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高麗屋三代による小山内薫・「息子」

令和6年1月歌舞伎座:「息子」

二代目松本白鸚(火の番老爺)、十代目松本幸四郎(金次郎)、八代目市川染五郎(捕吏)


1)老爺は彼が息子であると分かったのか

本稿は令和6年1月歌舞伎座・初春大歌舞伎での、高麗屋三代による小山内薫の「息子」の観劇随想です。まずは作品の周辺をざっと振り返ります。「息子」は大正12年・1923・3月帝国劇場での初演で、配役は六代目菊五郎(金次郎)・四代目松助(老爺)・十三代目勘弥(捕吏)でした。実は本作は小山内薫のオリジナルではなく、英国の劇作家ハロルド・チャピンHarold Chapinの「父をさがすオーガスタス」(Augustus in Serch of a Father)の翻案物でした。初演の評判は概ね好意的だったようですが、翻案物ということで新奇な受け止め方をされたと云うことではなく、新作の世話物小品として・ごく自然に受け止められたようです。そこが大事なポイントで、歌舞伎には長い間離れ離れになっていた親子が出会って・互いにそれと知りつつも・よんどころない事情があるため名乗り会うことが出来ないという芝居が昔からあって(例えば「新口村」などがそうですね)、そのような伝統的な「親子別れ芝居」の系譜のうえに本作も乗るものだと受け止められたようなのです。

しかし、例えば「新口村」で云えば・梅川の機転で忠兵衛は父孫右衛門に目隠しをしてだけれども・お互いを確認しあって・泣いて抱き合うわけです。その後孫右衛門は忠兵衛と梅川に抜け道を教えて、追っ手から逃がします。しかし、これに対し小山内薫の「息子」の場合、親子は最後まで名乗りをしないのです。そして息子は捕吏に追われて逃げ去って行く。結局、この芝居のなかで火の番の老爺は若い男が9年前に別れた切りの息子(金次郎)であったと分かったのであろうか。分かったようにも思えるが(そうすると老爺は涙を呑んで名乗らないまま息子を逃がしたわけで・それならば「新口村」の幕切れの系譜の上に乗ることになるのだが)、遂に分からないまま終わったようにも思える、そのどちらにも受け取れそうな幕切れである。まあそこに新作歌舞伎としての「息子」の新機軸があったと思われるのですね。

初演劇評で正宗白鳥が「深夜の薄暗い灯りのせいで互いの顔がよく見えなかったとしても、赤ん坊の時に分かれたわけでもあるまいし、十九の歳で別れた息子が九年会わなかったくらいで、実の親子が互いに分からぬということがあるものか」と云うようなことを書いたそうです。しかし、これに対し小山内薫は次のように反論をしています。

『十九の時に家を出て九年ぐらい別かれていたのに、親父に息子の顔のわからない筈はないという批評がありました。私の考えでは、九年はおろか、三年でも二年でもいいと思っているのです。それは前の金次郎とでは全然人柄が変わっているのですから老爺はもう頭から違うものと思い込んでいるんです。』(小山内薫:「新演芸」〜「二つの新作品・芝居合評会」・大正12年・1923・8月)

小山内薫のこの発言から推察されることは、作者としては、火の番の老爺は若い男が9年前に別れた息子(金次郎)だと気付いたのか・それとも気付かなかったのか、どちらかはっきりせぬまま終わるところに、まあ趣向と言うか・作意があったと云うことなのです。吉之助がこれを「趣向」だと言うのは、観客は伝統的な歌舞伎の「親子別れ芝居」の系譜のうえに本作をツイツイ見ようとする、だから芝居の結末を老爺と金次郎が互いに親子だと分かって・泣いて抱き合う・それから捕吏に追われた金次郎が泣く泣く去って行かねばならない悲しい別れ、本作はそのような定型のところ(パターン)に落ちるであろうなあと何となく筋を予測しながら芝居を見る、そのような観客の予測を見事に裏切る(と云うか「いなす」と言った方がいいでしょうかね)ところに本作の作意があるわけなのです。だからこれを新歌舞伎の「趣向」だと言うのです。(この稿つづく)

(R5・1・12)


2)「古典」としての穏当な納め方

もうひとつ八代目三津五郎の談話を引いておきます。三津五郎は蓑助時代の・昭和8年(1933)に新宿の新歌舞伎座(後の新宿第一劇場)での青年歌舞伎で「息子」の火の番の老爺を演じました。(昭和8年だと27歳で老爺を勤めたことになるので・ずいぶん若いのだが。)ちなみに三津五郎は若い頃に近代劇の創始者である小山内薫から強い影響を受けた役者でした。その三津五郎がこのように語っています。

『火の番の老人を演りましたが、(中略)私なぞは仕活かす役を仕殺してしまう方です。この火の番の老人にしても、今ならなんとか演じようもあるのだろうと思うのですが、我が子と知っているのか、気が付かないのか、そればかり気にするので駄目なのでした。その知っているのか、いないのかという所に面白さが出るのですが、若い時には、どっちかに決めないと出来ないのです。』(八代目坂東三津五郎:「名作歌舞伎全集」・第25巻・月報、昭和46年・1971・9月)

