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「仮名手本忠臣蔵」・五段目・六段目 床本

五段目(山崎街道出会いの段二つ玉の段)、六段目(身売りの段早野勘平腹切の段


五段目 

山崎街道出会いの段

 

立ち出づる。鷹は死しても穂は摘まずと、たとへに洩れず入る月や、日数も積もる山崎の、辺りに近き侘び住居、早野勘平若気の誤り、世渡る元手細道伝ひ、この山中(やまなか)の鹿(しし)猿を、撃つて商ふ種ケ島も、用意に持つや袂まで、鉄砲雨のしだらでん。誰が水無月と夕立の、晴れ間をこゝに松の蔭。向ふより来る小提灯、これも昔は弓張の、灯火消さじ濡らさじと、合羽の裾に大雨を、凌ぎて急ぐ夜の道、
「イヤ申し申し、卒爾ながら火を一つ御無心」
と立ち寄れば、旅人もちやくと身構へし、
「ムヽ、この街道は不用心と知つて合点の一人旅。見れば飛道具の一口商ひ。得こそは貸さじ出直せ」
と、びくと動かば一討と、眼を配れば、
「イヤア成程、盗賊とのお目違ひ御尤も千万。我れらはこの辺りの狩人なるが、先程の大雨に、火口も湿り難儀至極。サア鉄砲それへお渡し申す。自身に火を付け御貸し」
と、他事なき詞顔付を、きつと眺めて、
「和殿は早野勘平ならずや」
「さ言ふ貴殿は千崎弥五郎」
「これは堅固で」
「御無事で」
と、絶えて久しき対面に、主人の御家没落の、胸に忘れぬ無念の思ひ、互ひに拳を握り合ふ。勘平は差し俯き、暫し詞もなかりしが。
「エヽ、面目もなき我が身の上、古朋輩の貴殿にも、顔も得上げぬこの仕合せ、武士の冥加に尽きたるか。殿判官公の御供先、御家の大事起こりしは、是非に及ばぬ我が不運。その場にもあり合はせず、御屋敷へは帰られず、所詮時節を待つて御詫びと、思ひの外の御切腹。南無三宝、皆師直めが為す業。せめて冥途の御供と、刀に手は掛けたれど、何を手柄に御供と、どの面提げて言ひ訳せんと、心を砕く折から、密かに様子を承はれば、由良殿御親子、郷右衛門殿を始めとして、故殿の欝憤散ぜんため、寄り寄りの思し召し立ちあるとの噂。我れらとても御勘当の身と言ふでもなし、手掛り求め由良殿に対面遂げ、御企ての連判に御加へ下さらば、生々世々の面目。貴殿に逢ふも優曇華(うどんげ)の、花を咲かせて侍の、一分立てゝ給はれかし。古朋輩のよしみ武士の情、御頼み申す」
と両手を付き、先非を悔いし男泣き、理りせめて不憫なる。弥五郎も朋輩の、悔み道理と思へども、大事をむさと明かさじと、
「コレサコレサ勘平。はてさて、御手前は身の言ひ訳に取り混ぜて、御企てのイヤ連判などとは何の戯言(たわごと)。左様の噂かつてなし。某は由良殿より郷右衛門殿へ急ぎの使ひ。先君の御廟所へ、御石碑を建立せんとの催し。しかし、我々とても浪人の身の上。これこそ塩谷判官の御石塔と、末の世までも人の口の端(は)にかゝるもの故、御用金を集むるその御使ひ。先君の御恩を思ふ人を選り出すため、わざと大事を明かされず。先君の御恩を思はゞ、ナ、ナ、合点か」
と、石碑になぞらへ大星の、企みを余所(よそ)に知らせしは、実に朋輩のよしみなり。
「ハヽア、忝ない弥五郎殿。成程、石碑と言ひ立て御用金の御拵へある事、とつくに承はり及び、某も何とぞして御用金を調へ、それを力に御詫びと、心は千々(ちぢ)に砕けども、弥五郎殿、恥づかしや主人の御罰で今このざま。誰れにかうとの便りもなし。されどもかるが親与市兵衛と申すは頼もしい百姓。我々夫婦が判官公へ不奉公を悔み嘆き、何とぞして元の武士に立ち返れと、伯父姥共に嘆き悲しむ。これ幸ひ、御辺に逢ひし物語、段々の子細を語り、元の武士に立ち返ると言ひ聞かさば、わづかの田地も我が子のため、何しに否は得も言はじ。御用金を手掛りに郷右衛門殿までお取次ぎ、一入(ひとしお)頼み存ずる」
と、余儀なき詞に、
「ムヽ成程、然らばこれより郷右衛門殿まで、右の訳をも話し、由良殿に願ふて見ん。明々日必ずきつと御返事。すなはち郷右衛門殿の旅宿の所書き」
と、渡せば取つて押し頂き、
「重々のお世話忝なし。何とぞ急に御用金を拵へ、明々日御目に掛からん。某が在所御尋ねあらば、この山崎の渡し場を左へ取り、与市兵衛と御尋ねあらば、早速相知れ申すべし。夜更けぬうちに早くも御出で。アヽコレ、この行先はなほ物騒、随分ぬかるな」
「合点々々。石碑成就するまでは、蚤にも食はさぬこの身体。御辺も堅固で、御用金の便りを待つぞ。さらば」
「さらば」
と両方へ、立ち別れてぞ
 


