吉之助の雑談(歌舞伎の雑談・改題)

歌舞伎の話題・メルマガ作成秘話から
音楽・文学・哲学などあらゆる材料を網羅して、
吉之助流に軽く・しかし真面目にお届けいたします

記事は随時追加していきます。

   
   
   
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平成15年1月〜6月 平成15年7月〜12月
平成14年1月〜7月 平成14年8月〜12月
   

*「吉之助の雑談」のなかで、主な話題を索引にしてみました。
 
(すべての記事を索引にはしておりません。)

   関連事項

題名

青砥稿花紅彩画 なぜ弁天小僧は「小僧」なのか
仇討ち狂言 仇討ち狂言の「やつし」と「予祝性」
マルタ・アルゲリッチ ルガノ音楽祭のアルゲルッチ
クラウディオ・アバド 追悼クラウディオ・アバド
ヴァレリー・アファナシェフ ヴァレリー・アファナシェフ・ピアノリサイタル2015
荒事 荒事の親指
伊賀越道中双六 「沼津」:十兵衛のその後
一谷嫩軍記 須磨寺訪問記
十六夜清心 「十六夜清心」について
「十六夜清心・百本杭」の難しさ
泉鏡花 鏡花のかぶき的心情
鏡花の耽美主義
鏡花をかぶき的心情で読む
鏡花の新歌舞伎の可能性
たそがれの味
「高野聖」のたそがれの味
二代目市川猿翁 二代目猿翁襲名
市川亀治郎 きまることは嫌なこと
二代目市川左団次 二代目左団次・必死の洋行
作品と時代・役者と時代
新作歌舞伎のヒント
二代目左団次の旋廻走法
左団次劇の様式
演出なのか・型なのか
四代目市川団十郎 団十郎は左はせぬものなり
九代目市川団十郎 団菊以後百年
九代目団十郎の科白術
九代目団十郎は凄かった
九代目団十郎以後の歌舞伎
  十三代目市川団十郎 団十郎襲名興行の演目・配役発表
    仕切り直しの・十三代目団十郎襲名披露興行の演目発表
    十三代目団十郎襲名披露興行の全容発表
一谷嫩軍記 久しぶりの芝翫型の熊谷
「組討」での泣きの熊谷
妹背山婦女庭訓 「妹背山道行」について
「盲目の皇帝」
浮世絵 日本人と遠近法
「歌舞伎の舞台はなぜ平面的か」補説
六代目尾上菊五郎 「市村座」という時代
踊り手の至福
絵本太功記 「太十」のこと
小栗判官 小栗判官と照手姫
折口信夫 「いきどおり」について
我々を騙さない神
折口信夫の科学的思考
音楽 音楽と言葉
イメージとの格闘
指揮の不思議
鉛筆指揮のすすめ
在るべきイメージ
クラシック音楽における伝統
間(ま)と速度感
ピアノとオーケストラの可逆的な関係
「音楽を通して語る」ということ
楽譜がすべて教えてくれる
N響・イン・パーチェス
ハーディングのブルックナー&マーラー
ノイエンフェルス演出の「ローエングリン」
定型にとらわれない音楽の聴き方
  諸井誠さんのこと
演奏会の現代音楽プロのこと
音楽を聴くということ
ヴェルディと大石内蔵助のかぶき的心情
    期待の若手ピアニスト・反田恭平のこと
    オーケストラに尊厳を与えてください
    歌劇「光太夫」のこと
    様式とは・フォルムとは〜ショパン・コンクール2021
女形について 初めてみた歌舞伎の女形
俳優の肉体は記号である
演劇におけるジェンダー
「をんなもしてみんとて」
破滅のパラダイム
扇雀の美しさ
歌舞伎の女形と宝塚
    女形の「未来」
海神別荘 永遠の「オモシロイ」
歌劇 歌劇におけるバロック
ヴェルディのオペラにイタリア語の字幕
掛け声 掛け声について
籠釣瓶花街酔醒 八つ橋の悲劇
梶原平三誉石切 「石切梶原」について
型について 上方演出の定本化を
「正しい型」
「型」の概念の時代性
趣向と「型」
型の周辺
伝統芸能の古典化の要件
    「とにかくやってみることだ」
仮名手本忠臣蔵 「忠臣蔵」300年
「世話物」と「時代物」
             五段目 鴈治郎の山賊姿の定九郎
             六段目 「六段目」・音羽屋型の勘平
上方風の「六段目」について
             七段目 「七段目」の虚と実
歌舞伎 表徴の芸術・歌舞伎
歌舞伎の興行
小説・落語の歌舞伎化作品
歌舞伎の幕の開閉
蝋燭の光
盆狂言について
民俗芸能における善
「伝統の力・古典の魅力」
歌舞伎の見方
現代における「古典劇」の姿勢
表現行為ということ
