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「アア」を感じる心〜国立劇場さよなら公演の「妹背山」通し・第2部

令和5年9月国立劇場:「妹背山婦女庭訓」・第2部
                          〜道行・御殿・入鹿誅伐

五代目尾上菊之助(杉酒屋娘お三輪・采女の方)、八代目中村芝翫(漁師鱶七実は金輪五郎)、四代目中村梅枝(鳥帽子折求女実は藤原淡海)、五代目中村米吉(入鹿妹橘姫)、五代目中村時蔵(豆腐買おむら・藤原鎌足二役)、五代目中村歌六(蘇我入鹿)他


1)淡々とした「さよなら公演」

国立劇場が建て替えられることになり、「初代国立劇場さよなら公演」の締めくくりとして、通し狂言「妹背山婦女庭訓」、先月(9月)は第1部、今月(10月)は第2部を上演して・これで閉場となります。第1部について別稿で触れましたが・第2部も同様(休憩含む上演時間3時間25分)で、一応通し狂言の体裁を取ってはいるけれども、これではボリューム的に甚だ物足らない。丸本時代物の重厚さを実感させるところまで至っていません。今回(令和5年10月国立劇場)の第2部は「御殿」を中心とするお三輪の件ですから、やはり最低でも杉酒屋から通してもらいたかったと思います。これからの歌舞伎での通し狂言はこんな感じで3時間半前後が標準の上演形態になって行くのでしょうか。しかし、これではもはや通し狂言とは云えない中途半端なものになりそうです。初代劇場もこれで取り壊しになるのですから、最後の最後に「通し狂言の国立劇場」のプライドを賭けて見せてやろうと云う意地があっても良かったのにと思うのですがねえ。

菊之助がお三輪を演じるのは二度目とのことですが、正確に云えば菊之助は平成25年・2013・3月新橋演舞場の時は「御殿」だけしか演じていないので、「道行」のお三輪は初役です。菊之助がこれだけしかお三輪を演じていないとは意外です(女形にとってとても大事な役であるし・ニンであると思うのに)が、(経緯は分かりませんが)滅多にない機会だから今回は杉酒屋から通してみようと云う話にならなかったところに、制作・役者双方の熱意不足を感じる気がします。何だか淡々とした「さよなら公演」でありましたね。

「淡々」と云えば、舞台の方も、何やら淡々とした感触がします。菊之助のお三輪・梅枝の求女・米吉の橘姫と云えば、若手花形クラスで三役を揃えるならば、これは近頃なかなかの顔触れだと云えると思います。形はそれなりにしっかり取れています。格別にどこが悪い・どこに不満があるわけでもない。しかし、全体として見ると、何だかあっさりして物足りない。義太夫狂言の修練不足と云うことが真っ先に脳裏をよぎります。そういう云うこともあるでしょうが、菊之助だけでなく周辺の役者も含めて・お三輪の悲劇について共感がいまひとつであるように思えるのです。菊之助初役の時に書きましたが、「お三輪が可哀想だが・哀れまでではない」という印象がしました。今回の印象が、10年前の舞台の印象とあまり変わっておらぬようです。正直言って、このことはちょっと残念です。つまり、お三輪の悲劇が理屈としては理解されているが、感情としてまだ共感されていないということ、多分この点が問題です。

「あはれ」とは、アア・・と思わず声をあげることです。それは肯定でも否定でもありません。心が大きく突き動かされるから、思わず声が出るのです。お三輪は求女のために殺されますが、その求女が実は藤原淡海であり、お三輪の死がもっと大きな時代物の捧げ物の構図のなかに収斂されていく、これでお三輪の個人的な・あまりに個人的な感情とどう折り合いを付けたら良いのか、そこで観客は思わずアア・・と声をあげてしまう、お三輪の悲劇とはそう云うものなのです。(この稿つづく)

(R5・10・10)


2)「アア」を感じる心

「浄瑠璃素人講釈」のなかの逸話ですが、杉山其日庵が「妹背山・金殿」の稽古に難儀して「なにさま六尺大の男にお三輪の真似は到底出来ぬよ」とボヤいたら、摂津大掾が目を剝いて怒り、