二つ玉の段

 

急ぎ行く。またも降り来る雨の足、人の足音とぼとぼと、道は闇路に迷はねど子故の闇につく杖も、直ぐなる心堅親仁(かたおやじ)、一筋道の後から、
「オーイ、オーイ。オイ親父殿、先にから呼ぶ声が、貴様の耳へは這入らぬか。この物騒な街道を、よい年をして大胆々々。連れにならう」
と向ふへ廻り、ぎよろつく眼玉、ぞつとせしが、さすがは老人、
「これはこれはお若いに似ぬ御奇特な。私もよい年をして一人旅は嫌なれど、サアいづくの浦でも金程大切な物はない。去年の年貢に詰まり、この中から一家中の在所へ無心に往たれば、これもびた平なか才覚ならず。埒の明かぬ処に長居はならず、すごすご一人戻る道」
と、半分言はさず、
「ヤイヤイ喧しい。有様が年貢の納まらぬ、その相談を聞きには来ぬ。コレ親仁殿、俺が言ふ事とくと聞かしやれ、マアかうぢやわ。こなたの懐に金なら四五十両の嵩、縞の財布にあるのを、とつくりと見付けて来たのぢや。貸して下され、貸して下され。男が手を合はす。定めて貴様も何ぞつまらぬ事か、子が難儀に及ぶによつてといふ様な、ある格な事ぢやあろうけれど、俺が見込んだら、ハテしよ事がないと諦めて、貸して下され、貸して下され」
と懐へ手を差し入れ、引ずり出だす縞の財布、
「アヽ申し、それは」
「それはとは、これ程こゝにあるもの」
と、ひつたくる手に縋り付き、
「イエイエ、この財布は後の在所で草鞋買ふとて端銭(はしたぜに)を出しましたが、後に残るは昼食(ちゅうじき)の握り飯。霍乱(かくらん)せん様にと娘がくれた和中散、反魂丹(はんごんたん)でござります。お許しなされて下さりませ」
とひつたくり、逃げ行く先へ立ち廻り、
「エヽ聞き分けのない。酷い料理するが嫌さに、手緩う言へばつけ上がる。サア、その金こゝへ捲き出だせ。遅いとたつた一討ち」
と、二尺八寸拝み討ち、
「ノウ悲しや」
と言ふ間もなく、唐竹割りと切り付くる、刀の廻りか手の廻りか、外れる抜身を両手にしつかと掴み付き、
「どうでもこなた、殺さしやるの」
「オヽ、知れた事。金のあるのを見てする仕事。小言吐かずとくたばれ」
と、肝先へ刺しつくれば、
「マアマア待つて下さりませ、マアマア待つて下さりませ。ハア是非に及ばぬ。成程々々、これは金でござります。けれどもこの金は、私にたつた一人の娘がござります、その娘が命にも代へぬ大事の男がござりまする、その男のために要る金。ちと訳ある事故浪人して居まする。娘が申しまするは、あのお人の浪人も元は私故、何とぞして元の武士にして進ぜたい、進ぜたいと、嚊とわしとへ毎夜さの頼み。アヽ身貧にはござりまする。どうも仕覚(しがく)の仕様もなく、婆と色々談合して娘にも呑み込ませ、婿へは必ず沙汰なしと示し合はせ、ほんに、ほんに親子三人が血の涙の流れる金。それをお前に取られて娘はなんとなりませう、娘はなんとなりませうぞいの。マア一里行けば私が在所、金を婿に渡してから殺されませう。申し、申し、娘が喜ぶ顔見てから死にたうござります、これ申し。さりとてはお情けない。アヽかういふ事とは露知らず、さぞ女房子が待ちおらうと、そればつかりが気に掛かり、冥途の道をうろうろと迷ひまする」
とせき上げて、取り乱したる恩愛の、心ぞ思ひやられたり。
「貧乏寺の鐘の声、オヽ悲しいこつちやわ。もつととこぼえ、ヤイ老いぼれめ。その金で俺が出世すりや、その恵みでうぬが倅も出世するわやい。人に慈悲すりや悪うは報はぬ。アヽ可愛いや」
とぐつと突く、
『うん』
と手足の七転八倒、のたくり廻るを、脚(すね)にて蹴返し、
「オヽいとしや痛かろけれど、俺に恨みはないぞや。金がありやこそ殺せ、金がなけりやコレなんのいの。金が敵だいとしぼや。アヽ南無阿弥陀仏、南無阿弥。南無妙法蓮華経。どちらへなりと失せをろ」
と、刀も抜かぬ芋ざし抉り、草葉も朱(あけ)に置く露や、年も六十四苦八苦、あへなく息は絶へにけり。仕済ましたりと件の財布、暗がり耳の掴みよみ、
「ヤア五十両、アヽ久し振りのご対面、忝なし」
と首にひつ掛け、死骸をすぐに谷底へ、

