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四代目猿之助の「再岩藤」六役

令和3年8月歌舞伎座:「加賀見山再岩藤 岩藤怪異篇」

四代目市川猿之助(多賀大領・御台梅の方・奴伊達平・望月弾正・安田隼人・岩藤の亡霊、六役)、二代目市川笑也(お柳の方)、三代目市川笑三郎(局浦風)、二代目中村雀右衛門(二代目中老尾上)、二代目坂東巳之助(鳥井又助)、八代目市川門之助(花房求女)他

*本稿では三代目と四代目の猿之助が交錯しますが、代数を記さず・ただ猿之助と記した場合は、当代・四代目猿之助のこととお読みください。


三代目猿之助四十八撰の内「加賀見山再岩藤」は普通にやれば3時間半を優に超える長尺(休息時間を除く)ですが、これは石川耕士が「岩藤怪異篇」として、枝葉を刈り・筋を切り詰めて1時間半くらいに収めたダイジェスト版。コロナ緊急事態宣言下で上演時間に制限があって・演目建てが儘ならぬなか、何とかお客様に愉しんでもらえるものを・・と云うことでの苦心の産物であると重々理解はしていますが、芝居は筋を通せばそれで良いと云うものではなく、無駄と思える枝葉を切り詰めれば切り詰めるほど、ドラマは痩せて・筋の無理が却って目立つことになる、まあそんなものです。聡明な猿之助は分かっているでしょう。現在のコロナ状況が改善した暁には、元のやり方に戻して見せてもらいたいと思います。

それは兎も角、猿之助は澤瀉屋の頭領として、二代目猿翁(三代目猿之助)の復活狂言・スーパー歌舞伎など受け継いでいかねばならぬ立場にあるわけですが、そこにニンの相違とかも出て来るので、何でもかんでも演じると云うことではなく、そこに自ずと選択が入ると云うか・作品の演じる頻度に濃淡が出て来るのは、これは当然であろうと思います。これまでの道程を見ると、早替り系統の・数役以上を目まぐるしく替わる演目は、現・猿之助はどちらかと云えば・頻度が低いかなと思っています。もちろん猿之助はそれを演じ切る技量を十分持っているし、早替りに向きでないとは全然思いません。現に今回(8月)のように「再岩藤」もやるし、早替りの段取りは上手いものです。12月歌舞伎座では「伊達の十役」を演る予定になっています。しかし、どちらかと云えば「芝居をじっくり見せる」系統の演目の方が猿之助には向きなのであろうと、吉之助は見ています。

今回(令和3年8月歌舞伎座)の「加賀見山再岩藤 岩藤怪異篇」は、ダイジェスト版ですから芝居をじっくり見せる場面が少なく、早替り芝居の様相が一層強くなっています。そうなると、猿之助の芸の見せどころがあまりない。と云うよりも、猿之助の存在感が大きいだけに・むしろそれが却って重ったるく見えてしまう不満が募ります。言い方が悪いけれど、薄っぺらな芝居は薄っぺらにやってくれた方が良いと思うわけです。そこを猿之助が重ったるく芝居するところに、感覚的な齟齬が若干あると云うことを申し上げたいと思います。

叔父甥の関係だから当然のことかも知れませんが、現・猿之助は、声が叔父にとてもよく似ています。また叔父の芸・実績をホントに尊敬している人だから、口調なども自然と似てしまうということもあるでしょう。かつて三代目猿之助ファンであった吉之助としては、目を閉じていると三代目を思い出して、懐かしいところが随所にありますが、ひとつ感じるところは、現・猿之助は叔父よりも芸質がちょっと重いかなというところはありますね。もちろんこれは個性の違いと云うことだから、全然悪いことではありません。しかし、叔父よりも感触がちょっと重い。良く言えば、叔父よりも技巧的に練れているとでも言いましょうか。しかし、「軽やか」とは云えないかも知れません。そこが今回の「再岩藤」のような早替り系統の芝居を、三代目の時とはやや異なる感触にしていると思います。吉之助の記憶では、三代目の早替りは感触が軽やかでした。「軽やかさ」と云うことは、早替り系統の芝居では結構大事な要件ではないかと思います。

まず今回の現・猿之助の良いところを申し上げます。それは演じる六役を通じて、どれも「自分の声」で押し通していることです。梅の方や岩藤の霊は女役ですが、これも無理して裏声に張ることをせず、はっきり猿之助の声で通して・口調で仕分けています。これはなかなか出来ることではありません。芸に自信のある役者であるから出来ることです。普通は喉を六色に使い分けて、六役を小手先で演じ分けたくなるものです。それで喉に無理を強いてしまいます。早替り芝居ではこれが一番ダメなことで、早替り芝居では「あいつが違う役でまた出てきたわい、今度はどこでどうやって出て来るつもりだ」と観客に思わせることが大事なのです。「いつでもどこでも猿之助」で押し通して、ちっとも構わないのです。早替り芝居の本質は、「舞台に見える姿はひとつの人格が纏った仮の姿である」という哲学的観念にまで至るものです。

