなりません。浄瑠璃「源平布引滝」(寛延2年・1749)が出来る以前に常朝は亡くなっていますし、そもそも常朝は「芸能を嗜むことは武士を軟弱にする」と云って嫌っていました。「武士道は死ぬことと見つけたり」と書いた常朝が、武士たる者の理想の死に方としたのが実盛でした。老武者と侮られまいと白髪を墨で黒く染めて出陣した実盛が戦死したのは、寿永2年・1182・加賀国篠原の戦いでのことでした。
それにしても興味深いことは、芸能に全く無縁である常朝の禁欲的な思想が「やさしき武士」という実盛のイメージに極まったと云うことですねえ。(現在は平家に仕える)自分は本来在るべき自分(元々源氏に奉公する身であったはずの自分)を裏切っていると云う負い目故に・白髪を墨で黒く染めて出陣し戦死したというのが、史実の実盛でした。常朝はこの逸話から「心やさしき武士・実盛」のイメージを導き出しました。何とそれは芝居の「実盛物語」での・颯爽とした生締め姿の実盛のイメージとまったく同じなのです。芝居の幕切れで実盛が、
「ムヽ、ムハハヽヽヽなるほど、その時こそ鬢髭を墨に染め若やいで勝負を遂げん。坂東声の首取らば池の溜りで洗ふて見よ。軍の場所は北国篠原、加賀の国にて見参々々」
と太郎吉に語った瞬間、まるで稲妻が走ったかのように、実盛の人生がパッと見渡されます。「実盛物語」のドラマが実盛の死(史実)へ向けて一直線に進んでいたことが実感されます。それは芝居の設定からすると凡そ28年後の未来ですが、芝居を見る観客から見れば、それは必ずそのようになる未来、と同時にそれは芝居の実盛が意志的に選び取った未来なのです。
芝居の実盛は28年後に母親(小万)の仇を討つ手塚太郎(後の成人した太郎吉)の手に掛かるのですが、実盛はその時に白髪を墨で黒く染めて出陣することを約束しました。ここまで架空で進んでいた芝居がここで史実にぴったりと重なります。もはや運命とか・因果や負い目に追い回されて死ぬという惨めな死ではありません。その死は実盛が自ら選び取ったものなのですから。幕切れの実盛のやさしさ・カッコ良さ・爽やかさは、そこから来るのです。しかし、裏返せばそれは死への恐怖・陰惨さがとても強く意識されていると云うことでもあるわけで、だからこそ「自分はカッコ良く死にたい」という風になって来るのですがね。つまり実盛のやさしさ・カッコ良さ・爽やかさの印象は、生きることの苦しさ・陰惨さと常に背中合わせに在るものなのです。(この稿つづく)
(R8・1・30)