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四代目松緑の「川連法眼館」

令和5年6月歌舞伎座:「義経千本桜〜川連法眼館」

四代目尾上松緑(佐藤忠信・忠信実は源九郎狐)、五代目中村時蔵(源義経)、二代目中村魁春(静御前)、六代目中村東蔵(川連法眼)、八代目市川門之助(飛鳥)他


今回(令和5年6月歌舞伎座)の松緑の源九郎狐ですが、身体が大きいし・最初のうちは動きが重ったるい感じがしてアレッ?と思いましたが、目が慣れてくると子狐の可愛らしさもそれなりに出ていて、悪くない源九郎狐であったと思います。狐の正体を現わしてクドキに入ると、元々踊りが身に付いている人ですから、情感がこもってグッと良くなる感じです。松緑の源九郎狐の重ったるい印象は、どうやら前半の本物の忠信の重い時代の印象が尾を引いてしまった気がしますねえ。本物の忠信をもっと軽めの感触に仕立てれば、「四の切」全体の印象を軽やかにすることが出来たであろうに、そこが今後改善すべきところかと思います。

歌舞伎には不思議な思い込みがあるようで、本物の忠信と偽忠信(源九郎狐)をしっかり演じ分けるのが役者の為所だと考える風があるようです。そうすると差異を際立たせるために本物の忠信をかつきり時代に重めに演じようと云うことになるのでしょうね。しかし、吉野までの道中ずっと同道していた静御前でさえ「そう云えば小袖の模様が違うてある」としか差異を気付かぬほどそっくりであるのに、本物と偽物と二人の忠信を「演じ分け」ようなんて、歌舞伎は面妖なことを考えるものです。こんなのは二人共同じように演じれば、それで良いのではないでしょうか。むしろ本物の忠信で軽めの感触を心掛けることは、時代物の役どころで重ったるく癖が強い感じに成り勝ちな松緑にとっては大事なことですし、そこが改善できれば演技の幅も出てくるだろうと思いますが。

ともあれ宙乗り付きでサービス満点の澤瀉屋型を見慣れちゃっているせいで・音羽屋型は地味に見えるところがあるけれども、「義経千本桜」のなかでの「四の切」のサイズは、このくらいのこじんまりしたサイズが本来のものだと思います。そう云うところを松緑の源九郎狐は垣間見せたと思いますが、この印象を確たるものにするためにさらなる軽やかさの工夫が必要になるでしょう。

時蔵の義経はやることは決して悪くありませんが、「女形っぽいナヨナヨした義経に見えないように」と云うことを意識するせいか、語調が少し強めの感じがしますね。(よく云えば凛としていると云うことだが。)「もののあはれ」に感応する義経にはもう少し柔らかな印象が欲しい。女形っぽく見えてはいけないかも知れないが、柔らかな印象とのバランスを取ってもらいたいと思います。魁春の静御前もしっとり落ち着いた色合いが持ち味の人だから印象はどちらかと云うと重めになりますから、今回(令和5年6月歌舞伎座)の「四の切」に若干重めの印象が付きまとうのは、主役三人のバランスに拠るところもありそうです。

(R5・6・19)


 


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