はね込み蹴込み泥まぶれ、はねは我が身にかゝるとも知らず立つたる後より、逸散に来る手負ひ猪、
「これはならぬ」
と身をよぎる、駆け来る猪は一文字、木の根岩角踏み立て蹴立て、只一まくりに飛び行けば、
『あはや』
と見送る定九郎が、背骨をかけてどつさりと、肋へ抜ける二つ玉、ふすぼり返つて死したるは、心地よくこそ見えにけれ。
『猪撃ち留めし』
と勘平は、鉄砲引提げこゝかしこ、
「こりや人」
『天の与え』
と押し頂き、猪より先へ逸散に、飛ぶが如くに
 


六段目

身売りの段

 

立ち帰る。所も名に負ふ山崎の小百姓、与市兵衛が埴生の住家、今は早野勘平が浪々の身の隠れ里、女房おかるは寝乱れし、髪取り上げんと櫛箱の、暁かけて戻らぬ夫、待つ間もとけし投島田、結ふに言はれぬ身の上を、誰にか柘植(つげ)の水櫛に、髪の色艶梳き返し、品よくしやんと結ひ立てしは、在所に惜しき姿なり。母の齢(よわい)も杖つきの、野道とぼとぼ立ち帰り、
「オヽ娘、髪結ひやつたか。美しうよう出来た。イヤもう、在所はどこもかも麦秋時分で忙しい。今も藪隙で若い衆が麦かつ歌に、『親父出て見やばゝん連れて』と唄ふを聞き、親父殿の遅いが気に掛り、在口まで行たれど、ようなう影も形も見えぬ」
「サイナ、こりやまあどうして遅い事ぢや。わし、一走り見て来やんしよ」
「イヤノウ、若い女子一人歩くは要らぬ事。殊にそなたは小さい時から在所を歩くことさへ嫌ひで、塩谷様へ御奉公にやつたれど、どうでも草深い処に縁があるやら戻りやつたが、勘平殿と二人居やれば、おとましい顔も出ぬ」
「オヽかゝ様のそりや知れた事。好いた男と添ふのぢやもの、在所はおろかどんな貧しい暮らしでも苦にならぬ。やんがて盆になつて、『とさま出て見やかゝんつ、かゝん連れて』といふ唄の通り、勘平殿とたつた二人、踊り見に行きやんしよ。かゝさん、お前も若い時覚えがあろ」
と、差し合ひくらぬぐわら娘、気もわさわさと見えにける。
「イヤノウ、なんぼその様に面白をかしう言やつても、心の中はの」
「イエイエ、済んでござんす。主のために祇園町へ勤め奉公に行くは、かねて覚悟の前なれど、年寄つて父さんの世話やかしやんすが」
「そりや言やんな。小身者なれど兄も塩谷様の御家来なれば、外の世話する様にもない」
と親子話の中道伝ひ。駕籠を舁かせて、急ぎ来るは祇園町の一文字屋。
「サヽ駕籠の衆ござれ。コウツト、なんでもこの前来た時は、確かこの松の木から、一軒、二軒、三軒目。オヽこゝぢや、こゝぢや」
と門口から。
「与市兵衛殿内にか」
と言ひつゝ這入れば、
「これはこれは遠い処を、ソレ煙草盆、お茶あげましや」と親子して、槌で御家を白人屋の亭主、「さて、夕べはこれの親父殿もいかい大儀、別条なう戻られましたかな」「エヽ、さては親父殿と連れ立つて来はなされませぬか。これはしたり、お前往てから今にをいて」
「ヤア戻られぬか。ハテ面妖(めんよう)な。ハア、もし稲荷前をぶらついてかの玉どんに摘まりやせぬかの。コレ、この中こゝへ見に来て極めた通り、お娘の年も丸五年切り。給銀は金百両、さらりと手を打つた。これの親父が言はるゝには『今夜中に渡さねばならぬ金あれば、今晩証文を認め、百両の金子(きんす)お貸しなされて下され』と戻をこぼしての頼み故、証文の上で半金渡し、残りは奉公人と引き換への契約。何がその五十両渡すと喜んで戴き、ほたほた言ふて戻られたはもう、四つでもあらうかい。夜道を一人金持つてゐらぬものと、留めても聞かず戻られたが、但しは道に」
「イエイエ、寄らしやる所は、ノウ母さん」
「ないとも、ないとも。ことに一時も早うそなたやわしに金見せて喜ばさうとて、息せきと戻らしやる筈ぢやに、合点がいかぬ」
「イヤイノ、コレ、コレ…合点のいくいかぬはそつちの穿鑿(せんさく)。こちは下がりの金渡して、奉公人を連れて去の」
と、懐より金取り出だし、
「跡金の五十両、これで都合百両。サア渡す、受取らしやれ」
「お前、それでも親父殿の戻られぬ中は、のうかる、わが身はやられぬ」
「ハテぐづぐづと埒の明かぬ。コレ、ぐつともすつとも言はれぬ与市兵衛の印形、証文が物言ふわいの、これ証文が。今日から金で買ひ切つた体、一日違へばれこづゝ違ふ。どうでかうせざ済むまい」
と手を取つて引立つる、
「マアマア待つて」
と取り付く母親、突き退け跳ね退け、無体に駕寵へ押し込み押し込み、舁きあぐる門の口。

