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二代目松緑の知盛・七代目梅幸の典侍の局

昭和51年10月国立劇場:通し狂言「義経千本桜」・第1部

                 *堀川御所-鳥居前-渡海屋・大物浦-吉野山

二代目尾上松緑(渡海屋銀平実は新中納言知盛・佐藤忠信実は源九郎狐二役)、七代目尾上梅幸(銀平女房お柳実は典侍の局)、七代目尾上菊五郎(静御前)、初代尾上辰之助(三代目尾上松緑)(源義経)、三代目河原崎権十郎(川越太郎・武蔵坊弁慶二役)、五代目坂東玉三郎(卿の君)、七代目坂東蓑助(九代目坂東三津五郎)(相模五郎)、十代目岩井半四郎(逸見藤太)他


1)スタンダードな「千本桜」

本稿で紹介するのは、昭和51年(1976)10月〜11月国立劇場で行われた通し狂言「義経千本桜」の映像で、本観劇随想ではこのうち10月の第1部、知盛の件(渡海屋・大物浦)を中心に取り上げます。国立劇場での「千本桜」は既に昭和43年(1968)3月〜4月に三代目延若(知盛・権太)・三代目猿之助(狐忠信)で通し上演を行っており、今回は二度目の通し上演になります。この「千本桜」上演の眼目は、2か月掛けて二代目松緑が三役を完演すると云うことでした。この時の松緑は63歳。当時松緑の膝の状態は既に良くありませんでしたが、狐忠信の動きは確かに危なっかしいところはありましたけれど、それを知らずに見ておれば、さほど気になることはなかろうと思います。残念ながら吉之助はこの公演を生(なま)で見ていませんが、当時NHK放送でその一部を見てよく覚えています。

今回・この「義経千本桜」通し上演映像を見直してまず感じることは、歌舞伎の「スタンダード」と云う印象ですねえ。良い舞台とか・そうでない舞台とか云うことは芝居を見れば普通に浮かぶものですけれど、「スタンダード」(標準・規範)と云う言葉はなかなか思い浮かばないものです。素晴らしい芸・上手い芸・味のある芸は、たくさん思い浮かびます。ただしその芸を真似しようと思っても、その芸の根本にあるものをしっかり踏まえないままで・その芸を表面的になぞってしまうと、却って良いことにならない場合も少なくないのです。このために芸の規格が崩れてしまうこともしばしば起こります。ところが、「何も考えなくてもいいから、兎に角この人の芸を真似して・そのままやってみろ、そこから自分なりに工夫を加えていけば良い」と言えるような、筋目が正しい、良いお手本になる芸がやはりあるのですねえ。そう云うことがいえるのが、例えば松緑の芸なのだなあと改めて思うのです。(なお誤解がないように付け加えますが、それ以外の方が筋目が正しくないなんて全然言っていません。松緑の芸が筋目正しいと云うことだけですから、そのようにお読みください。)

今回松緑の三役(知盛・権太・狐忠信)を見直しても、もちろん良いものに違いないのだけど、他のやり方もあり得るなと思うし、事実他の役者のことを考えたりもするのです。スケールが大きい・カッコいい知盛、上手い情味ある権太、動きがいい・活気ある狐忠信は、他にも大勢いると思います。別に松緑がベストの三役であるとか、そんなことを考えているわけではないのです。しかし、若い役者や・これから歌舞伎を学ぼうとする若い方に、まずはどの映像を見て「千本桜」を勉強すれば良いだろうかと問われれば、吉之助はやはりこの松緑の三役の「千本桜」映像を最初に見ることをお勧めしたいと思いますねえ。その理由は、この上演に筋目が正しい、スタンダードなものを確かに感じるからです。もちろんこの上演のスタンダードな感触は、二代目松緑だけから生まれたものではなく、七代目梅幸ほか・今回の座組みの主体となっている菊五郎劇団の面々から総体(トータル)の印象として生まれたものです。これは五代目菊五郎-六代目菊五郎の芸の系譜から来ると吉之助は考えているのですがね。つまるところは「先達の芸をトコトン信じる素直な気持ち」が大事だと云うことでしょう。

そのようなことを考えさせる映像が吉之助にはもうひとつあります。それは昭和55年11月歌舞伎座の二代目松緑の弁慶による「勧進帳」です。この上演はその後の(平成以後の)「勧進帳」の行方に決定的な影響を及ぼしたと考えます。この「千本桜」の松緑の三役についても、或る意味同様なことが云えるのではないかと思っています。(この稿つづく)

