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令和歌舞伎座の「菅原」通し〜加茂堤

令和7年9月歌舞伎座:「菅原伝授手習鑑」〜加茂堤(Aプロ・Bプロ)

四代目中村歌昇(桜丸)、初代坂東新悟(八重)、三代目尾上左近(苅屋姫)、五代目中村米吉(斎世親王)、三代目坂東亀蔵(三善清行) (以上Aプロ)

初代中村萬太郎(桜丸)、初代中村種之助(八重)、五代目中村米吉(苅屋姫)、初代坂東新悟(斎世親王)、三代目坂東亀蔵(三善清行) (以上Bプロ)

*この原稿は完結しました。最新の章はこちら


1)通し上演の意義

本稿は令和7年9月歌舞伎座での、「菅原伝授手習鑑」通しの観劇随想です。通し上演ではありますが、同年3月の「忠臣蔵」通しと少々事情が異なる点は、「菅原」の場合、各幕が歌舞伎の演目として繰り返し上演され・演出が練り上げられるうちに、それぞれが独自の発展をして来たことです。現行見る舞台は、その歌舞伎美学の昇華の結果なのです。このためいろんな場面でドラマの感触・或いは役の性根が一貫しないことが起きて来ます。例えば加茂堤と車引・佐太村では、桜丸の性格や化粧が、まるで印象が異なります。(同じようなことが「義経千本桜」通しに関しても云えると思います。)「忠臣蔵」であると作品全体の構成が緊密であるせいか、このようなことはあまり目に付きません。或いは題材(赤穂義士の討ち入り)が同時代の出来事であるので、ドラマが写実の(リアルな)感覚から離れることがないからでしょうか。

この点「菅原」は題材として想像力(イマジネーション)の縛りが緩いのです。それだけ歌舞伎化の自由度が高いと云うことでもあります。そうすると歌舞伎で「菅原」通しをする場合、役の一貫性に欠ける弱点を補うために、同じ役者が全幕通して同じ役を演じることが一層大事になって来ます。同じ役者で役を通すことによって視覚的にも印象的にも、各幕の連関性を補うことになります。まあこんなことは言わなくたって当たり前のことだと思いますが、現実場面ではいろんな大人の事情からそうならないことも多いようですね。

確かにこれだけの数の役者を、各方面から不満が出ないように、バランス良く配役する苦労は大変なことだろうとお察しはします。しかし、今回の「菅原」通し(Aプロ・Bプロ)では、例えば三つ子の兄弟を演じる役者が幕毎にバラバラであるため、各幕の連関性が弱く見えます。だからせっかくの通し上演なのに、「いつもの見取り狂言を筋の順番に並べてみました」みたいな印象になってしまって、通し上演の一貫性なんて眼中にないかの如く見えるのは困ったことだと思います。通しを見終わって「あの役者の・ここが良かった・悪かった」的な感想は思い浮かんでは来ますが、通し上演を見たという腹応えがいまひとつなのは如何ともし難い。

まあそう云うことではありますが、せっかくの通し上演なのですから、普段の見取り上演とはひと味違うところを見たいものです。普段は出せない場面が出るということも、通しでは大事なことになると思います。例えば「菅原」ならば天拝山など見たいものです。北嵯峨も出れば後の寺子屋が違って見えるかも知れません。それはそうなのだが、歌舞伎座の現行の昼夜二部制では、今回の場割りでも時間的に精一杯である現実は受け入れなければなりません。だから通しは今回の場割りで仕方がない(天拝山は別の機会に見たいものです)。けれども、例えば佐太村で桜丸が切腹する未来を見据えた上で加茂堤や車引での桜丸をどのように構築していくか、或いは寺子屋で源蔵が小太郎を斬らざるを得なくなる未来を見据えた上で筆法伝授での源蔵をどのように描くか、こういうことは普段は文献などから知識として得るしかないわけですから、そういうことを同じ役者が全幕通して同じ役を演じてみて、役者は役の性根を立体化する・観客も通しの舞台を見てそれを実感する、そうなるための通し上演であって欲しいものですね。芝居は興行ではあるけれど、同時に伝承継承を実践する場でもあるのですから。(この稿つづく)