鉄砲に蓑笠打ち掛け、戻りかゝつて見る勘平、つかつかと内に入り、
「駕籠の中なは女房ども、コリサマアどこへ」
「オヽ勘平殿、よい所へよう戻つて下さつた」
と母の喜び、その意を得ず、
「どうでも深い訳があろ。母者人、女房ども、様子聞かう」
とお上の真中、どつかと坐れば、文字の亭主、
「ハヽア、さてはこなたが奉公人の御亭ぢやの。いやも、たとへ御亭が布袋が大黒が弁天が毘沙門でも、『許婚の夫などと、脇より違乱妨げ申す者これ無く候』と、親父の印形あるからは、こつちには構はぬ。サアサア早う奉公人を受取らうかい」
「オヽ婿殿合点が行くまい。かねてこなたに金の要る様子、娘の話で聞いた故、どうぞ調へて進ぜたいと、言ふたばかりで一銭の当てもなし。そこで親父どのの言はしやるには、ひよつとこなたの気に、女房売つて金調へ様と、サよもや思ふてではあるまいけれど、もし二親の手前を遠慮して居やしやるまいものでもない。いつそこの与市兵衛が婿殿に知らさず娘を売らう、まさかの時は切取りするも侍の習ひ、女房売つても恥にはならぬ。お主の役に立つる金、調へておましたら満更腹も立つまいと、昨日から祇園町へ折極はめに往て、今に房らしやれぬ故親子案じて居る中へ、親方殿が見へて、昨夜親父殿に半金渡し跡金の五十両と引き換へに、娘を連れて去なうと言ふてなれど、親父殿に逢ふての上と訳を言ふても聞き入れず。今連れて去なしやるところ、どうせうぞ、勘平殿」
「ハヽ、これはこれは、まづ以て舅殿の心遣ひ忝ない。したがこちにもちつとよい事があれども、マアそれは追つて、イヤコレ親父殿も戻られぬに、女房どもは渡されまい」
「とはまた何故に、とは何故に」
「ハテ、いはゞ親なり判がゝり。尤も夕べ半金の五十両渡されたでもあらうけれど」
「アヽこれいのこれ、京大坂を股にかけ女護島程奉公人を抱へる一文字屋、渡さぬ金を渡したと言ふて済むものかいの、コレ済むかいの。まだその上に慥かな事があるてや。これの親父がかの五十両といふ金を手拭にくるくると巻いて懐に入れらるゝ。『アヽそりや危ない危ない、そりや危ない。これに入れて首に掛けさつしやれ』と、俺が着てゐる、かう、かうかうこの単物(ひとえもの)の縞の切れで拵へた金財布貸したれば、やんがて首にかけて戻られう」「ヤアなんと、こなたが着てゐるこの縞の切れの、金財布か」
「オヽてや」
「あの、この縞でや」
