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久しぶりの十五代目仁左衛門の「鮓屋」

令和5年6月歌舞伎座:「義経千本桜・木の実〜小金吾討死〜鮓屋」

十五代目片岡仁左衛門(いがみの権太)、二代目中村錦之助(弥助実は平維盛)、五代目中村歌六(鮓屋弥左衛門)、初代中村壱太郎(お里)、初代坂東弥十郎(梶原平三景時)、初代片岡孝太郎(若葉の内侍)、初代片岡千之助(小金吾)他


1)久しぶりの仁左衛門のいがみの権太

今月(令和5年6月)歌舞伎座の「鮓屋」は、東京では平成25年(2013)10月歌舞伎座以来の仁左衛門のいがみの権太です。普段から仁左衛門は観客に芝居を分かりやすく見せることに心を砕き、独自の工夫を加える努力を絶えず怠らないのは素晴らしいことです。なかでも「木の実〜鮓屋」は、そのような仁左衛門の行き方の成功例のひとつです。仁左衛門型のいがみの権太は、上方風味を加えたものとは云え・純然たる上方型ではなく、江戸の音羽屋型の粋な要素をベースにした折衷型と云うべきでしょうが、これがまた仁左衛門の柄によく似合っています。根っからの「いがみ」ではなく・どこか愛嬌を含んだ憎めないワル、だからモドリになった(善心に立ち返った)告白に観客が素直に感情移入できる、そう云う権太であると思います。

まあそうすると原作が持つ「木の実」での小金吾に対する権太の強請りの手強さ、「鮓屋」後半で父・弥左衛門が息子・権太を刺す激しい怒り(それは憎しみさえ含む激しいもの。それくらいでないと弥左衛門はとても息子を殺せないのです)と云うところからすると、権太のデッサンに多少の齟齬が生じるということはあると思います。しかし、それは仁左衛門型だけのことではなくて、そのベースになっている音羽屋型自体が持つ問題であろうと思います。仁左衛門型はそこを、例えば梶原一行が内侍と六代君(実は権太の妻子)を連れて去った後、権太が身替りの真相を明かそうと「親父っさん、親父っさん・・」と言い掛かるのを瞬間的にカッとなった弥左衛門が聞く暇もなく息子を刺す、つまりホンのちょっとタイミングがずれていれば悲劇は起こらなかった、それならば弥左衛門は話を聞き安堵して・息子を刺すことはなかったはずだと云えそうな段取りを工夫しています。こうすることで愛嬌を含んだ憎めない「いがみ」の権太の造形が効いて来ます。観客が「ああカワイソウに、ホントは権太は死ぬことはなかったのに・・」と感情移入して権太のために無理なく泣くための段取りを用意するのです。この辺は、もしかしたら音羽屋型より段取りが上手いかも知れませんねえ。前後しますが、首実検の場面で梶原に内侍と六代君の顔を見せよと要求される場面で、権太が松明の煙のせいで涙が出てかなわないという振りを見せるのも、音羽屋型にない上手い工夫です。「木の実」幕切れの権太一家の花道の引っ込みでほのぼのとした家族愛を見せたことが、ここでしっかり効いて来ます。結果として仁左衛門型の「鮓屋」は権太一家の悲劇を観客に正しい姿でスッキリ見せることに成功しました。

原作を検討すると、権太は妻子を身替わりにしておいて・鮓屋の総領息子として自分だけがその後を安穏に暮らすなんてことは決して出来ないはずですから、権太は自ら望んで父親に殺されに行ったも同然(それが権太ならではの自己決着の付け方なのです)と云うのが本来のところだと思います。しかし、「鮓屋」を見て観客が「ああカワイソウに、ホントは権太は死ぬことはなかったのに・・」と感じることは決して間違いではありません。むしろ権太一家の悲劇の理解の筋道として、それが正しい感じ取り方だと言うべきです。結局、「鮓屋」とは、トンでもないドラ息子が・最後の最後に・たったひとつだけ良いことをして・親に褒められて死んでいったと云う、それだけのドラマなのです。これが見取り狂言としての「鮓屋」の正しい理解であり、「義経千本桜」の理解はそこから始まると言わねばなりません。今回(令和5年6月歌舞伎座)の「木の実〜鮓屋」上演では、仁左衛門(権太)・吉弥(小仙)の夫婦が「権太一家の悲劇」をしっかり描き出しています。(この稿つづく)