別稿「与兵衛の悲劇」は近松の「女殺油地獄」論ですが、そのなかで20世紀初頭の西欧演劇で創始された「一幕劇」のことを取り上げています。ドイツの演劇評論家ペーター・ツォンディは「現代演劇論」において、一幕物とは「拘束された人間のドラマ」であると規定しました。一幕物の主人公においては演劇的状況は最初からそこに在り・主体的な意思決定の場は奪われているのです。一幕物は、いい意味に於いて「言い足りない」、そのような余地をわざと残していると云うことです。チャピンの一幕劇「父をさがすオーガスタス」がまさにそれです。小山内薫はチャピンの一幕劇を下敷きにして、これまでの歌舞伎の「親子別れ芝居」になかった新機軸の親子の別れを描こうとしたのです。

小山内薫の「息子」を見ていると、色んな疑問が思い浮かびますねえ。そもそも金次郎は9年前にどのような事情で親元を離れ大坂へ向かうことになったのでしょうかね?老爺の話を聞けば、息子は金物商売で・大坂で一旗揚げようと・希望を持って家を出て行ったかのように聞こえます。しかし、金次郎の話からは、何か江戸に居れない事情があって・逃げるように家を出て行ったようにしか聞こえません。そもそも老爺は息子(金次郎)は子供の頃から近所の褒め者で・酒も飲まない・博打もやらないと言っていますが、当の本人は「おいらあ生まれつき(賽をふせるような科をする)レコに出来てるんだ」と言っています。一体どちらが本当なのか?考えられそうなことは、父親(老爺)はひたすら息子を美化し美化し続けて(息子は頑張ってやっていると思いたいのです)・息子の帰りをずっと待っていた・そのうちに父親はホントの息子の顔さえ忘れてしまった(目の前の男とのギャップがあまりにも大きいのです)と云うようなことですが、まあそれも想像の域を出ませんがね。金次郎にとっての大坂での9年の生活もさぞかし過酷であったことと察せられますが、これもまた想像の域を出ません。このように本作では色んなことがわざと「言い足りないまま」で放置されています。まさにこれが現代劇としての「一幕劇」なのです。そこが20世紀初頭の世界的な演劇思潮を踏まえた、大正期の新歌舞伎の「一幕劇」であることの所以です。

まあそんなことではありますが、名作はいろんな読み方が可能なものです。演者によって舞台に現れる様相は様々に変わって来ます。「この芝居はこのように演じるべき」なんて決まったものはなく、舞台に現れる様相を眺めて「アア」を感じ取ればそれで良い、そう云うものですがね。(「アア」については別稿「与兵衛の悲劇」を参照下さい。)

そこで今回(令和6年1月歌舞伎座)での「息子」の舞台を見ると、火の番の老爺(白鸚)は最初は息子と気が付かないまま会話をしているが、若い男(幸四郎)と捕吏(染五郎)の会話に口を挟んで・男に「黙ってろ」と怒鳴られた時に男の顔を正面から見て、そこで「この男は息子だ」とハッと気が付く、しかしそれを言い出せないまま・息子と別れてしまったと云うことであろうかと思います。幕切れで男に「何を言ってるんだ。早く行け。達者でいろよ」と突き放すように言うところに、苦しい事情を察して涙を堪えて息子に無言の別れを告げる父親の気持ちを白鸚は実にさりげなく、さりげないほどアッサリと表現しました。このような芝居になるとさすがに白鸚は上手いですねえ。幸四郎の金次郎はもう少し屈折した表現が欲しい気もしますが、やっと探し当てた父親を前にして名乗り出せない深い哀しみは十分表現出来ています。

上述の通り・これは作者小山内薫の趣向とはちょっと異なる感触であるかも知れません。しかし、まさに異なるが故に、つまりお互いが父と息子であると分かっているのに・よんどころない事情によって互いにそれを言い出せないまま・別れてしまう、そこに父と息子との深い縁(えにし)を強く感じさせます。だから新歌舞伎「息子」が伝統的な歌舞伎の「親子別れ芝居」の系譜のうえに乗って来ることになるのです。これは「古典」としての本作の穏当な納め方と云うべきですね。確かにこう云う「息子」の解釈もあり得ると思います。

このことは令和のこの時代において歌舞伎という演劇がどのようなスタンスを以て時代(或いは社会)と対すべきかという問題にも関連して来ることかと思います。「歌舞伎素人講釈」では常々申し上げていることですが、「然りそは正し」とするのが古典的なスタンスであるとすれば、バロック的な歌舞伎のスタンスは「然り、しかしそれで良いのだろうか」と云うことになります。それは懐疑・あるいは解決できない憤りの感情として残ります。何がこれほどまでに金次郎を追い詰めたか、それはこの短い芝居から伺い知ることは出来ません。しかし、「アア人間とは何と愚かしいものか、人は誰でもフトしたことからこのような過ちに陥らぬとは限らぬものだ、「生きる」とは何と辛いことか」と観客が思わず溜息をつくならば、小山内薫が意図したバロック的な歌舞伎の「息子」の感触になるだろうと思います。そんな「息子」の舞台も見てみたいものですね。

(R5・1・13)


 

 


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