(R7・9・25)


2)早春の天気はいつも不安定

加茂堤はうららかな早春の一時(ひととき)。歌舞伎では省かれることが多いです(今回も省かれています)が、冒頭では松王・梅王が並んでうたたねしています。主人が下加茂神社に参拝している時が牛飼舎人(いわばお抱え運転手)の彼らにとって休息時間です。桜丸はまだここに来ていませんが、この仲の良い三つ子の兄弟が敵味方に分かれて反目することになろうとは、想像も出来ません。しかし、早春の天気はいつも不安定なものです。あんなに穏やかで暖かかったのが、一天にわかにかき曇り、冷たい雨風が吹いて花を散らしてしまうなんてこともしばしばです。今日の加茂堤もやがてそうなるのです。もちろん松王・梅王もそんなことを夢にも思っていません。省かれた冒頭部は、宮廷の醜い政治闘争に名も無い庶民が無残に巻き込まれていくことになる「菅原」のドラマの、その寸前の・束の間の平和な一時を描いているのです。

加茂堤で大事なことは、一見のどかで平和な風景の背後に、絶えずドス黒い政治的陰謀が蠢(うごめ)いていることを感じ取ることです。後続する道明寺・佐太村・寺子屋についても、このことが大事なことになって来ます。明るく平和であった光景は一瞬にして色を変え、悪意と憎しみを剥き出しにします。穏やかな春の日が突然嵐に変わってしまうように。嵐の様相はここまで表面に現れていなかっただけのことで、実は虎視眈々とチャンスを伺っていたのです。この時、悪意ははっきり形を成して・菅丞相に襲い掛かります。三つ子の兄弟も政治闘争の渦に否応なく巻き込まれて行きます。そのなかで彼らはどう義を貫いて、おのれの本分を立てようというのか、三つ子の兄弟にこのことが問われます。「菅原」はそのようなドラマなのです。加茂堤は軽い場のように見えますが、道明寺にとっても・佐太村にとっても・寺子屋にとっても、実は加茂堤がとても重要です。「菅原」を通し上演する時には常にこのことを意識せねばなりません。

今回(令和7年9月歌舞伎座・「菅原」通し)の加茂堤は、A・Bプロ共に悪い出来ではありません。けれども・それはいつもの見取り狂言として見るならば悪くないと云うことであって、この加茂堤を通し狂言の発端として見た場合に物足りなく感じるのは、斎世親王と苅屋姫のおぼこい恋の取り持ちをした桜丸夫婦が幕切れに於いて、やってしまった事の重大さに気付き・「取返しが付かないことをしてしまった」絶望に打ちひしがれているはずなのに、舞台にそのような雰囲気があまり見えないことです。しかし、幕切れの丸本詞章を見ると、

『(八重が牛車を)押せば車もくる/\と、『廻る月日は不成就日(ふじょうび)か、お二人様の凶会日(くえにち)か、夫のためには十方暮(じっぽうぐれ)』鬼宿(きしゅく)車を押しかけて、祈る心は八専(はっせん)の、黒日(くろび)に間日(まび)の斑牛(まだらうし)、追立ててこそ・・

と云うのですから、「気分はもう最悪・・私たちとことんツイてないワ」と云うことです。これでないとドラマは後続する道明寺・佐太村・寺子屋へ繋がっていかないのだな。まあ現行歌舞伎で定型が定まっているなかでこのような不満を今回A・Bプロの若手役者諸君に言うのは酷であるかも知れないが、吉之助が頼みたいのはそう難しいことではありません。それは三善清行が登場した瞬間から舞台の空気が一変せねばならないと云うことです。それまでの穏やかな春の日が、一天にわかにかき曇り、冷たい雨風が吹き始めたと云うことです。加茂堤の幕切れをそのように見せて欲しいものです。

(R7・9・27)


 


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