(R5・6・11)


権太一家の悲劇の意味

「鮓屋」とは、「トンでもないドラ息子が・最後の最後に・たったひとつだけ良いことをして・親に褒められて死んでいった」と云う、それだけのドラマだという認識は、とても大事なことです。この時、父・弥左衛門の「エヽ聞こえぬぞよ権太郎。孫めに縄を掛ける時、血を吐く程の悲しさを、常に持つてはなぜくれぬか」という言葉が観客の心に深く突き刺さります。観客が権太のために泣くのは、権太一家が感じていた絶対的な孤独・深い哀しみが、そこに察せられるからです。これは「平家物語の世界」とか「義経記の世界」なんて予備知識をまったく知らなくたって、純粋に察せられることです。そんなものを知らなくたって、権太一家の悲劇は成立するのです。「出かした権太郎、よくやった」と父・弥左衛門が褒めて許してくれることを、権太一家は何かしなければなりませんでした。「鮓屋」では、たまたまそれが主筋・維盛一家を助けることであったのです。

ですから「鮓屋」に於いては、平家物語の世界・義経記の世界などという時代浄瑠璃の構造から無関係にしても、それだけで権太一家の悲劇は立つと云うことです。三代目菊五郎が創始した音羽屋型の権太は、今回の仁左衛門型のベースにあるものですが、「鮓屋」のドラマの本質を正確に見抜いています。あの時ホンのちょっとタイミングがずれて・もう少し早く弥左衛門が身替りの真相を知っていれば、ホントは権太は死ぬことはなかったのに・・ああカワイソウに・・というのが、観客が「鮓屋」を見て泣くホントの理由です。もちろん「鮓屋」は「義経千本桜」のなかの一幕ですから、最終的にはその枠組みのなかに取り込まれねばなりませんが、それより以前に、観客に権太一家の悲劇が実感されなければ、時代物の構図が正しく機能することはありません。

ですから権太の死が無駄死だとかいう前に、しっかり味わなければばならぬドラマが「鮓屋」にはあると云うことです。それがしっかり味わえていれば、無駄死だなんて考えは思い浮かばないのです。「歌舞伎素人講釈」でも、権太はどの時点で改心したのかなんて理屈を並べていますがね。もちろんそれは「鮓屋」を「千本桜」の構造に取り込むために大事なことですし、演じる側(役者)もそれなりの理屈を持たねばなりませんが、細かいところは実はどうでも良いのです。と言ったら語弊があるかも知れないが、権太の性根の裏打ちになる大まかな見通しが立つのならば、それで良いわけです。もう一度書きますが、「トンでもないドラ息子が・最後の最後に・たったひとつだけ良いことをして・親に褒められて死んでいった」と云う・このことさえ押さえられていれば、「鮓屋」の悲劇は立つのです。特に見取り狂言として「鮓屋」を上演する場合に、このことは大事なことです。このことを正しく見抜いた三代目菊五郎の感覚(センス)に、改めて感服しますね。このことは、同じく三代目菊五郎が創始した「六段目」の音羽屋型でも分かります。あの時ホンのちょっとタイミングがずれて・勘平が腹切る前に父・与市兵衛を殺したのでないことが判明していれば、ホントは勘平は死ぬことはなかったのに・・ああカワイソウに・・というのが、観客が勘平の死を見て泣くホントの理由です。この感動から「忠臣蔵」の悲劇の考察が出発します。