「なんと、慥かな証拠であらうがな」
と、聞くより
『ハツ』
と勘平が肝先にひしと堪へ、傍辺りに目を配り、袂の財布見合はせば、寸分違はぬ糸入り縞。
『南無三宝、さては夕べ鉄砲で撃ち殺したは舅であつたか、ハア、ハツ』
と、我が胸板を二つ玉で撃ち抜かるゝより切なき思ひ、とは知らずして女房、
「コレこちの人、そはそはせずと、遣るものか遣らぬものか、分別して下さんせ」
「ム成程。ハテもうあの様に慥かに言はるゝからは、行きやらずばなるまいか」
「アノ父つさんに逢はいでもかえ」
「アヽイヤイヤ、親父殿にも、今朝ちよつと逢うた、が戻りは知れまい」
「フウ、そんなりや父つさんに逢ふてかえ。それならさうと言ひもせで、母さんにもわしにも案じさしてばつかり」
と言ふに文字も図に乗つて、
「それを見みいなどうどすえ。七度尋ねて人疑へぢや。親父の在り所の知れたので、そつちもこつちも心が良い。まだこの上にも四の五のあれば、いやともにでんど沙汰。マアマアさらりと済んでめでたい、めでたい、ハヽヽヽヽ。ヤコレお袋も御亭も六条参りしてちと寄らしやれ。サアサアお娘、早く駕籠に乗りや、乗りや。エヽ乗りやいのう」
「アイ、アイ。これ勘平殿、もう今あつちへ行くぞえ。年寄つた二人の親達、とうでこなさんのみんな世話。取り分けて父つさんはきつい持病。気を付けて下さんせ」
と、親の死に目を露知らず、頼む不便さいぢらしさ、
『いつそ打ち明けありのまゝ、話さんにも他人あり』
と、心を痛め堪へ居る。
「オヽ婿殿、夫婦の別れ暇乞がしたかろけれど、そなたに未練な気も出よかと思ふての事であらうぞいのう」
「イエイエ、なんぼ別れても、主のために身を売れば、悲しうもなんともない。わしや勇んで行く。母さん、したが父つさんに逢はずに行くのが」
「オヽ、それも戻らしやつたらつひ逢ひに行かしやろぞいの。煩はぬ様に灸据ゑて、息災な顔見せに来てたも、ヤ」
「アイ」
「ヤ」
「アイ」
「ヤ、ヤ、ヤ」
「アイナア」
「鼻紙扇もなけりや不自由な。なんにもよいか。ソレとばついて怪我しやんな」
と、駕籠に乗るまで心を付け、
「さらばや」
「さらば」
「なんの因果で人並な娘を持ち、この悲しい目を見る事ぢや」
と、歯を食いしばり泣きければ、娘は駕籠にしがみつき、泣くを知らさじ聞かさじと、声をも立てず咽せ返る。情なくも駕籠舁き上げ、道を
 