「アンタが真似をしようとなされますから出来ませぬ。(中略)けっしてお三輪の真似ではござりませんぞ。お三輪の心持になるのでござります。それには作者がお三輪の心持で文章を書いていやはりますから、アンタもその文章を読んで、お三輪の心持になって、習うた節(ふし)と詞(ことば)を稽古しなはるのでございます。それが出来ねば人ではございません。(中略)それが分からぬと云うのは、アンタの御熱心がまだ芸道の修業までになっていやはらぬのじゃ。」

*杉山其日庵:「浄瑠璃素人講釈」(岩波文庫)

とこき下ろされたそうです。「それが出来ねば人ではございません」とまで云うのはちょっと驚きますが、要するにお三輪の心持になって文章を読めば他人事でなく彼女の気持ちが分かるはずでしょと大掾は言いたいのです。「お三輪は可哀想」ではまだ視点が第三者に留まっている、読み方がまだお三輪に寄り添うたものになっていないのです。そこを突き抜けるために「アア」が必要です。ポール・クローデルは、「あはれ」と言うのはあらゆる事物のなかにあって「アア」を作り出すものであると言いました。(別稿「クローデルの文楽」をご参照下さい。)「アア」を感じ取ることが「人として」大切なことです。大掾の言葉をそのようにお読みください。

一番宜しくないのは「お三輪は(橘姫も同様ですが)その恋を求女(実は藤原淡海)に政治的に利用されてしまった可哀そうな犠牲者である」という読み方です。こう云う読み方は如何にも時代物の捧げ物の構図(庶民の犠牲を為政者がゴッツアンと受け取る)に合致したかに見えますが、実はその上っ面しか捉えてはおらぬのです。現代に於いてはこの読み方から決して逃げられませんが、しかし、お三輪に寄り添うのであれば、今際のお三輪の台詞、

「のう冥加なや。勿体なや。いかなる縁で賤の女がさうしたお方と暫しでも、枕かはした身の果報、あなたのお為になる事なら、死んでも嬉しい、忝い。とはいふものゝいま一度、どうぞお顔が拝みたい。たとへこの世は縁薄くと、未来は添ふて給はれ」

をその詞通りに受け取ってやらねばなりません。そのためにお三輪にとって求女とは如何なる存在であったかを考えてみる必要があります。(この稿つづく)

(R5・10・10)


3)色好みの徳

杉酒屋の娘お三輪は隣に住む烏帽子折求女と恋仲です。ところが近頃求女のもとへ夜な夜な通ってくる女がいるらしい。お三輪は事の次第を糺そうとしますが、女が帰ろうとするので求女が追う、それをまたお三輪が追う、これが「道行恋苧環」の経緯です。

ここで求女実は藤原淡海ともあろう人が相手が誰か分からぬのに恋をするとは思えない、きっと相手が入鹿の妹橘姫だと知ってのことに違いないと推察することはもちろん出来ます。お三輪についても、求女はわざと姫との関係を見せつけて・お三輪に嫉妬の炎を燃え上がらせたのだろうと推察することも出来ます。こうして橘姫には入鹿が盗んだ十握の宝剣(とつかのほうけん)を取り返すように仕向け、お三輪からは入鹿討伐に必要な疑着(ぎちゃく)の相ある女の生き血を得る、求女は冷徹な政治家であると考えることも出来ます。ただし、これらはすべて「芝居を見た後から考えてみれば・・・」の話です。そのようなドラマの「必然」を逆から読むようなことをしてはいけません。

ところで色好みと云うと、漢語の「好色」と混同されて、近代人はこれを道徳的に良くないことのように考えてしまいがちですが、昔の人は決してそうは考えなかったと折口信夫が言っています。

色好みというのはいけないことだと、近代の我々は考えておりますけれど、源氏を見ますと、人間の一番立派な美しい徳は色好みである、ということになっております。少なくとも、当代第一、当時の世の中でどんなことをしても人から認められる位置にいる人にのみ認められることなのです。そうでない人がすると、色好みに対しては、「すき心」とか「すきもの」とか云うような語を使いました。(中略)光源氏という人は、昔の天子に対して日本人の我々の祖先が考えておった一種の想像の花ですね。夢の華と申しましょうか。その幸福な幻影を平安朝のあの時分になって、光源氏という人にかこつけて表現したわけであります。(中略)色好みということは、国を富まし、神の心に叶う、人を豊かに、美しく華やかにする、そう云う神の教え遺したことだと考えておった。』(折口信夫:「源氏物語における男女両主人公」・昭和26年9月)

