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六代目歌右衛門の阿国御前

昭和50年9月国立劇場:「阿国御前化粧鏡」

六代目中村歌右衛門(阿国御前)、二代目中村鴈治郎(土佐又平重興)、十三代目片岡仁左衛門(世継瀬平・小栗宗丹二役)、七代目中村芝翫(妙林娘累)、五代目片岡我童(十四代目片岡仁左衛門)(元信娘絵合)、八代目中村福助(四代目中村梅玉)(狩野四郎次郎元信)、五代目中村松江(二代目中村魁春)(銀杏の前)、六代目沢村田之助(箱廻し金五郎)、五代目片岡我当(村越良助)他

(郡司正勝・補綴、中村歌右衛門・演出)


1)歌右衛門の阿国御前

本稿で紹介するのは、昭和50年(1975)9月国立劇場での、六代目歌右衛門の阿国御前による「阿国御前化粧鏡」(おくにごぜんけしょうのすがたみ)の舞台映像です。「阿国御前化粧鏡」は四代目鶴屋南北(当時は勝俵蔵)が55歳の時に、文化6年(1809)6月・江戸森田座の夏狂言として書き下ろしたお家世話物です。当時の1日掛かりの狂言の仕立て方は「二番建て」と云って、一番目が時代物(歴史上の出来事や武士の世界を扱ったもの)、二番目を世話物(現代の出来事や庶民の世界を扱ったもの)として、それぞれの題材が相互に関連した形に収めるのが通例でした。「阿国御前化粧鏡」の一番目では、恋人に裏切られた阿国御前が髪梳きしながら憤死する場面が大きな見せ場です。これが後に「東海道四谷怪談」のお岩の髪梳きへと繋がって行きます。二番目は俗に「湯上りの累(かさね)」と呼ばれます。初演で累を演じた三代目菊五郎(当時は初代栄三郎)が風呂上りの累が肌もあらわに化粧する場面が、当時大いに話題となったそうです。この後も菊五郎はこの役を当たり役として何度も演じました。そしてこの趣向が後に瀬川如皐の「与話情浮名横櫛」の湯上りのお富に取り入れられることになります。このように本作では阿国御前と累がそれぞれ鏡を前に化粧をすると云うところに対照を持たせているわけです。鏡を軸に時代と世話の世界が重なって来る、そこに過去と現在の因縁の相を見せると云うことです。ただし、これだけで一番目と二番目の関連を察知しろと云うのは、これはなかなか難しいことだと思います。

「阿国御前化粧鏡」の一番目の阿国御前の件と・二番目の累の件は、初演以後は切り離されて別々に上演されたようです。このことは今回の上演を見てもそのように感じますが、一番目と二番目の関連性がやはり弱い。このため別個の狂言をふたつ並べたような印象が拭えません。一番目と二番目が切り離されたのも、多分そう云う事情でしょうねえ。阿国御前の髪梳きはその後のお岩の髪梳きに取って代わり、累の湯上りも後にお富の湯上りに取って代わられて、「阿国御前化粧鏡」の上演は幕末に途絶えてしまいました。

お岩の髪梳きは歌右衛門の当たり芸でしたから、その歌右衛門が阿国御前で髪梳きをやるのが、今回(昭和50年9月国立劇場)上演の眼目であったことは疑いありません。後述しますが、一番目四建目・「世継平内の場」での阿国御前の髪梳きは、さすがのインパクトを見せています。演技が時代に重過ぎやしないか・どうやらこれは南北本来の感触でないらしいと感じるところもあるけれども、ここには歌右衛門しか成し得ない説得力が確かにあります。さらに今回上演では、原作にない「帯解野の場」で歌右衛門の宙乗り(本舞台上を下手から上手へと飛行、歌右衛門は他で宙乗りをしたことがあったでしょうかねえ?)により阿国御前の亡霊が月夜に蛍狩りをする大サービスが付きます。

しかし、三代目猿之助歌舞伎でも宙乗りは大抵芝居の終わりの方にあったわけで、歌右衛門の宙乗りが終わると(別に歌右衛門が悪いわけではないのだが)観客は心理的に芝居の区切りが付いた気分に陥ってしまう。このためまだまだ芝居が続くのに・二番目が付け足しの如く見えてくるのです。芝翫の累も頑張ってはいるのだが、元々芸風が渋い人だから湯上り姿も何だか地味に思われます。原作の一番目と二番目との関連が弱いせいで、昔の「二番建て」の作品構造の面白さを楽しんで欲しいと云う今回上演の目論見通りには行かなかったようです。(この稿つづく)

(R5・4・23)


2)六代目歌右衛門の阿国御前

「阿国」と聞くと出雲の阿国を連想してしまう方が少なくないと思います。実は吉之助もそうでした。しかし、今回(昭和50年9月国立劇場)上演の「阿国御前化粧鏡」の阿国御前は、それとは全然関係がありません。阿国御前とは、大名がお国元に置いている愛妾のことを云います。江戸期には参勤交代の制度があって、原則として諸大名は1年交代で江戸と国元(領地)を行き来せねばならず、江戸を離れる場合でも正室と世継ぎは江戸に常住せねばなりませんでした。側室や世継ぎ以外の子にはそのような義務はありませんでした。したがって国元にいる間は大名は愛妾を相手にしたのです。と云うことは、大名が江戸詰めしている間の愛妾はお暇なのです。そうすると暇をもて余して、秘密の愛人を作ったり・我が子をお世継ぎにしようと画策したり、勝手な振る舞いをする愛妾も出て来るかも知れません。これが歌舞伎の御家騒動物の恰好の材料となって来るわけです。本作の阿国御前も、そんなひとりであったのです。