その時、大事になることは、「あいつが演じた役Aは、同時にあいつが演じる役Bでもあり得る」という感覚なので、だからそこで「軽やかさ」の感覚が早替り芝居で大事なことになって来るのです。(これについては、別稿「雑談・伝統芸能の動的な見方」を参照ください。)ですから、早替り芝居で重ったるさが出て来しまうと、それはちょっと違う感触になってしまいます。どの役でも等しく・分け隔てなく「しっかり本格に」演じるということは悪いことではないと思うでしょうが、早替り芝居であると、それでは感触が重ったるくなってしまいます。現・猿之助の早替り芝居は、そんな感じがしますねえ。三代目は・そこの感触が軽やかであったと吉之助は記憶しています。これは、ほんのちょっとした違いです。だけど大きな違いでもあるのです。

「加賀見山再岩藤」は安政5年(1860)3月江戸市村座で初演されたもので、初演時は四代目小団次が鳥井又助と岩藤の亡霊の二役を演じて好評を得ました。このことからも「再岩藤」のなかで芝居の面白さを担うのが又助、趣向の面白さを担うのが岩藤であると察しが付きます。以来本作はこの二役を兼ねる形で演じられたのですが、これを三代目猿之助が早替り芝居に仕立てたのが昭和48年(1973)5月京都南座のことでした。この時、又助と岩藤を含む七役として仕立て直し、以来本作は三代目猿之助の人気作として上演を重ねて来ました。こういう場合、七役のなかでの芯は、当然又助と岩藤になります。ただし岩藤は所詮仕掛けの面白さですが。七役のどの役でも等分に演じたら良いのではなく、残りの役は流すというでもないが、重さとしては軽めにすべきでしょう。そのような役の軽重を想定しないと、早替りのテンポが付かないのです。

今回(令和3年8月歌舞伎座)はコロナ仕様のダイジェスト版ですから・仕方ないことですが、一番芝居になるはずの又助の件を脇筋へ外ずし・残り六役に纏めて台本を約半分に圧縮したために、猿之助の芸の仕どころが少なくなって、六役を等分に押し出さざるを得なくなりました。もちろんこれは脚本のせいではあるのですが、早替りのためだけに筋を通したような芝居にしてしまったのです。だからこそ、もう一度繰り返しますが、薄っぺらな芝居ならば、むしろ薄っぺらに・軽やかにやってくれた方が良いのです。その方が芝居にテンポが付くでしょう。

例えば冒頭・大乗寺花見の場でお殿様・多賀大領が家老の諌言を退け「帰参の儀は相ならぬぞ。二言と申すな、聞く耳持たぬわ」という猿之助の台詞廻しは、それだけ抜いて聞けば、なるほど本格で上手い。しかし、所詮これは女色に狂った馬鹿殿の薄っぺらな台詞ではないでしょうか?まるで賢君の実を込めたような言い廻しは相応しくない。ここは薄っぺらに・軽やかに済ませれば良いのです。

台詞の末尾でテンポを落して語句をねっとり転がしたがるのは、猿之助のちょっと悪いところかなと吉之助は思っています。確かに上手いのですけどね。上述の台詞の末尾を引っ張るのが、大領の引っ込みで幕となるならば、まだ良しとします。しかし、大領が引っ込んだ後も残った連中で芝居は続いていますね。例えば「番町皿屋敷」幕切れで青山播磨が「散る花にも風情があるなあ」と云う。この台詞は二代目左団次の様式からすると本来引き伸ばすべきでないものですが、幕切れの・締めの箇所であるから引き伸ばしてもまだ許される。あくまで幕切れの・締めの箇所だからです。どこもかしこも台詞の末尾を引き伸ばしたのでは、テンポが付かず・よろしくありません。猿之助も、そう云うところに気が付いて欲しいなあと思います。梅の方が「嵐は花の仇よなあ」と云う台詞でも末尾を引き伸ばしてますが、これもサラリと済ます方が良いと思いますがね。そんなこんなの積み重ねで芝居全体の感触が重ったるくなるのです。

そういうわけで、コロナ仕様の脚本のせいもありますが、薄っぺらな芝居ならば、むしろ薄っぺらにやってくれた方が、それで芝居にテンポが付いて来ると思うのです。巳之助の又助は、脚本の刈り込みが残念ですが、スッキリと素直な出来。雀右衛門の二代目尾上は、前身が「鏡山旧錦絵」の下女お初である・つまり勝気でおキャンな武家娘出身だと云うことを踏まえれば、これで良いとはとても思えませんね。雀右衛門襲名披露口上で東蔵さんが「自己主張の強い雀右衛門を見たいな」と仰ったのを、ちょっと思い出してもらいたいなあ。

(R3・10・9)

(追記)猿之助は、コロナ感染療養のため初日(3日)から18日まで休演となり、巳之助が代演で6役を勤めました。19日は休演日で、20日から猿之助が復帰し、千秋楽(28日)まで6役を勤めました。



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