早野勘平腹切の段

 

 早めて急ぎ行く。母は後を見送り見送り、
「アヽよしない事言うて娘もさぞ悲しかろ。オヽこな人わいの、親の身でさへ思ひ切りがよいに、女房の事ぐづぐづ思ふて煩うて下さんなや。この親仁殿はまだ戻らしやれぬ事かいなう。こなた逢うたと言はしやつたの」
「成程」
「そりやマア何処らで逢はしやつて、何処へ別れて往かしやつた」
「されば、別れたその処は、鳥羽か伏見か淀竹田」
と、口から出次第めつぽう弥八、種が島の六、狸の角兵衛、所の狩人三人連れ、親仁の死骸に蓑打ち着せ戸板に乗せ、どやどやと内に入り、
「夜山仕舞うて戻りがけ、これの親仁が殺されてゐられた故、狩人仲間が連れて来た」
と、聞くより
『ハツ』
と驚く母、
「何者の仕業、コレ婿殿、殺した奴は何者ぢや、敵を取つて下されなう。コレノウ親仁殿、親仁殿」
と、呼べど叫べどその甲斐も、泣くより他の事ぞなき。狩人共口々に、
「オヽお袋、悲しかろ。代官所へ願うて詮議して貰はしやれ。アヽ笑止々々」
と打ち連れて、皆々我が家へ立ち帰る。母は涙の隙よりも、勘平が傍へ差し寄つて、
「コレ婿殿、よもや、よもや、よもや、とは思へども合点が行かぬ。なんぼ以前が武士ぢやとて、舅の死目見やしやつたらびつくりもしやる筈。こなた、道で逢うた時金受取りはさつしやれぬか。親仁殿が何と言はれた、サ言はつしやれ、言はつしやれ。サ何と、どうも返事はあるまいがの。ない証拠は、コレこゝに」
と、勘平が懐へ手を差し入れて引き出だすは、
「さつきにちらりと見ておいたこの財布。コレ、この様に血の付いてあるからは、こなたが親仁殿を殺したの」
「ヤ、それは」
「それはとは、それはとは、エヽわごりよはなう。隠しても隠されぬ、天道様が明らかな。親仁殿を殺して取つたその金や、誰に遣る金ぢや。聞こえた。身貧な舅、娘を売つたその金を、中で半分くすねておいて、皆遣るまいかと思ふてコリヤ、殺して取つたのぢやなア。今といふ今迄、律儀な人ぢやと思うて、騙されたが腹が立つわい。エヽこゝな人でなし、あんまり呆れて涙さへ出ぬわいやい。なう愛しや与市兵衛殿、畜生の様な婿とは知らず、どうぞ元の侍にしてやりたいと、年寄つて夜も寝ずに、京三界を駆け歩き、珍財を投げうつて世話さしやつたも、かへつてこなたの身の仇となつたるか。飼ひ飼ふ犬に手を喰はるゝと、ようもようもこの様に、惨たらしう殺された事ぢやまで。コリヤこゝな鬼よ蛇よ、父様を返せ、親仁殿を生けて戻せやい」
と、遠慮会釈もあら男の、髻を掴んで引き寄せ引き寄せ叩き付け、
「づだづだに切りさいなんだとて、これで何の腹が癒よ」
と、恨みの数々口説き立て、かつぱと伏して泣きゐたる。身の誤りに勘平も、五体に熱湯の汗を流し、畳に喰ひ付き天罰と、思ひ知つたる折こそあれ。深編笠の侍二人、
「早野勘平在宿をし召さるゝか、原郷右衛門、千崎弥五郎、御意得たし」
と訪へば、折悪けれども勘平は、腰ふさぎ脇挟んで出で迎ひ、
「これはこれは御両所共に見苦しきあばら家へ御出で、忝なし」
と、頭を下ぐれば郷右衛門、
「見れば家内に取り込みもあるさうな」
「アヽイヤ、もう些細な内証事。御構ひなくともいざまづあれへ」
「然らば左様に致さん」
と、ずつと通り座に着けば。二人が前に両手を付き、
