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ピントコナ再考〜十代目幸四郎の福岡貢

令和6年3月歌舞伎座:「伊勢音頭恋寝刃」

十代目松本幸四郎(福岡貢)、五代目尾上菊之助(今田万次郎)、五代目中村雀右衛門(油屋お紺)、二代目中村魁春(仲居万野)、六代目片岡愛之助(料理人喜助)、初代坂東弥十郎(油屋お鹿)、九代目坂東彦三郎(正直正太夫)、三代目中村又五郎(藤浪左膳)、四代目中村歌昇(奴林平)、初代坂東新悟(油屋お岸)他

*本稿は別稿「ピントコナ考」の続編的な位置付けになります。


1)どちらが貢か万次郎か

本稿は令和6年3月歌舞伎座での、幸四郎の福岡貢による「伊勢音頭恋寝刃」の観劇随想です。今回は通し上演で、序幕は相の山から宿屋・追っ駆けに、二見ヶ浦と太々講。二幕目がいつもの油屋と奥庭になります。序幕はまあこれらの場のおかげで「油屋」の理解が深まると云うほどのものでもないですが、油屋冒頭で万次郎が質に入れたと言ったはずの青江下坂の刀を貢が持って登場する経緯が太々講を見れば分かる、同じく万次郎が騙り取られたと言っている刀の折紙をどうして岩次が持っているのか相の山を見ればその経緯が分かると云うことです。序幕は伊勢の風物を巧みに散りばめて愉しめるものになっています。

本稿でまず話題としたいのは、今回(令和6年3月歌舞伎座)の「伊勢音頭」の舞台を見た人たちの間で、幸四郎が演じる福岡貢と、菊之助が演じる今田万次郎と見た目が良く似ており、どちらが貢だか万次郎だか見分けが付かぬと云う声が多いことです。確かに幸四郎と菊之助は、演じる役どころがよく似ています。実際幸四郎も菊之助もそれぞれ過去2回貢を演じたことがあり、共にニンとしては貢役者なのです。そんな二人を貢と万次郎に配したキャスティングがそもそも悪いと云うことではあるが、配役された以上はどちらが貢だか万次郎だか分からぬ事態は避けねばなりません。そこの対処が出来ておらぬと云うか、まったく考えようとしていない印象ではありますね。

まず万次郎のことですが、万次郎のキャラクターを「つっころばし」とすることに吉之助は異論がありますが、まあ巷間そのように見られていることは認めましょう。そう云う意味では菊之助は柔らか味を出そうと努めてはいますが、まだ「つっころばし」にはなっていませんね。そもそも菊之助であるとオツムが弱い人物に見えません。曽我十郎みたいな江戸和事の印象ではありますが、しかし、東京の役者が演じる万次郎としてはこれはさもありなんとは思います。したがって吉之助は、菊之助の万次郎に関してさほど問題ありと感じないのです。

どちらかと言えば問題は、描線がひ弱い幸四郎の貢の方にありそうです。幸四郎は「福岡貢」と云う役の根本を柔らか味で捉えようとしているようですねえ。貢と云う役は「ピントコナ」で、「ピントコナ」とは上方和事の「つっころばし」よりもうちょっとピンと強く・キリッとしたところがある役だと云うイメージで演じているのではないかと感じます。しかし、舞台の幸四郎の貢を見ると優美さばかり目に付きます。それにしても、「ピンと強く・キリッとしたところがある」って云うけれども、一体それがどのくらい強ければ「つっころばし」が「ピントコナ」になるのでしょうかね?幸四郎の貢を見ていると、そこの違いがサッパリ分かりません。役の性根を理屈で踏まえないでフィーリングで表現しようとするから、造形があやふやになるのではないですか。

別稿「ピントコナ考」で御師(おし・おんし)「福岡貢」という役を考えましたが、そもそも「ピントコナ」ほど由来が曖昧で・よく分からぬ用語はないと思います。例えば「名作歌舞伎全集・伊勢音頭」(東京創元社)の解説のなかで戸板康二氏は「ピントコナ」という用語を一度も使っていません。「ピントコナ」では貢という役を論じることは出来ない・だから「ピントコナ」という用語で説明をしないと云う姿勢は、これもひとつの見識ではないかと思いますね。(この稿つづく)

(R6・5・19)


2)肩が凝る油屋

大正から戦前昭和にかけての代表的な貢役者と云えば、もちろん十五代目羽左衛門です。その羽左衛門がこんなことを語っています。

『今度の油屋は、なかなか体にこたえるね。御覧の通りこの役は三方四方から悪態をつかれて、我慢に我慢した揚句に怒って十人斬りをするんだから、始終体に力を入れてイキむため、首から肩の辺がおッそろしく硬張(こわば)って仕様がないんだ。それで時々按摩に揉ませるんだが、何せチイッと無理だね。』(十五代目市村羽左衛門:芸談・「演芸画報」・昭和8年7月号)