今回(令和5年6月歌舞伎座)の仁左衛門型のいがみの権太は、仁左衛門は愛嬌もある権太で、音羽屋型の江戸前の権太の線であるけれども、これも仁左衛門の柄によく似合っていたと思います。体調を考慮して段取りを変えたところもあったけれども、元気な権太を見せてくれて嬉しいことでした。(この稿つづく)

(R5・6・14)


3)維盛の役割

このように「鮓屋」を読んで行くと、時代物によく見られる「捧げ物の構図」(他者が名もない庶民の犠牲を「そは然り」と受け取って許しを与えるパターン)に、権太一家の悲劇がスンナリ当てはまらないことに気が付くと思います。維盛は他者として機能しません。他者の許しを与えるのは、頼朝の名代である梶原景時です。権太一家の悲劇は、父・弥左衛門に平家の恩義があることで「平家物語」の世界とかろうじてつながってるだけなのです。「平家物語」の世界にしっかり関連付けて、「鮓屋」に「千本桜」三段目切の格(正しい位置付け)を与えることは、権太には出来ません。それが出来るのは維盛だけです。

維盛は、武家の頭領としての資質にまったく欠けた人物でした。それをするには神経が繊細過ぎて、余りにも心が綺麗に過ぎました。そんな維盛には、平家の御曹司として生きること自体が過酷に過ぎました。だからこれまでの維盛の人生は、自己を偽った「騙り」の人生でした。「鮓屋」でも、維盛は自らを騙って弥助として生きています(或いは生かされています)。もうこれ以上偽りの人生を続けることは出来ないと維盛に気付かせてくれたのが、権太の死でした。権太は自らの騙りの人生を悔いて死に、維盛は自らの騙りの人生を自覚して髻を切る。こうして「鮓屋」は「平家物語」の世界へ納まります。だから権太と維盛は、内なる世界(世話)と外なる世界(時代)とでパラレルな関係に置くことができると思います。

ところが歌舞伎の維盛には、権太一家の犠牲を受け取って「ごっつあん」するのが維盛だ(つまり維盛が他者だ)と云う根本的な思い込みがあるようですねえ。これは丸本にない入れ事なのですが、弥左衛門にまずまず・・と言われると竹本が「たちまち変わる御装ひ」で弥助が維盛卿へと性根をガラリと切り替えて見せる、そこが役者の芸の見せ所だなんてされるものだから、面妖なことになります。今回(令和5年6月歌舞伎座)の錦之助の維盛はそこを几帳面にやっていますが、途端に無表情にして動きを人形っぽく時代に変えたりするのは、これを大真面目にやればやるほど白々しく感じられる。これでは維盛の人物が薄っぺらに見えてしまいます。こんなところは落差をあまり付けずにサラリと流せばそれで宜しいのです。

しかし、錦之助の維盛は、総体では柔らか味もあって悪くない出来であったことは付け加えておきます。お里が寝入る前後に・じっと物思いに沈むところは、憂いが決まってよく出来ました。維盛役者にとってのホントの為所は、この場面です。維盛は「もののあはれ」に強く感応する人物なのです。もうひとつ、幕切れの維盛が下手戸外で一人立つようにしたのは、(これは仁左衛門型のコンセプトだと思いますが)良い終わり方でしたね。権太の死を峻厳に受け止めて維盛は独り高野へ向けて旅立つ(つまり「平家物語」の世界へ帰る)、これならば「鮓屋」はしっかり「千本桜」の三段目の幕切れになると思います。

歌六の弥左衛門は、頑固親父に仕立てるのが本来でしょうが、仁左衛門の愛嬌がある権太には、情味のある歌六の弥左衛門がよく似合いますね。壱太郎のお里もパッと華やかさのある町娘で「鮓屋」のドラマに適度なアクセントを付けて好演です。

(R5・6・17)


 


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