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四代目鴈治郎の平作・十代目幸四郎の十兵衛〜こんぴら歌舞伎の「沼津」

令和6年4月琴平町金丸座:「伊賀越道中双六〜沼津」

十代目松本幸四郎(呉服屋十兵衛)、四代目中村鴈治郎(雲助平作)、初代中村壱太郎(娘お米)、二代目中村亀鶴(池添孫八)、八代目市川染五郎(荷持安兵衛)


)18年ぶりのこんぴら歌舞伎

本稿は令和6年4月琴平町金丸座での四国こんぴら歌舞伎大芝居・「伊賀越道中双六〜沼津」の観劇随想です。吉之助にとっては平成18年(2006)4月以来・18年ぶりのこんぴら歌舞伎でした。こんぴら歌舞伎も、令和2年(2000)4月公演が世界的なコロナ・パンデミックの影響で中止を余儀なくされてから5年ぶりの公演再開となります。久しぶりの公演は、地元の期待もさることながら、古(いにしえ)の芝居小屋の雰囲気を濃厚に残す金丸座での歌舞伎上演は、歌舞伎ファンにとっても大きな愉しみです。もちろん現代の金丸座での上演は、江戸期の昔のそっくりそのままの、自然光採光・蝋燭による照明の上演と云うわけではなく、そこは雰囲気作りというものだけれども、現行の法的規制に則った上で持てる劇場機構を大いに生かした「手作り感覚」を大事にしていることは嬉しいことです。

「役者と観客との距離が近い」と云うことは、誰もが口々に仰ることです。金丸座の収容人員はフルで740名だそうです。(ちなみに歌舞伎座は1964名だそうです。)意外と入るものですが、「沼津」でも十兵衛と平作が客席に分け入っていくと、これは歌舞伎座でもやる演出ではあるけれど、金丸座だと役者と観客とがぶつかる距離になるので「触れ合い度合い」が全然異なります。今回(令和6年4月金丸座)の「沼津」では二回の場面転換に人力による廻り舞台が使われました。こうして町の人たち総出で芝居が支えられているわけですね。

と云うわけで芝居の方は大いに愉しませてもらいましたが、18年ぶりのことですっかり忘れていましたが、平場の桝席の座椅子での観劇は、狭いスペースがやはり辛かった。吉之助は相席のご婦人(地元の方であったようです・有難うございました)に座席を入れ替わってもらって少し脚が伸ばせる姿勢が取れたので良かったのですが、それでもなかなか厳しかったですねえ。まあそれも今となってみれば愉しい江戸体験と云うことですが、膝腰に難を抱えていらっしゃる方はちょっとご用心が必要かも知れません。

平成18年の時と印象が違っていた点は、あの時は和蝋燭の光を擬した照明は黄色味が強めであって、舞台が少々暗めに感じられたことです。陰影も多少生じていたように記憶しています。今回はそんな印象はまったくなくて、舞台の明るさは控えめではあったが、色調からすると昼白色に近く感じました。多分これは18年前とは照明機械自体が変わったのだと思います。いつ頃変わったか吉之助には分かりません。この照明なら現代の観客にはさほど違和感がありませんし、また見やすくもあります。しかし、今思い返せば18年前の・あの黄色味がかった薄暗さはなかなか貴重なものであったと思いますね。普段の我々はあまり気にすることなく見ていますが、照明が舞台の印象を大きく左右することを改めて思います。(別稿「舞台の明るさ・舞台の暗さ〜歌舞伎の照明を考える」をご参照ください。)(この稿つづく)

(R6・4・20)


2)鴈治郎の平作

ここ数年の鴈治郎は良い味を出して、歌舞伎のなかで得難い存在になって来ました。ちなみに鴈治郎が初めて「沼津」の平作を勤めたのは、鴈治郎襲名を半年後に控えた平成26年(2014)7月大阪松竹座でのこと・つまり翫雀時代のことでした。この時の十兵衛は藤十郎が演じました。上方和事の代名詞・鴈治郎の名跡をもうすぐ息子が継ごうと云う大事な時期に(しかも大阪で)、自分が十兵衛を演じて・息子に平作をさせる藤十郎さんの「のほほん」ぶりには開いた口が塞がりませんでしたが、その後鴈治郎は平作を何度も演じて・すっかり持ち役としています。結果として見れば平作を演じたことで或る意味芸域を拡げたとも云える。まあ藤十郎さんがそこまで深く考えたとはとても思えませんけど、結果オーライですね。しかし、吉之助は現・鴈治郎の十兵衛には依然として未練が残ります。今からでも機会があれば是非十兵衛にも挑戦してもらいたいものです。きっと良い十兵衛になると思います。

ところで「沼津」の千本松原を見ていつも思うことは、敵の側に在る息子に対し自ら刀を腹に刺して「敵の居場所を教えろ」と迫る・かなり極端なシチュエーションであるわけですが、結局平作がこういう手段でしか親子の絆の確認が取れなかったところに、暗澹とさせられると云うか・「何と悲しいことか」と感じると云うことです。本来人間の自然な感情であるべき親子の愛情を素直に表明することが許されない、内面に愛情が高まれば高まるほど行動に対して自己規制が強くなる、彼ら親子をこのように素直でなくさせてしまった「状況」の非情さを考えずにはいられません。