(R6・6・1)


2)その怨念の強さ

どうして二代目松緑の芸が「スタンダード」と云う印象になるかと云うと、多分それは余計な小細工をすることなく・役の本質を大掴みに観客に提示する、そう云うことが自然に出来ているからだと思います。だから受ける印象がホントに「でっかい」のです。その「でっかい」のを見ると、細部のちっちゃいことなどどうでも良くなるのです。もちろん、松緑が細かなところをやっていないのではありません。細かいところまで十分心配り出来ているのです。細かいところの積み重ねで全体が出来るわけですから、細部の寸法がしっかり決まらなければ、設計に狂いが出て全体が「でっかい」印象になるはずがない。ですから松緑の「でっかさ」は、寸法の正しい芸の積み重ねから生まれるものです。これは松緑の師である六代目菊五郎が自由自在に踊りこんで行って・舞台の端で刃一枚かっきりと踏み残したという伝説とまったく同じですね。芸の筋目の正しさの印象は、そこから来ます。

例えば「千本桜」の知盛の本質とは何でしょうか。ご承知の通り、「二段目・渡海屋〜大物浦」は謡曲「船弁慶」を本歌取りした形で出来ています。浄瑠璃作者の手腕に感嘆させられるのは、「壇ノ浦の戦いで平家一門は滅亡した」という厳然たる歴史的事実がまず在って(観客はこれを承知している)、そこに作者は「実は知盛は生きていた」という一大虚構(ウソ)を観客に突き付ける、さらにその「生きている知盛」に幽霊装束を纏わせることで・虚構(ウソ)をさらに視覚的にひっくり返して見せることです。これは観客の目の前にいる「生きている知盛」こそまさに「生ける怨霊」だと云うことなのです。「千本桜」の知盛の本質とは、「生きている怨霊」と化した知盛が、壇ノ浦の波の下に沈んだ平家一門の恨みを背負い、この恨みを今報ぜんと義経に襲い掛かる、その怨念の強さです。

松緑の知盛を見ると、その怨念の強さをしっかり捉えて・これを「でっかく」描けていれば、つまり知盛という役の本質(性根)をドーンと大きく提示出来ていれば、前後のちっちゃいことはあまり関係ないんだと云うホント当たり前のことに改めて気が付くのです。「渡海屋〜大物浦」を演じるとなると、役者はいろんなことを考えると思います。まず最初に頭に浮かびそうなことは、渡海屋前半の銀平(世話の演技)と、白装束で正体を顕わした知盛(大時代の演技)との差異(落差)を大きく付けて、「そもそもこれは桓武天皇九代の後胤・・」という知盛の登場を如何にカッコ良く見せるかと云うことだと思います。言い換えれば、これは「上手に見せてやろう、効果的に見せてやろう」という色気が心のどこかにあると云うことなのだな。これが役の印象をちっちゃくします。

渡海屋前半の銀平を松緑で見ると、まことに渋く・手堅い。もちろん世話なのだが、質感としては重めで・時代世話っぽい印象になるところが、松緑の個性かも知れませんねえ。後半の知盛との差異を強調しようとすると、銀平を世話に・どこか軽いタッチで見せようと云うことになりやすいものです。そのやり方も意図はそれなりに理解するけれども、松緑の場合、そう云うことを断固しないのですねえ。だから銀平と知盛との差異があまり付いてないように見えるかも知れませんが、銀平と知盛との間に一本筋が太くドーンと貫いたものがあるので、両者の間にブレがまったく見えない。結局、前半の銀平は世話を装っていたとしてもやはり知盛、後半に時代の素性を顕わしたようであっても知盛はやはり銀平なのです。それが舞台上で人格が二つに分かれて、ひとりは銀平・ひとりは知盛に分裂したかのように見えてしまうようではやっぱりイケナイのだと云う、芝居としてごく初歩のことを思い出させてくれます。そのことをウッカリ忘れてしまっている方は決して少なくないのではありませんか。

だからどんな役を演じる場合でも、大事なことは役の性根をきちんと押さえると云うことです。役の性根をドーンと大きく掴み取ることです。そのことが銀平-知盛という役の印象をまことに「でっかく」します。そこから細部をじっくり彫り上げて行けば良い。そのような芸の設計図を、松緑はしっかり持っているのだなあ。松緑の知盛の映像を「スタンダード」と位置付けたいのは、そのような意味に於いてです。(この稿つづく)