「源氏物語」のなかでは、光源氏が持つ、捉えがたい人物の大きさとか奥行きの深さ、徳の高さのようなもの、そのようなものが「色好み」というイメージで捉えられています。「妹背山」の求女(実は藤原淡海)も、またそのように考えねばなりません。求女が持つ徳の高さは、彼が体現する「大義」にも繋がります。求女が持つ徳に知らず知らずのうちに魅せられて、女たちは恋に落ちてしまいます。これらの恋は求女が意図したものでも何でもありません。女たちが勝手に求女に惚れたのです。惚れて来た女がたまたま入鹿の妹であったり、疑着の相を現わす資質の女であったりするのです。いろいろな伏線が絡み絡んで・思わぬところから入鹿討伐の段取りが整って行きます。このようなドラマの「必然」の流れを逆方向から読むことは出来ないのです。

「御殿」の場で十握の宝剣を奪って来いと求女から云われて橘姫は苦しみますが、結局、姫は、

「サア是非もなや。悪人にもせよ兄上の目を掠むるは恩知らず、とあってお望み叶へねば夫婦と思ふ義理立たず。恩にも恋は代えられず。恋にも恩は捨てられぬ。二つの道にからまれし。この身はいかなる報いぞ。(中略)オヽさうぢゃ。親にもせよ兄にもせよ我が恋人のためと言ひ、第一は天子のため、命にかけて仕おほせませう」

と言います。橘姫が「兄のため」・「恋人のため」と云う相反するテーゼを乗り越える為に、これは兄さんを裏切るのではない・「天子様のため」にすることだと自分に言い聞かせるかの如く聞こえます。これはそのように考えて良いと思いますが、そのような論理(ロジック)が成立するのも求女が持つ「色好み」の徳の高さゆえです。(この稿つづく)

(R5・10・13)


4)求女の難しさ

恋する女の弱みに付け込み、橘姫には十握の宝剣を奪わせ、疑着の相を顕したお三輪の生血を以て入鹿の魔力を奪おうとする、政治的野心でふたりの女性を翻弄する求女はまことに冷徹な政治家であると云う見方から、現代人は決して逃れることは出来ません。しかし、「妹背山・御殿」を読む時には、人に恋する個人的な感情がもっともっと大きな時代物の捧げ物の構図のなかに収斂されていく、その有り様に目を向けねばなりません。それは肯定でも否定でもありません。肯定か否定か・そのどちらに傾いても、人に恋すると云う・人間的な感情がどこか不純なものに映ってしまいます。お三輪の(橘姫の)心情のピュアなものを感じ取ってください。レフ・トルストイは「愛とは惜しみなく与えるもの」と言ったそうですが、それと同じことです。彼女たちの心情のピュアなものを感じて心が大きく突き動かされるから、思わずアアと声が出るのです。

今回(令和5年10月国立劇場)の「妹背山」・第2部を見ると、格別にどこが悪い・どこに不満があるわけでもないけれど、どことなく感触が淡くて物足りません。心が動かされないのです。それは、梅枝の求女・米吉の橘姫・菊之助のお三輪、現代人である彼らが、登場人物の感情を脚本そのままに素直に表現することに「これで良いのだろうか」と疑問を感じてしまうと云うか、躊躇(ためら)いを感じてしまうからでしょう。

それでも女たちは「求女さま恋し」の感情に寄りかかれるからまだ良いのです。求女役者は大変だナと察せられます。恋の全責任は求女に掛かって来ます。そもそも求女は奥に引っ込んでしまって何を考えているか最後まで分かりませんから。梅枝はその古風な感触で・このところ義太夫狂言の役どころで成果を上げてきました。例えば昨年(令和4年)10月国立劇場での「鮓屋」の維盛は「もののあはれ」に感応できるセンスがある・とても良い出来でした。求女は維盛とほぼ似た役どころと考えて宜しいかと思います。維盛には落人の悲哀がありますが、それくらいの違いでしょうかね。求女は梅枝に適役だと思いますが、ちょっと難儀しているようです。現代人には求女の恋の背後にある政治的な野心がどうしても気になる、だから求女という役が難しくなって来るのです。