この「状況」は、芝居のなかでは仇討ち事件に巻き込まれた名も無き庶民の悲劇ということに違いありませんが・決してそれだけではなく、恐らく幼い我が子(平三郎・十兵衛の幼名)を養子に出さざるを得なかった平作の事情も含まれると思います。厳しい生活であったと察せられます。平作はこれも事情が定かではありませんが、お米も遊女に出さざるを得ませんでした。こうして遊女となったお米(瀬川)を巡る争いが仇討ちの一件と絡むこととなります。したがってそれやこれも含めて平作の「状況」は単純ではありません。

平作が息子の脇差を抜き取り・自らの腹に突き立てて「おりゃこなたの手にかかって死ぬるのじゃ」と言う時、これを平作が息子に敵(股五郎)の行き先を白状させるための責め詞だとだけ聞くのでは、これは平作に対して余りに酷なことになります。それでは平作があまりに非情な父親に映ってしまいます。吉之助は、脇差を腹に突き立た平作は幼い我が子を養子に出さざるを得なかった過去を詫びている・そう云う気持ちが含まれると考えたいのです。我が子を養子に出したりしなければ、そもそも親子の・この悲劇は起こらなかったのです。

鴈治郎の平作は人柄が良い好々爺ぶりがとても良いですねえ。明るかったドラマの雲行きがお米の印籠盗みが発覚してから・ドラマが急変して暗雲に包まれていく、そのなかでも鴈治郎の素朴さがよく生きていたと思います。平作はホントにどうしようもなく、こういう手段しか思いつかなかったのであろう。それゆえ観客は「何と悲しいことであろうか」という思いになるのだと思います。(この稿つづく)

(R6・4・22)


)幸四郎の十兵衛

幸四郎の十兵衛は、令和元年(2019)9月歌舞伎座で故・吉右衛門が病気休演した時3日間勤めたのが初めてのことで、翌年(令和2年)3月歌舞伎座で本役を勤めるはずがコロナのため公演自体が中止となってしまった(無観客上演の映像が残っています)と云うことなので・今回を3回目と呼ぶべきかは難しいところですが、今回の十兵衛はそれなりに手慣れた出来を示しています。声質・表情の微妙なところでフト吉右衛門を感じさせて懐かしいことですが、叔父・甥の関係だから当たり前と云えば当たり前のことではある。しかし、全体として見ると柔い印象が強いようで、「高麗屋の十兵衛」として見るとどこか物足りない気がするのも事実です。もうちょっと実(じつ)の方向に持っていってもらいたいのです。

確かに吉右衛門も十兵衛では意識して柔い感触を出そうとしていたと思います。しかし、それは吉右衛門の芸風が元々実に根差すものだからそうするわけであって、もともと印象が細めの幸四郎が柔い感触を出そうとしたら、元々柔い印象がますます柔くなってしまう。何と云いますかねえ、「吉右衛門の真似する仁左衛門」みたいになる。言うまでもなく吉右衛門の十兵衛も・仁左衛門の十兵衛も立派なものです。しかし、ここはどちらかであってもらいたのです。だから性根が中途半端に見えてしまいます。

これは5年前の記事ですが別稿「十代目幸四郎が進む道」に於いて、幸四郎は、代々の「幸四郎」と云う芸名が背負う重い時代物や実悪の役どころを引き継がねばならぬ、と同時に、優美で柔らかい印象の色男の類を演じることが期待されてもいる、この印象的に相反する芸道二筋道を幸四郎は進まねばならないわけですが、その仕分けはうまく出来るのかと云うことを論じました。幸四郎は現在51歳ですが、目下のところ吉之助が危惧した通り、役者幸四郎の印象はますます柔い方向に向かっているようです。イヤご本人が「これで良いのだ」と思っていらっしゃるならばそれで結構ですけれど、弁慶や熊谷と、伊左衛門のどちらか一方を選べと迫られれば、弁慶や熊谷を選ばねばならぬのは、「幸四郎」として当然だと思います。これは本人だってそう思っているに違いない。ならば弁慶や熊谷を本役とする「幸四郎」 に相応しい伊左衛門の設計図と云うものを持たねばなりません。十兵衛だって同じことだと思いますね。「高麗屋の十兵衛」としてこれで宜しいのかと云うことです。

今回の十兵衛でも、前半のご機嫌な十兵衛はまあそれなりに見えます。しかし、お米の印籠盗みが発覚して・ドラマの局面がシリアスに傾いて来ると、幸四郎の柔い印象が次第に気になって来ます。十兵衛に迫ってくる「時代」の厳しい状況がツーンと来ないのだなあ。後半の十兵衛はこの状況に必死で立ち向かい、「義理ある御方の明かしてはならぬ情報(それは平作・お米らが追う敵の行先のことです)を私は明かす」という重い決断にまで至る、さらに言えば十兵衛はこのために結局死なねばならないことになるのですから、そこのところを実(じつ)を以て描いてもらいたいと思います。これでこそ「高麗屋の十兵衛」になります。ここから逆算して考えると、それなりに見えた前半のご機嫌な十兵衛も、柔い印象を抑えた方が良いことになります。結局は肚の持ち方の問題と云うことになりましょうか。(別稿「世話物のなかの時代」をご参照ください。)

最後になりましたが、壱太郎のお米は、世話の真実味があるなかに・艶やかさもあって、安心して見ることができる・まことに良い出来です。

(R6・4・22)


 

 

 


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