芝居における入れ物の重要性
世界のKABUKI
「金がなければコレなんのいの」
歌舞伎の海外公演
コア・イメージで考える
舞台の明るさ・舞台の暗さ
GHQ報告書・戦後歌舞伎の出発点
昔の芸は凄かった
芸術における「善きこと」
時代との親和性と乖離性
伝統芸能のクリエイティヴな態度
「歌舞伎らしさ」ということ
    歌舞伎の台詞の正しいフォルム
語る演技
停滞・衰退の時代
同時代的な歌舞伎の見方
ポスト・モダンとしての歌舞伎
凱旋公演のことなど
歌舞伎役者の稽古
「勧進帳」・飛び六法での手拍子
芸道における体罰・いじめ
古い映像を見る楽しみ
中川右介著・「歌舞伎 家と血と藝」について
役者の体調管理のこと
過去の舞台映像を見ることの意義
埃沈め
歌舞伎版・「ワンピース」
役の仁と、役者の仁
自分の声を考える為のヒント
歌舞伎の古典化の流れ
    立ち廻りとは踊りです
    若手への期待
    遊郭文化と歌舞伎
歌舞伎座 歌舞伎と劇場
歌舞伎座改築
もうすぐ再開場
第5期・歌舞伎座開場
歌舞伎素人講釈 考える材料としての歌舞伎
「直感」について
私の評論は詩のようでありたい
伝承芸能としての歌舞伎
歌舞伎を見る眼
現代的な歌舞伎の見方
象徴先生
主体的な鑑賞のすすめ
「連載コーナー」の新設
歴史の同時代感覚
もうすぐ9年目
六代目歌右衛門以後
ベルリンの壁・911以後の唯物史観
「世界」とは何か
本当の鑑賞への道
アジタートなリズム
六代目歌右衛門10年忌のことなど
もうすぐ2012年
16年目の「歌舞伎素人講釈」
「太夫」表記について
16年はひと昔、さてこれからは・・
今後の観劇随想について
もうすぐ平成30年
    節目の2020年
    コロナ以後の生活
    今回はホンの雑談
    オンライン講座のことなど
    22年目の「歌舞伎素人講釈」
    観劇50周年
    23年目の「歌舞伎素人講釈」
    「古典」へ帰る
歌舞伎素人講釈の本 「十七代目中村勘三郎の芸」について
吉之助の最初の著作本、その後のことなど
歌舞伎座に吉之助の本が
かぶき的心情 かぶき者たちの心象風景
盆踊りのなかの「かぶき的心情」
「かぶき的心情」について
かぶき的心情と「・・と(und)」
かぶき的感性の明晰さ
ヴェルディと内蔵助の、かぶき的心情
  歌舞伎の台詞 対談「日本の伝統芸とコトバのリズム」映像公開
    朗読と演劇の台詞・オペラ歌唱との関係
歌舞伎の仁 歌舞伎の仁について
鎌倉三代記 「鎌倉三代記」の面白さ
    余談・藤三郎の首
上方歌舞伎 上方歌舞伎の行方・続
大阪人の野性味
ヘルベルト・フォン・カラヤン 脳に効くカラヤン
マリア・カラス カラス没後30年または写実の命題
河竹黙阿弥 井上ひさし氏と黙阿弥
黙阿弥の「江戸のこころ」
「写実」であるということ
「世直し」について
写実の「弁天小僧」?
黙阿弥とマーラー
黙阿弥の七五調を考えるヒント
世話物の基本は写実である
    「黙阿弥オペラ」・余談
勧進帳 「勧進帳」の読み上げ・問答
    かぶき的ではない「勧進帳」
    初代白鸚の弁慶
    「勧進帳」における義の絶対性
    「阿吽の二字」
    パリ・オペラ座の「勧進帳」
    続・パリ・オペラ座の「勧進帳」
  ドナルド・キーン ドナルド・キーン先生
    キーン先生、日本国籍を取得
  グレン・グールド グレン・グールドについて
  傾城反魂香・吃又 岩佐又兵衛について
芸について 時分の花について
    「いつも変わらぬ美しさ」
劇評 遅れて書いた劇評
雑誌「演劇界」休刊
雑誌「演劇界」休刊・2
劇評の今後
「ふり」でいい
随筆には観が・批評には論が
芸術家の人間的なエピソード
イザナギ・コンプレックス
インターネットによる演劇鑑賞
岩波現代文庫「市川海老蔵」
岩波現代文庫「菅原伝授手習鑑・精読」
    再びインターネットによる演劇鑑賞について
    雑誌「演劇界」の休刊について
ワレリー・ゲルギエフ ワレリー・ゲルギエフ/ミュンヘン・フィル来日公演2015
源平布引滝・実盛物語 やさしき武士
元禄忠臣蔵 言わずに・聞かずに・・
「元禄忠臣蔵」の揺れる気分
「元禄忠臣蔵」の二枚の屏風
  国立劇場 国立劇場開場50周年
    さよなら国立劇場
    どうなる?国立劇場
     