「この度、殿の御大事に外れたるは拙者が重々の誤り、申し開かん詞もなし。何卒某が科御許しを蒙り、亡君の御年忌、諸家中諸共相勤むる様に、御両所の御取り成し、偏へに頼み奉る」
と、身をへり下り述べければ。郷右衛門取りあへず、
「まづもつてその方、貯へなき浪人の身として、多くの金子御石碑料に調進せられし段、由良助殿甚だ感じ入られしが、石碑を営むは亡君の御菩提、殿に不忠不義をせしその方の金子を以て、御石碑料に用ひられんは、御尊霊の御心にも叶ふまじとあつて、ナソレ金子は封の儘相戻さるゝ」
と、詞の中より弥五郎懐中より金取り出だし、勘平が前に差し置けば、
『ハツ』
とばかりに気も顛倒(てんどう)、母は涙と諸共に、
「コリヤこゝな悪人面、今といふ今、親の罰思ひ知つたか。ハイ、皆様も聞いて下さりませ。親仁殿が年寄つて後生の事は思はず、婿の為に娘を売り、金調へて戻らしやるを待ち伏せして、アヽアレあの様に殺して取つた金ぢやもの、天道様がなくば知らず、何で御用に立つものぞ。親殺しの生き盗人に罰を当てゝ下されぬは、神や仏も聞こえませぬ。あの不孝者、御前方の手に掛けて、なぶり殺しにして下され。わしや腹が立つわいの」
と、身を投げ伏して泣きゐたる。聞くに驚き両人刀追つ取つて弓手馬手に詰め掛け詰め掛け、弥五郎声を荒らげ、
「ヤイ勘平、非義非道の金取つて身の科の詫びせよとは言はぬぞよ。わが様な人非人、武士の道は耳にも入るまい、親同然の舅を殺し、金を盗んだ重罪人は大身槍の田楽刺し、拙者が手料理振舞はん」
と、はつたと睨めば郷右衛門、
「渇しても盗泉の水を飲まずとは義者の戒め。舅を殺し取つたる金、亡君の御用金になるべきか。生得汝が不忠不義の根性にて、調へたる金と推察あつて、突き戻されたる由良助殿の眼力、ハヽ天晴れ天晴れ。さりながら、ハア情けなきはこの事世上に流布あつて、塩谷判官の家来早野勘平、非義非道を行ひしといはゞ、汝ばかりが恥ならず、亡君の御恥辱と知らざるか。こなこな、こなこなこな、うつけ者めが。勘平、コレサ勘平、御身はどうしたものだ。左程の事の弁へなき、汝にてはなかりしが、いかなる天魔が魅入りし」
と、鋭き眼に涙を浮かめ、事を分け理を責むれば、堪り兼ねて勘平諸肌押し脱ぎ脇差を、抜くより早く腹へぐつと突き立て、
「ム、いづれもの手前面目もなき仕合はせ、拙者が望み叶はぬ時は切腹と兼ねての覚悟、わが、わが舅を殺せし事、亡君の御恥辱とあらば一通り申し開かん、両人共にまづ、まづまづ、まづまづまづ聞いてたべ。夜前弥五郎殿の御目に掛かり、別れて帰る暗紛れ、山越す猪に出合ひ、二つ玉にて撃ち留め、駆け寄つて探り見れば、猪にはあらで旅人、南無三宝誤つたり。薬はなきかと懐中を探し見れば、財布に入つたるこの金。道ならぬ事なれども、天より我に与ふる金とすぐに馳せ行き、弥五郎殿にかの金を渡し、立ち帰つて様子を聞けば、撃ち止めたるは、撃ち止めたるは、わが舅。金は女房を売つた金、か程迄する事なす事、いすかの嘴(はし)程違ふといふも、武運に尽きたる勘平が、身の成り行き推量あれ」
と、血走る眼に無念の涙。子細を聞くより弥五郎ずんど立ち上り、死骸引き上げ打返し、
『ムウ、ム』
と疵口改め、
「郷右衛門殿これ見られよ、鉄砲疵には似たれどもこれは刀で抉つた疵。勘平早まりし」
と、言ふに手負も見てびつくり、母も驚くばかりなり。郷右衛門心付き、