ちなみに羽左衛門もこの芸談のなかで「ピントコナ」という用語を一度も使っておりませんね。羽左衛門が演じる貢はその優美さと云うか・柔らか味が確かに印象的であったでしょう。そのような羽左衛門の貢の優美なイメージが現行歌舞伎に伝承されているわけですが、上記の芸談から読み取れることは、そのような貢の柔らか味と云うのは表面上そう繕っているだけのことで、実は貢の内面は「おッそろしく硬張っている」と云うことです。何故ならば、油屋で貢は三方四方から悪態をつかれているからです。お鹿に・万野に・同席した酔客・店の者、それにあろうことか愛しいお紺からも冷たいあしらいを受けています。それでも貢はじっと我慢をするのです。そこはもちろんお紺の手前もありますが、もうひとつは、貢が御師であるからです。御師というのはよく分からぬ職業ですが、特定の寺社に属して・参拝客の参詣・宿泊などの世話をする者のことです。だから大きな寺社には御師がいたものですが、特に伊勢御師が有名でした。伊勢神宮のお膝元である古市遊郭でトラブルを引き起こしたら、御師はもう関係先で仕事が出来なくなってしまいます。だから例えどんなに不愉快なことがあっても、感情を顕わにすることは決して出来ません。そこをグッと堪えに堪えて、お愛想笑いを浮かべながら、その場をやり過ごそうとします。我慢するのは仕事のためです。しかし、我慢に我慢を重ねた無理のツケが貢の身体に現れます。だから「始終体に力を入れてイキむから、首から肩の辺がおッそろしく硬張って仕様がない」ということになるのです。

つまり羽左衛門の貢は柔らか味がとても素敵であったと云うのは・それは表面上「そのように見せていた」と云うことであって、貢の性根が全然違うのです。貢の内面はイライラ・ジリジリしていて、いつ爆発するか分かりません。つまり貢という役の本質は、「私が今ここで見せている様相は、私が本当に感じていること(真実の私)ではない」と云うところにあるのです。だから貢のなかの真実でないもの(優美さや柔らかみ)に焦点を合わせると間違えることになります。羽左衛門が貢の性根を如何に正しく掴んでいるかは、羽左衛門が「首から肩の辺がおッそろしく硬張って仕様がない」と証言していることから明らかです。同じ芸談のなかで羽左衛門はこんなことも語っていますね。

『一体この福岡貢という役は妙な人間に出来てるね。始めの相の山で万次郎の身を引き受ける二枚目役で、次の太々講の場ではデレデレした和事師。そして油屋では辛抱立役となるんだから、通しになるとこの仕訳が肝腎なんだね。』(十五代目市村羽左衛門:芸談・「演芸画報」・昭和8年7月号)

実は「伊勢音頭」を通しで見ると各場での貢の人物が一貫しない。そこが本作の難あるところなのですが、ドラマは油屋での十人斬りに向けて展開していくのですから、ここで押さえておくべきは、「油屋での貢は辛抱立役」と云うことだと思いますね。江戸の役者には御師という職業がどんなものであるか、正確なところは分かりませんでした、だから江戸歌舞伎での福岡貢は、ほぼ辛抱立役のイメージで捉えられてきたと云うことなのです。(この稿つづく)

(R6・5・20)


3)ピントコナ再考

寛政8年(1796)5月4日夜、伊勢古市の遊郭油屋で殺傷事件を引き起こした孫福斎(まごふくいつき)は町医者でした。「伊勢音頭恋寝刃」では主人公福岡貢の職業を御師へ置き換えています。伊勢らしい設定にしようと云う意図だったのかも知れませんが、江戸の役者には御師という職業がよく分かりませんでした。武士ではないが・町人でもなく・さりとて神主とも言えないと云う・よく分からないのが御師なのです。ところで折口信夫がこんなことを言っているのを見付けました。

『脚本には太々講を描いたので、結局貢が御師らしく見えますが、全体を通じても、別に御師としての切実性がないじゃありませんか。謂わば当時としては戯曲質のない職業だったのでしょうね。だから舞台としては侍となっても仕方がないでしょう。事実、誰がやったところで侍になるのです。御師はどういう引き出しに操ったらよいか、役者も知らないのです。ただ侍らしくして侍らしくない処がちょいちょい出ればよいというようなつもりでいたのでしょう。だから何だか似せ婿みたいなものになります。(中略)だが、従来の侍式の行き方と言葉となら、貢の偶像が壊れます。』(折口信夫:「合評会・伊勢音頭」・「演劇研究」第1号・昭和23年9月)