坂口安吾 満開の桜
四代目坂田藤十郎 四代目藤十郎襲名
佐倉義民伝 御霊神としての佐倉宗吾
桜姫東文章 玉三郎の桜姫
「桜姫という業(ごう)」
「桜姫の世界」と密教思想
「桜姫東文章」の記号論
「桜姫」断章
    木下歌舞伎・「桜姫東文章」・補足
三人吉三廓初買 玉三郎のお嬢吉三への期待
白浪物の革命性・そして無力感
楼門五三桐 「楼門」のこと
芝居のバランス 芝居のバランスを考える
音楽・演劇における基調のテンポ
「かぶき的な何か」
春興鏡獅子 「散り掛かるさまの面白うて寝られぬ」
「趣向」と「型」 趣向と型
フランツ・シューベルト シューベルトの革命性
ウィリアム・シェークスピア 暗喩としてのシザーリオ
ジュリエッタ・シミオナート シミオナートのアムネリス
シミオナートのケルビーノ
菅原伝授手習鑑 松王夫婦の白装束
歌舞伎「寺子屋」から生まれたオペラふたつ
杉山其日庵 「浄瑠璃素人講釈」の復刻
助六由縁江戸桜 「自由主義者・助六」
  隅田川続俤〜法界坊 芝居における入れ物の重要性
摂州合邦辻 「合邦」の玉手御前について
「合邦庵室」における日想観
「合邦」と 説経「愛護の若」
曽根崎心中 お初・徳兵衛の「かぶき的心情」
  反田恭平 期待の若手ピアニスト・反田恭平のこと
大黒屋光太夫 歌劇「光太夫」のこと
  台詞のリズム 対談「日本の伝統芸とコトバのリズム」映像公開
  ブルーノ・タウト タウトの「日本文化私観」
武智鉄二 伝統芸能における古典(クラシック)
武智鉄二没後20年
武智鉄二のことなど
太宰治 太宰治生誕100年
伊達娘恋緋鹿子 櫓のお七の人形振り
谷崎潤一郎 谷崎潤一郎のこと
吉之助の「吉野葛」論のこと
「春琴抄」の口三味線
    「瘋癲老人日記」自作朗読録音のこと
ミッシェル・ダルベルト ダルベルトのピアノ・リサイタル
アントン・チェーホフ チェーホフの桜
近松門左衛門 近松の「虚実皮膜論」の周辺
近松の「関八州繋馬」
近松門左衛門の文章
近松の改作物
近松心中論
巣林舎の「殩静胎内捃」
近松門左衛門の墓参り
椿姫 ザルツブルクでの「椿姫」
坪内逍遥 「滑稽な巨人」・坪内逍遥と歌舞伎
逍遥のシェークスピア翻訳
坪内逍遥の理論と実践
四代目鶴屋南北 綯い交ぜの手法
時代のネガとしての南北
椿説弓張月 故郷に帰ったつもりで
ナタリー・デセイ