ここは次のように考えてみたら如何でしょうかね。求女の恋の背後にある政治的な野心を忘れるのではなく、これを公人である求女が体現する「大義」として、「恋」と一体化するものだと考えることです。それは求女(藤原淡海=不比等)が持つ「色好み」の徳の「裏表」であると云うことです。「古典」に対し絶対的な信頼が持てないのならば、求女という人物を正しく描き切ることは決して出来ないでしょう。そこが現代人にとっての求女という役の難しさです。そして求女ほど難しくないかも知れませんが、橘姫・お三輪についても同様のことが言えます。古典」(この場合は半二が提示する「女庭訓」)に対して絶対的な信頼が持てないのであれば、橘姫・お三輪も演じることは難しくなります。(この稿つづく)

(R5・10・15)


5)疑着の相を考える

疑着の相とは嫉妬の相のことを指しますが、恋したところが相手に別の想い人があって・嫉妬の念に駆られてしまうなんてことは結構起こりそうです。しかし、嫉妬する人ならば誰でも生血が入鹿を誅する効力を持つかと云えば、そんなことはない。お三輪は見掛けは普通の村娘ですが、桁違いの執着心を持つ特別な娘なのです。だからお三輪が「選ばれた」のです。多分「道成寺」の清姫を蛇体に変えてしまうのも、同じ様な資質です。「道成寺」説話では「女心の執着はコわ〜い」なんてことが言われますけれど、お三輪の方はいじめ官女に甚振(いた)ぶられたりするので・観客も「カワイソウ」の気持ちの方が先立ってしまって、そこのところが忘れられてしまい勝ちです。しかし、お三輪を悋気させたら凄くコわ〜い娘なのです。

金輪五郎に刺殺される直前・「あれを聞いては帰られぬ」でお三輪が表情をキッと変える場面がそれに当たるのはもちろんです。しかし、それ以前にお三輪の「コわ〜い資質」を暗示出来る場面はないだろうか。そう云うことを考えるのは、結構大事なことだと思いますね。そういう伏線が立たないから「御殿」で疑着の相が唐突な理屈になってしまって、「カワイソウ」な娘が無理やり殺されるだけの話になってしまいます。

そこで「妹背山・四段目」を眺めれば、それ以前にお三輪の「コわ〜い資質」が伺える場面は一箇所しかありません。それは「道行恋苧環」の最後の場面、求女の着物の裾に結びつけたはずの白い糸が切れているのをお三輪が発見してハッとする、花道七三での場面しかありません。しかも、「道行」の義太夫は既に終わっており、ここは完全な無言劇で行われるのです。半二は何ともシュールな手法を編み出したものだと思います。

この場面でのお三輪の気持ちは如何なるものでしょうか。下敷きになっているのは「古事記」の三輪山の苧環伝説ですが、本稿では詳しいことは省略します。大事なことは、愛し合う男と女の縁(えにし)が苧環に巻かれた麻糸に擬せられており、それを手繰っていけば・必ず想っているあの人に出会うことが出来ると云うことです。ギリシア神話のアリアドネの糸も同じ。その糸が切れていたとは、これはどういう意味でしょうか?これは神からあの人との縁を否定されたに等しいことです。「私はあの人のことをこんなに愛しているのに!ここでその糸が切れるなんてことがあっていいの!絶対許せない!」、そう云う気持ちになるはずです。ここでもうちょっと圧力が強くて・お三輪の心情が爆発していれば疑着の相はここで現れる、その寸前の状況なのです。

歌舞伎の「道行恋苧環」の最後の場面でこのようなお三輪の心情を垣間見ることは、残念ながらそう多くはないようです。吉之助の体験でも、それは玉三郎が「道行」のお三輪を人形振りで勤めた時(平成13年12月歌舞伎座)だけです。玉三郎の人形振りはこの時だけでした。その後の玉三郎のお三輪では同じことは起こりませんでした。

大抵の場合この場面は、「アア糸が切れちゃったか、エーイ悔しい」くらいなのです。物理的に糸が切れたのを怒っているだけのことです。今回(令和5年10月国立劇場)の菊之助のお三輪もそうですね。このことはとても残念です。そうではなくて、お三輪にとってまったく理不尽な・許せないことが、ここで起きたのです。私はあの人をこんなに愛しているのに・・これはまったくあり得ないことだ。この憤(いきどお)りを一体どこにぶつけたら良いの・・苛立つその気持ちをグッと呑み込んで、お三輪は求女の後を必死で追うのです。こうしてお三輪は御殿に辿り着く。しかし、御殿ではさらに屈辱的な事態がお三輪を待っていたと・・・「妹背山・四段目」のドラマはそう云うことですね。(この稿つづく)

(R5・10・19)