ちなみにこの合評会(池田弥三郎・久保田万太郎・戸板康二・戸部銀作など錚々たる面々)でも誰も「ピントコナ」という用語を使っていません。折口がここで言っていることは、芝居に於いては、結局御師の根本的なイメージを武士に置かざるを得ないと云うことです。ただし厳密には武士ではないので、武士らしくないところがちょいちょい出る、そう云うところで町人とか神職の風がちょっと出せればそれで良いと云うことです。

ところで、ここで折口が「似せ婿みたいなもの」とポロリと漏らしていますけれど、どうして折口が「似せ婿」なんてことを言ったのか、この座談会だけだと全然分かりませんねえ。しかし、別稿「ピントコナ考」でも引用しましたが、「折口信夫坐談」のこの箇所を読めば分かります。戸板氏は気が付いたと思います。

『ある日、(折口信夫)先生は、「ピントコナがわかったよ」といわれた。(中略)昔話の馬鹿むこの話で、団子を買いにゆく途中、団子ということばを忘れては大変なので、団子、団子と口のなかでいいながら歩いてゆくと、往来に水たまりがあり、「ポイトコナ」といって飛びこえて、それからポイトコナ、ポイトコナと口のなかでいってゆくという話、あれからきているらしい。そういう話であった。つまり、馬鹿むこのような役柄という風な意味の、ピントコナなのだという解釈なのである。』(戸板康二:「折口信夫坐談」)

「折口信夫坐談」では、「馬鹿むこ」とあります。合評会では折口は「似せ婿」と言っていますが、これは同じことです。二つの発言を読み合わせて、吉之助はようやく折口が言いたいことを合点しました。武士ではないが・町人でもなく・さりとて神主とも言えないと云う・実体のよく分からない御師の曖昧なイメージ、何かの局面にぶち当たると「ピントコナ」といって飛び越えて、私は武士だと云えばそのように変わる、私は町人だと云えばそのように、私は神主だと云えばそのように、脈路なく自分の見た目のイメージをコロコロ変えてしまうのが「似せ婿」、つまりそれがピントコナなのだと折口は言いたいのであろうと吉之助は納得しました。

ただし大事なところは、変転するのは「見た目のイメージ」のことだけであって、福岡貢という男の真実(性根)が変転するわけではないと云うことです。やはり芝居での貢の性根の根本は、武士(辛抱立役)に置かざるを得ないだろうと思います。(この稿つづく)

(R6・5・21)


4)貢の性根

福岡貢の印象がくるくる変わるのは「見た目」だけのことで、貢という男の真実(辛抱立役の性根)が変わるわけではないのです。貢は内心のイライラを押し隠し、お愛想笑いを浮かべますが、貢の内面は「恐ろしく硬張って」います。すなわち貢という役の本質は、「私が今ここで見せている様相は、私が本当に感じていること(真実の私)ではない」で一貫していると云うことです。

ところで別稿「和事芸の起源」において、上方和事の「やつし」の芸では滑稽な要素とシリアスな要素が交互に揺れるように出て来ることを指摘しました。その技法が表現するものは「今の私がしていることは、本当に私がしたいことではない」と云う鬱屈した気分にあります。

ここでやっと貢という役と上方和事が交錯することになりました。「伊勢音頭」は寛政8年(1796)7月大坂角の芝居での初演(作者は近松徳三)ですが、貢が上方生まれのキャラクターだから和事の気分を引き継いだと云う単純な筋道(プロセス)ではないだろうと思います。柔らかで滑稽な印象の伊左衛門(廓文章)が和事の代表的なキャラクターであることは、これは普通に理解が出来ます。しかし、貢が上方和事で処理されなければならない「劇的必然」は、優美さ・柔らかさから発想すると理解が難しい。そこはやはり「今の私がしていることは、本当に私がしたいことではない」という和事の本質を踏まえなければ納得が出来ません。

このことは深いところで当時の庶民の鬱屈した気分を反映してもいます。松平定信の寛政の改革は天明7年(1787)から寛政5年(1793)まで行われました。おかげで景気はすっかり冷え込んでしまって、庶民の反発を買ってしまいました。三方四方から悪態をつかれて我慢する貢が最後にブチ切れて刀を振り回すのを見て、「おい貢よ、何で怒らへんねん、はっきりせんかい」とそれまでジリジリしていた観客のストレスが、ここで一気に開放されます。これが「伊勢音頭」が一躍人気作となった背景です。大きな声では云えないけれど、みんな世の中にイライラしていたと云うことですね。