佐々木家は内紛で没落し、既に当主は亡くなっています。愛人・狩野元信に去られた阿国御前は、失意のうちに長く病に伏せっていました。ところが偶然読んだ密書から、元信が自分に近づいたのは実は本心からではなく、(阿国御前が隠し持っていた)御家再興のために大事な系図の一巻を取り返す計略であったと知ります。阿国御前は「さてはたばかられたか」と怒り狂います。阿国御前は鏡に映る病いでやつれ果てた自分の姿を見て、化粧を直し・髪を梳き始めます。しかし、却って形相はますます凄まじいものとなって行きます。ふらふらと立ち上がった阿国御前は、「このまま死すとも、なに安穏に置くべきか」と叫んで憤死します。ねじ切った髪の束から血が滴り落ちました。この「世継平内の場」での阿国御前の髪梳きが本作の見せ場です。

この阿国御前の髪梳きが、16年後になる文政8年(1825)7月江戸中村座で初演された「東海道四谷怪談」のお岩の髪梳きの原型になるものです。そうすると本作復活に際して演者が考えたくなることは、お岩の髪梳きの二番煎じに見せないようにすることです。何しろこちらの方が原型(オリジナル)なのですから、その違いを見せなければなりません。お岩の髪梳きが生世話ならば・こちらは時代物、それも大時代に差異をグッと強調して・髪梳きをじっくり見せようと云うことになるわけです。しかし、そこはさすがに歌右衛門、お岩の髪梳きを当たり芸とするだけに、どこをどう変えたら大時代に・こってりと重い髪梳きに仕立てるかという勘所を実によく心得ています。この場面では、忠実な老僕・世継瀬平を演じる十三代目仁左衛門も、歌右衛門の意図に沿ったと云う意味において好演です。舞台は二重屋台に仕立てられて、視覚的にも時代物の感触です。ご存じの通り「四谷怪談」の髪梳きの場での宅悦はよくキャアキャアと騒ぎます。これが世話場の怪談芝居の恐怖感の醸成に効果を発揮するわけですが、仁左衛門の瀬平はもちろんそんなことはしません。恐怖で震えながらも下僕として勤めるべき職務を果たそうとします。しかし、おかげで歌右衛門の阿国御前の暗く情念が邪魔されずに観客に重みを以て伝わって来るのです。この辺は時代物の髪梳きの場としての対照性(コントラスト)を強く意識したものでしょう。兎に角髪梳きの場での歌右衛門の説得力は大したものです。

ただし歌右衛門の行き方は、もしも「阿国御前化粧鏡」が(「四谷怪談」と同様に)幕末で途切れることなく上演され続けたとして、先人の様々な工夫の集積を経て或る種の「古色」がこびり付いたとしたら、こんな感じになるだろうと云うところで納得されるものです。つまり傍に「四谷怪談」のお岩の髪梳きのイメージが厳然とあるから成立するものです。現代の歌舞伎役者が南北物復活に関わる時、このような束縛から逃れることは難しいことなのでしょうねえ。しかし、もしその束縛から解放されたところで阿国御前の髪梳きを想像したとすれば、感触はもう少し軽いもの(もっと世話に近い感触)ではなかったかと云う気がするのです。例えば瀬平も、宅悦ほどでなくても、もう少し恐怖でキャアと騒いでも良かったかも知れません。その方がこの場を世話に近い感触に出来て、その後の「四谷怪談」の生世話への道程が見えたかも知れないと思うのです

例えば次の・五建目・「元興寺の場」では、狩野元信が恋人錦の前を伴って元興寺に一夜の宿を求めますが、多くの腰元をかしづかせて・そこに住んでいたのは、(前場で死んだはずの)阿国御前でした。阿国御前は元の美しい姿をしていますが、元信の家来・又平が厨子をさし向けると、阿国御前は苦しみ出し、その姿は骸骨の姿に変わり、元興寺はバラバラと砕けて・朽ちた廃屋と化します。

この場面は、本作初演(文化六年)当時人気があった読本「牡丹灯籠」の、死んだ娘の亡霊が恋焦がれる男を呼び寄せる趣向を南北が取り入れたのです。このイメージの変転は「四谷怪談」の夢の場にも通じるものです。このような、表から裏へ・また裏から表へとめまぐるしく変転するイメージの「軽やかさ」こそ鶴屋南北の真骨頂であると云うべきでしょう。この「軽やかさ」がどこか生世話への感触にも通じるのです。

しかし、歌舞伎役者がこれを演じる時には、重く時代にやらないと「歌舞伎らしく」演じていると感じないらしいところに、どうやら現代歌舞伎の南北上演の難しさがありそうです。そうすると原作にはない「帯解野の場」で阿国御前の亡霊の宙乗りによる蛍狩りのシーンが付くのも、これは黙阿弥の「骨寄せの岩藤」の岩藤の亡霊の宙乗りを拝借しているわけですが、この発想も幕末歌舞伎の感覚として・それはそれで納得は出来るわけで、「阿国御前化粧鏡」一番目の阿国御前の件に、しっかりと完結感覚を与えているのはこの宙乗りのおかげであると云うことは言えそうですね。

(R5・4・25)



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