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六代目時蔵のお嬢吉三

令和7年5月歌舞伎座:「三人吉三巴白浪〜大川端庚申塚」

六代目中村時蔵(お嬢吉三)、九代目坂東彦三郎(お坊吉三)、二代目中村錦之助(和尚吉三)、初代中村莟玉(夜鷹おとせ)


今回の「三人吉三〜大川端」は八代目菊五郎・六代目菊之助襲名披露興行・昼の部の内の一幕で、令和の団菊による「勧進帳」と人間国宝玉三郎を加えた大顔合わせの「三人道成寺」という二つの豪華特別料理の間に挟まれた・云わば「箸休め」の一幕ですが、立派にその役割を果たしています。緊迫したドラマの後に短い世話物の一幕でホッと一息付いた気分になりました。おかげで次の幕がゆったり愉しめました。

時蔵のお嬢吉三がとても良い出来です。黙阿弥の七五調の台詞廻しについてはサイトでは何度も言及していますが、七と五のユニットを当分に持って・七を早く五をゆっくりと・緩慢なリズムの揺れを以て発するのが正しい様式です。時蔵のお嬢の台詞廻しがそれで、「月も朧に」と淡々と連ねて「白魚の」でゆったりとリズムを揺らす、そこに月の明かりにゆらゆら揺れる大川(隅田川)の川面のイメージを重ねるのです。しかし、大抵の役者はここを同じ調子で二拍子気味に処理します。そうすると七に対して五のユニットが早く感じられて「揺れる」錯覚に陥いるかも知れませんが・実はそれはフェイクで、これは根本的にダラダラ調であって・正しい七五調の台詞廻しではないのです。この点に於いて時蔵のお嬢のツラネは模範的なものでした。ここから黙阿弥の生世話のアッサリした気分が醸し出されます。

ここで時蔵のお嬢にちょっとだけ注文を付けたいと思いますが、「月も朧に白魚の・・」の出だしは衝撃的であった・娘から盗賊への変身の衝撃は観客に十分感知されていたと思います(「ホウ上手いもんだねえ・・」という好意的な反応が客席に見えた)が、それに続くお坊とのやり取り・さらに続く和尚を加えた三人のやり取りが進むにつれて、その衝撃が次第に薄れていく気配がちょっとしますね。後半の味付けをもう少し意識的に濃い目にしてみたらどうかと感じるのです。

吉之助が思うには、多分時蔵のお嬢の行き方が本来正しいのです。幕末歌舞伎の生世話はこんな感じのアッサリ風味であったに違いない。ただし、令和の現代人はそのような生世話の写実のアッサリ風味を物足りなく感じるようになってしまいました。味の輪郭をもっとクッキリ付けた方が現代人には理解がしやすいのです。味わいとしての世話ではなく・そこを様式としての世話(芸)として・しっかり感得させてもらいたい。そんなことをチラッと思いますね。

恐らく時蔵にこの役でそこまで「あざとく」バラ描きにやって良いのかな?という遠慮がちょっとあるでしょう。その気持ちはとてもよく分かるのだが、しかし、ここは思い切って突っ込んで、女武道の延長としてのお嬢の様式性を主張してみた方が良いと思います。同じようなことを本年1月国立劇場・「彦山」通しのお園でも感じました。あの時のお園は確かに良かったけれど、もっと「あざとく」やれば・観客の受けがもっと良くなるはずです。「時蔵という役者は面白い」と云うことになる。そこは今後の時蔵のために結構大事なポイントになると思います。

彦三郎のお坊は持ち前の明瞭な台詞がこの「大川端」ではどうかな・・と見る前は思いましたが、良い出来になりました。前述の二拍子気味に出る台詞廻しですが、テンポが軽快なので・重ったるい感じにはならず、まあ南北の生世話様式に近い感じだと云えばそうとも云える台詞廻しです。これが時蔵のお嬢と良い対照を呈しました。別稿に於いて・大川端のお嬢のソングで中断されたドラマを如何にして元の流れにひき戻すかと云う問題を考えましたが、彦三郎のお坊はその一つの解答になると思います。

錦之助の和尚にはちょっと物足りないところがあります。貫禄に不足すると云うのは見掛けばかりのことを云うのではなく、お坊・お嬢に対する兄貴分なのですから、「この人に付いて行きたい」と云う大きさ・包容力みたいなものが必要です。やはり本来はお坊の人なのでしょうか。

(R7・5・21)


 


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