歌う女優・ナタリー・デセイ来日リサイタル2017

手塚治虫 手塚治虫のメッセージ
寺山修司 寺山修司没後30年
伝統 クラシック音楽における「伝統」
伝統の根源としての「善」
古典の特質
芸能史を貫くもの
    語り継ぎ・弔う者たち
戸板康二 戸板康二著「歌舞伎への招待」
東海道四谷怪談 「四谷怪談」と「忠臣蔵」
「四谷怪談」端折り上演
ドン・ジョヴァンニと伊右衛門
フョードル・ドストエフスキー 「カラマーゾフの兄弟」続編のこと
亀山郁夫著:「新カラマーゾフの兄弟」のこと
五代目中村富十郎 五代目富十郎追悼
中川右介 中川右介著:「歌舞伎一年生」
六代目中村歌右衛門 歌右衛門の「青年歌舞伎」時代
六代目歌右衛門・一周忌
六代目歌右衛門のこと
「六代目歌右衛門以後」
「歌右衛門」のこと
    息を詰める
    六代目歌右衛門・没後20年
十八代目中村勘三郎 勘三郎復帰に寄す
十八代目勘三郎・一周忌に寄せて
十八代目勘三郎七回忌
初代中村吉右衛門 初代吉右衛門の「写実」
七代目中村芝翫 七代目芝翫追悼
四代目中村雀右衛門 四代目雀右衛門追悼
役者は六十過ぎてから
五代目中村雀右衛門 新・雀右衛門への期待
夏祭浪花鑑 勘九郎の「夏祭」イン紐育
「夏祭」と「ウェストサイド物語」
ベルリンの壁
夏目漱石 漱石の歌舞伎観
漱石先生の憂鬱
ただの饅頭
人形振り 人形振りについて
ノイエ・ザッハリッヒカイト ノイエ・ザッハリッヒカイトについて
野村萬斎 野村萬斎のオイディプス王
伝統芸能現代化の試み
長谷川伸 佐藤忠男著「長谷川伸論」
長谷川伸劇の魅力
ダニエル・バレンボイム バレンボイムのマーラー
バレンボイム/ベルリン・シュターツカペレ来日公演2016
バロック論 古典性とバロック性
番町皿屋敷 「禁問」とかぶき的心情
坂東玉三郎 歌右衛門・ガルボ・玉三郎
玉三郎さんのこと
舞踊について バレエ・舞踊の楽しみ
舞踊の本質
「やすらへ、花や」
「桜の樹の下には」
機械的なリズム
芝居と踊りと
東山魁夷 東山魁夷の旅
ラース・フォークト ラース・フォークト・ピアノ・リサイタル・2015
ピエール・ブーレーズ 追悼・ピエール・ブーレーズ
ジークムント・フロイト フロイトとユング
本朝二十四孝 「二十四孝」のロマンティック
八重垣姫の性根
藤娘 玉三郎の新演出の「藤娘」
文楽 井上ひさしの人形浄瑠璃「金臺親父恋達引」
イーヴォ・ポゴレリッチ ポゴレリッチ・ピアノ・リサイタル・2014
  マウリツィオ・ポリーニ 追悼・マウリツィオ・ポリーニ
柳田国男 山の人生
山田耕作 山田耕作の長唄交響曲
吉田秀和 吉田秀和はホントに偉いのか?
義経千本桜 「吉野山道行」について
仁左衛門の上方の権太
たちまち変わる御装い
マイケル・ジャクソン マイケル・ジャクソン追悼
真山青果 真山青果にとっての「近世」
マーラー バレンボイムのマーラー
昔の芸は凄かった
見得 歌舞伎の見得
三島由紀夫 三島由紀夫没後35年
絶望やニヒリズムから芸術は決して生まれないのです
    三島由紀夫没後50年
リッカルド・ムーティ リッカルド・ムーティ/シカゴ交響楽団来日公演2016
伽羅先代萩 「老後の政岡」
政岡の引き裂かれた状況
ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルト コンヴィチュニー演出のモーツアルト
モーツアルトの響き
盛綱陣屋 歌舞伎における盛綱陣屋
諸井誠 諸井誠さんのこと
ルネッサンス ルネッサンスのこと
渡辺保 インターネット劇評「批評という鏡」
渡辺保著「近松物語」
渡辺保著:「江戸演劇史」
    渡辺保:「吉右衛門〜「現代」を生きた歌舞伎役者」