6)菊之助のお三輪・芝翫の鱶七

今回(令和5年10月国立劇場)の「御殿」の菊之助のお三輪の型は、ほぼ玉三郎の型であると思います。玉三郎の行き方は疑着の相に絡む時代物の論理に固執せず、村娘のほのかな恋心の真実にスポットを当てようと云うものです。感触としてはあっさり風味です。この行き方は玉三郎の個性によくマッチしていますが、玉三郎がやるからそれで良いと云う面もあって、役者によって向き不向きがあると思います。

本来の「御殿」はこれでもかと云う感じでお三輪を甚振(いたぶ)り・疑着の相へ向けての段取りをじっくりねっとり取るものだと思います。ただしそのようなイジめの場面は、見ている側(観客)にもあまり気持ちが良くないものです。だからそこの加減が難しいのですが、それが向く役者と向かない役者があろうかと思います。元々粘った芸風の六代目歌右衛門などはやはりじっくりイジめる段取りが向きだと思います。しかし玉三郎で同じことをやられると、見ている方がツラくなります。だから玉三郎型ではイジめと疑着の相への段取りをあっさり風味に変えるのは、さもありなんと理解します。ただし「それでこそ天晴れ高家の北の方」と持ち上げられてもお三輪には実感が全然ないわけなので、玉三郎型であると、お三輪の命が国家存亡の危機を救うために絡め取られていく時代物の非情の構図が淡く見えてしまいます。そこのところは玉三郎型では仕方ないと割り切る必要があるでしょう。それでも玉三郎は村娘のほのかな恋心の真実をしっかり描けているので、これがスパイスになって、最後のところでツーンと鼻の奥に来るものがある。これで「アア」と云う声が少しだけ出て、それでドラマとして持ち堪えると云うことでしょうかね。

本稿冒頭で菊之助のお三輪が「可哀想だが・哀れまでではない」と書きましたけれど、そうなる原因は複合的なもので、ここをこう直したら良くなると簡単には云えません。菊之助は可憐なイメージでお三輪のニンだと思いますが、菊之助のお三輪であると、玉三郎型の弱いところが透けて見えるような気がしますねえ。だから最後にスパイスが利いて「アア」と云う声が出るところにまで至らないのです。そこに玉三郎と菊之助の個性の微妙な違いがありそうです。そこのところを見極めてもらいたいですね。(同様のことは菊之助の「娘道成寺」にも云えると思っているのですがね。)いずれにせよ、いじめ官女のイジめの段取り、疑着の相表出への段取りにもう少し工夫が必要だろうと思います。前節で取り上げた「道行」幕切れの花道七三でのお三輪の表情など、もっともっと工夫をして欲しい箇所です。

芝翫の鱶七(後に金輪五郎)はスケールが大きく、芝翫の個性に似合っています。本人も気持ち良く演じているし、だから鱶七については良い点をあげられますけど、ちょっと憎まれ口をききますが、鱶七のように見掛けのスケールが大きく見えればそれで足る役ならば、まあこれで良いと云うことです。芝翫は「らしさ」に頼り過ぎるところがあって、芸風がちょっとメタボ(内臓肥満)のところがあって、キレが悪いと云うか・細やかな人間描写に於いて、芝翫に向きであるはずの時代物の役でも不満を感じることが少なくない。そこで鱶七については大きな不満はないけれど、ここをもう少し工夫してみたら如何かなと云う箇所を挙げておきます。

鱶七は大時代の役だと思っているようですが、これを漁師鱶七と金輪五郎と仕分ければ、前半の鱶七は世話の役なのです。大時代の金殿に、まったく場違いな世話の漁師が登場するミスマッチ、これが半二の意図したところです。それが体現出来る役者は決して多くはありませんが、「御殿」前半の鱶七はもっと軽めの世話に仕立てるのが本来だと思います。(二代目鴈治郎の鱶七の映像をご覧あれ。)もうひとつは、五郎がお三輪を突き刺す場面です。五郎はお三輪を憐れだと思うところはあっても・憎しと思う気持ちはまったくないのです。吉之助も歌舞伎ではエイヤッと一気に刀を突き刺す五郎しか見たことはありませんが、本来は一瞬のためらいがあって・心のなかで念仏を唱える気持ちがあって・お三輪に刀を突き刺すものです。工夫しようと思えば、工夫が出来る箇所はまだまだいろいろあるものです。

(R5・10・20)


 

 


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