「イヤコレ千崎殿、アヽこれにて思ひ当つたり。御自分も見られし通り、これへ来る道端に鉄砲受けたる旅人の死骸、立ち寄り見れば斧定九郎。強欲な親九太夫さへ、見限つて勘当したる悪党者。身の佇みなき故に、山賊すると聞いたるが、疑ひもなく勘平が、舅を討つたは彼奴が業(わざ)」
「エヽ、そんなりやアノ親仁殿を殺したは、他の者でござりますか。ハア」
『ハツ』
と母は手負に縋り、
「コレ、手を合はして拝んます。年寄りの愚痴な心から恨み言ふたは皆誤り、堪へて下され勘平殿、必ず死んで下さるな」
と泣き詫ぶれば、顔振り上げ、
「只今、母の疑ひもわが悪名も晴れたれば、これを冥途の思ひ出とし、後より追付き舅殿、死出三途を伴はん」
と、突込む刀引廻せば、
「アヽ暫く暫く。思はずもその方が舅の敵討つたるは、未だ武運に尽きざるところ。弓矢神の御恵みにて、一功立つたる勘平、息のあるうち郷右衛門が、密かに見する物あり」
と、懐中より一巻を取り出だし、さらさらと押し開き、
「この度、亡君の敵高師直を討ち取らんと神文を取り交し、一味徒党の連判かくの如し」
と、読みも終らず苦痛の勘平、
「シテその姓名は、誰々なるぞ」
「オヽ徒党の人数は四十五人、汝が心底見届けたれば、その方を差し加へ一味の義士四十六人。これを冥途の土産にせよ」
と、懐中の矢立取り出だし姓名を書き記し、
「勘平、血判」
「オヽ心得たり」
と、腹十文字に掻き切り、臓腑を掴んでしつかと押し、
「サ血判、仕つた」
「アヽコリヤ乗るな、乗るな。早野勘平繁氏、確かに血判相済んだぞ」「チエヽ忝なや有難や。わが望み達したり。母人、嘆いて下さるな。舅の最期も女房の奉公も、反古にはならぬこの金、一味徒党の御用金」
と、言ふに母も涙ながら、財布と共に二包み、二人が前に差し出だし。
「勘平殿の魂の入つたこの財布、婿殿ぢやと思うて敵討の御供に連れてござつて下さりませ」
「オヽ成程、尤もなり」
と、郷右衛門金取り納め、
「思へば思へばこの金は、縞の財布の紫摩(しま)黄金、仏果を得よ」
と言ひければ、
「ヤア仏果とは穢らはし、死なぬ死なぬ。魂魄この土に留まつて、敵討ちの御供する」
と、言ふ声も早四苦八苦、
『惜しや不憫』
と両人が、浮む涙の玉の緒も、切れてはかなくなりにけり。
「ヤア、ヤアヤア、もう婿殿は死なしやつたか。さてもさても世の中に、俺が様な因果な者が又と一人あらうか。親仁殿は死なつしやる、頼みに思ふ婿を先立て、いとし可愛いの娘には生き別れ、年寄つたこの母が一人残つてこれがマア、何と生きてゐられうぞ。コレ親仁殿、与市兵衛殿、俺も一緒に連れて往て下され」
と、取り付いては泣き叫び、また立ち上つて、
「アヽコレ婿殿、母も共に」
と、縋り付いては伏し沈み、あちらでは泣きこちらでは
『わつ』
とばかりにどうど伏し、声をはかりに嘆きしは、目も当てられぬ次第なり。郷右衛門突立ち上がり、
「これこれ老母、嘆かるゝは理りなれども、勘平が最期の様子、大星殿に詳しく語り、入用金手渡しせば満足あらん。首に掛けたるこの金は、婿と舅の七七日(なななぬか)。四十九日や五十両、合はせて百両百ケ日の追善供養、後懇ろに弔はれよ。さらば、さらば」
「おさらば」
と、見送る涙見返る涙、涙の浪の立ち帰る、人もはかなき次第なり。


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