(R6・6・7)


3)松緑の知盛・梅幸の典侍の局

大物浦での知盛入水は、数ある歌舞伎のなかで最も壮絶なラストシーンであることは疑いありません。しかし、丸本を見ると、知盛は義経に対し最後に「昨日の仇はけふの味方、アラ心安や嬉しやな」と言っていますから、ここでの知盛の怨念は完全に消えているわけです。そうすると知盛は静かに成仏しても良さそうなものです。あのように碇を担いで「この怨念を地獄の底まで持っていく」みたいな壮絶な死に方をする必要はなさそうに思います。これは吉之助が漠然と感じていた疑問なのですが、これはこのように考えれば宜しいかなと思っています。

「平家物語」のなかでも、知盛は壇ノ浦の敗戦を悟るや「見苦しからんものまな海へ捨てさせ給え」と言って船のなかを自ら掃除してから死んでいます。史実の知盛は冷静かつ理性的な人物であったようです。一方、「千本桜」のなかの知盛は、壇ノ浦で海に沈んだ平家一門の怨念を呼び覚ましてしまいました。だから一門の御霊に対してキチンと後始末を付けてからでなければ、知盛は死ぬことは出来ないのです。知盛は次のように言います。

「われかく深手を負ふたれば、ながらへ果てぬこの知盛、只今この海に沈んで末代に名を残さん。大物の沖にて判官に仇をなせしは知盛が怨霊なりと伝へよや。サア、サヽ息のあるその内に、片時も早く帝の供奉を頼む頼む」

大物浦での戦のことは、公には「怨霊が蘇って義経を襲った」と云うことにしてくれと知盛は言うのです。「こう云う経緯で謡曲「船弁慶」が出来たのです」という逸話の解き明かしになっているわけです。「実は知盛は生きていた」という一大虚構(ウソ)を歴史の真(まこと)に返すために浄瑠璃作者が採った手続きは、「平家物語」が伝える通り知盛を再び入水させることでした。このために観客の目の前で、壇ノ浦の戦いの最後の場面をもう一度繰り返すのです。相模五郎も入江丹蔵も討ち死にしました。帝の侍女たちも次々入水して行きました。典侍の局も自害しました。これは今回の大物浦の戦さで知盛と共に戦って死んでいった者たちの霊を弔うためにも絶対に必要な手続きなのです。こうしてキチンと後始末を済ませた上で、知盛は歴史のなかへと戻って行きます。

渡海屋の銀平から大物浦での入水まで、「その怨念の強さ」で知盛という役の本質(性根)を一貫して図太く構築出来ているので、松緑の知盛はまことに安定感があります。大時代の知盛を見たなあという腹応えがずっしり来ますね。もっとキレのある・ダイナミックな知盛はあり得るかも知れませんが、揺るぎない重量感に於いて、松緑の知盛は申し分ない出来です。印象がシンプルに迫って来るのです。無駄なところを削ぎ落して本質だけ見せたような印象です。これが芸の筋目の正しさというものだなと改めて感服させられました。

松緑のこのような印象を裏書きするのが、七代目梅幸のお柳(実は典侍の局)です。渡海屋でのお柳から典侍の局への変化は衣装を替えるわけではないし、どこをどう変化させたのか判らないくらいに些細なものです。要は雰囲気の変化で見せるということですが、そのためにはお柳と典侍の局との間に一本筋が通ったもの(性根)をしっかり持たなくてはなりません。お柳は廻船問屋のお上さん(下世話)になり過ぎてはいけない。どこかに品位がなくてはなりませんが、かと云ってあれはお局さん(大時代)だと観客に判ってしまってもいけない。梅幸の場合、そこの兼ね合いがとても良いのです。松緑のどちらかと云えば時代っぽいところがある銀平に対し、梅幸のお柳はそこを自然にやんわり世話で受け止める。松緑が知盛に変わると・こうした時代の役は松緑にとってお手のものですが、梅幸の典侍の局はそこを重くなりすぎないように・これもやんわり写実で以て受け止める。どちらも同じことをしているように見えるけれども、女房役として、梅幸は二つの局面をしっかり切り分けているのです。これも六代目菊五郎の仕込みと云うことですねえ。渡海屋の舞台を見ていると、このことを痛切に思いますね。

(R6・6・12)


 

 

 


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