ひとつの問題は、その後の歌舞伎のなかで、上方和事の本質が忘れ去られて、和事がその優美で柔らかいイメージで表層的に受け取られる風潮になってきたことです。そんなところから「色男、金と力はなかりけり」という「つっころばし」のイメージが、和事の一般的な理解になって行きます。このため貢の役作りも優美さをベースにするかの如くに受け取られていますが、そこに大きな誤解があると思いますね。五代目菊五郎にしても・十五代目羽左衛門にしても、確かに優美な印象が残ったに違いありませんが、歴代の貢役者と云われた名優たちは、みな辛抱立役としての貢の性根をしっかり押さえていたのです。十五代目羽左衛門が五代目菊五郎の貢をこのように回想しています。

『五代目の貢はよかったね。万野を斬って行灯に寄って刀を振り上げた姿など、今に目についているね。それに万野を斬ってからの目色が変わって実際凄みがあったぜ。よく「殺気をふくむ」などと本に書いてあるが、五代目のあれなんざアほんとにそう思えるね。』(十五代目市村羽左衛門:芸談・「演芸画報」・昭和8年7月号)

だから貢の十人斬りが「殺気をふくむ」本気のものでなければならぬのは、当然のことなのです。(この稿つづく)

(R6・5・24)


5)縁切り物の骨格

以上でピントコナの考察をひとまず終えることにしますが、幸四郎の貢は、上方和事の「つっころばし」的な優美さ・柔らか味をベースにしているため、貢の性根がひ弱く見えるきらいがありますね。これだと「油屋」の縁切り物の骨格が明確になって来ないのです。と云うか・これは作品自体に若干問題があるということですが、いろいろ尾ひれが付いて筋が錯綜しているため縁切り物の骨格がストレートに浮かび上がって来ない、そのような作品の弱みは役者が補わねばならぬところで(もちろんこれは貢だけの仕事でありません)、「油屋」がしっかり縁切り物であることを示さねばなりません。今回(令和6年3月歌舞伎座)の舞台でもその形をもっと太い印象で明確に示して欲しいと思います。もちろんこれは幸四郎の貢だけの課題ではありませんが。

縁切り物の骨格と云うのは、縁切り場の男と女は相思相愛であり、女は或る事情のため愛想尽かしをせねばならぬのですが、実はそれは愛する男のための行為であったと云うことです。一方男の方は女に裏切られると夢にも思っていない。だから最初はこれを笑って受け流そうとしますが、次第に愛想尽かしが本気だと思えてきて、男は冷静で居られなくなります。これが縁切り物のポイントですが、もうひとつ大事なことは、縁切りのドラマは必ず殺し場へと続くことです。怒った男が女を殺してしまった後、事の真相が明らかになる、男は女の真(まこと)の愛情を知るのです。

「油屋」は筋が錯綜しているし・最後にお紺が殺されないので、上記のような縁切り物のパターンに完全に乗っているわけではないのです。実説の油屋騒動でもお紺は助かっています。作者もそこは変更出来なかったでしょう。しかし、芝居を見ながら観客は縁切り物のパターンを自然と踏まえ「油屋」の結末を推測します(或いは期待します)し、或いは作者が観客のそのような心理を巧みに利用したとも考えられます。「伊勢音頭」の異本にはお紺が貢に殺されるバージョンもあるそうですが、これは縁切り物本来のパターンを踏まえるならば当然そうなるべきものです。折口信夫は次のように語っています。

『脚本に随順して読んでいくと、お紺は余程えらい女で、貢と添われない宿命のもとに生きているのだと言うような風に解しなければならぬように、表現が向いている。それに(七代目)梅幸の演出がやはりそう言う方向へ向いている。今までのお紺に感じなかったことで、どうもやはり、この人がよく読んで演じていると言う気がする。しかし、そうすると、貢に殺されることを待つと言う風に書かれ、演ぜねばならぬのが、昔の芝居なのです。(中略)私などは、お紺も殺される昔に見た芝居の印象が強かったので、お紺の助かった舞台は、幾度見てもああ好かったという気がする。』(折口信夫:「合評会・伊勢音頭」・「演劇研究」第1号・昭和23年9月)

今回(令和6年3月歌舞伎座)の舞台では、「油屋」が縁切り物であることをしっかり示すため、幸四郎の貢は辛抱立役としての性根をもっと太く持って欲しいと思います。雀右衛門のお紺は、哀れさもあって一応のことは出来ていますが、悲壮感とでも云いますか、「愛する男のために私は死ぬ覚悟」というところまでは行っていなかった気がします。魁春の万野は、手順はもちろん六代目歌右衛門に拠っているわけですが、苛めの粘着質的な感触で歌右衛門に互するのはなかなか難しいことだけれど、縁切り物の骨格を明らかにするために万野の役割は大きいと思います。

(R6・5・26)


 

 


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