(TOP)     (戻る)

南与兵衛の義理と人情〜菊之助初役の与兵衛

令和2年9月歌舞伎座:「双蝶々曲輪日記・引窓」

五代目尾上菊之助(南与兵衛)、二代目中村吉右衛門(濡髪長五郎)、五代目中村雀右衛門(女房お早)、六代目中村東蔵(母お幸)


1)義理と人情の揺れ動き

例年であれば歌舞伎座9月興行は、秀山祭と云うことで、初代吉右衛門所縁の演目が多く並びますが、本年はコロナ・ウイルス蔓延による数か月の休場から再開2か月目で興行形態がまだ元に戻っていないため変則的な4部制になっており、その第3部に「引窓」が出ました。今回は菊之助初役による南与兵衛が注目です。菊之助は岳父・吉右衛門の教えを受けて播磨屋型を学び、吉右衛門が濡髪長五郎に回ります。

このところ菊之助は義太夫狂言の大役の数々を初役で勤めて、それなりの成果を挙げてきました。感心することは、押さえるべきところをしっかり押さえて、初役でもこのくらいは出来て欲しいなと思うレベルには、きっちり仕上げて来るところです。要するに芸の筋目が良いということです。だから安心して舞台を見ていられます。もちろん将来へ向けての課題は、まだいろいろあります。丸本時代物では主人公の心情の根拠が、忠義とか名誉とか、行動論理が割合明確であるので、性根の把握が比較的容易です。だから解釈は役者によってそれぞれですが、そう大きな相違があるわけではない。しかし、「引窓」のような丸本世話物では、当時の庶民の生活感覚に深く根差しますから、より細やかな人情表現が必要です。そこでは役者の人間性が役に大きく影響します。些細な違いが、世話物の役の味わいの差になって現れます。だから世話物の役どころは、多分に役者の味がするものです。

菊之助は本年3月国立小劇場での、時代物の「千本桜」三役の標準問題からもう少し踏み込んで、世話物の「引窓」で応用問題に挑戦ということですが、「よく頑張っている」ことは認めたうえで申し上げますが、ちょっと気になるところがあります。このくらいの役の難易度になると、役の性根を正しく掴むという頭脳プレイだけでは追っつかないということです。何と言いますかねえ、自分の人間性を以て、もっと役に同化していかねばなりません。或る意味では役を自分の方へ強く引き寄せることが必要になります。そのためにはもっと人生経験を積まねばならぬということなのでしょうね。「千本桜」の三役のなかでは世話物のいがみの権太の出来がいまひとつであったのも、つまるところは同じ理由から来ます。

菊之助の初役の与兵衛は、品行方正で爽やかな印象が強い。郷代官に取り立てられたことが誇らしくて嬉しくて、それを女房にも母にも喜んでもらいたいと、心の底から思っている素直な孝行息子なのです。但し書きを付けておくと、それは与兵衛の性根として間違っていません。与兵衛の性根の根本のところは、もちろんそこにあるのです。またこれは、菊之助の役者の仁(ニン)からしても、まったく叶ったところです。だから与兵衛の性根の把握には、まったく問題はありません。菊之助は確かによく頑張っています。けれども菊之助の与兵衛は、「人情の機微」の表出というところで物足りない。与兵衛の陰影の表出が物足りないのです。それは役の解釈からではなく、役者の味から出るものなのです。そこが今後の菊之助の課題になるでしょう。

時代物においては、例えば「熊谷陣屋」では、熊谷直実が主筋の身替わりとして最も大事な息子小次郎を殺します。「主筋のために何もかも犠牲にして忠義を尽くすのが武士の勤めである」とするのが、忠義の武士の論理です。もうひとつ、傍に「最愛の息子を殺すのは親としては出来ない」という人情の論理があります。これら忠義と人情の、ふたつの論理の狭間で揺れるのが時代物のドラマであるわけですが、ここでの忠義は、私(自己)に向かって襲い掛かって来る論理です。それは圧倒的な存在で、個人には抗しようがないほど重いものです。だから私(自己)から見た場合、忠義を「他者」の論理、自己と対立する論理であると見なすことが出来ます。まあこれは多少の無理が生じることもありますが、大抵の場合、時代物のドラマをこのように解釈して的を大きく外すことはありません。

一方、世話物の場合も、義理と人情の揺れ動きでドラマを読むのはもちろんです。しかし、世話物での他者と自己の対立関係は、時代物ほどに明瞭かつ強固なものではないことに注意せねばなりません。世話物での義理の論理は、真綿で首を絞めるような緩慢な感覚で個人を責めます。義理と人情が、どちらも自分のなかに共存して両者を別つことが難しいから、そうなるのです。

例として「新口村」の孫右衛門を挙げておきます。孫右衛門は罪を犯して逃げて来た実の息子(忠兵衛)に一目会いたい。これが孫右衛門の実の親としての人情です。ところが忠兵衛を養子に出した先の養い親が連座して牢に入れられています。養い親の災難を思えば、忠兵衛に会って親としての情に浸っているわけには行きません。だから孫右衛門は息子に会おうとしません。これが孫右衛門の義理です。そこで梅川の配慮で、これならば養い親への義理も立つでしょうということで、結局、孫右衛門は目隠しされて忠兵衛に会うわけです。この後梅川が目隠しを取っちゃうので、親子は抱き合って泣きますが、人里離れた田舎の一軒家で・誰も見てもいないのに、そんなわざとらしい・作為的なことをしなくても、最初から大っぴらに息子と抱き合って泣けば良いじゃないか、誰にも知れることじゃないと思うのは、現代人の考えです。縛りは自分のなかにあるのです。息子への愛を思えば思うほど、孫右衛門のなかで養い親に対する申し訳なさが募る。養い親に対して申し訳なく・息子のことを思い切ろうとすれば、息子への愛がまた募る。孫右衛門の身体のなかに義理と人情の論理が強く共存するから、このようなドラマになるのです。これが当時の大坂町人の倫理感覚でした。つまり世話物においては、義理と人情は背反しますが、必ずしも真向対立しているわけではない。どちらも彼の人間としての誠実さから発するもので、表裏一体で別ち難いものです。以上のことを踏まえて、「引窓」における与兵衛の義理とは何か、人情とは何かを考える必要があります。(この稿つづく)

(R2・10・1)


2)与兵衛の義理とは何か

世話物のドラマの面白さは、主人公の義理と人情の揺れ動きにあります。それでは「引窓」における与兵衛の義理とは何か、人情とは何なのか、そこを正しく見極めなければ「引窓」のドラマを読み間違えることになりますね。

与兵衛は郷代官(南方十次兵衛)に取り立てられたことが誇らしくて嬉しくて、それを女房にも母にも喜んでもらいたいと、心の底から思っている素直な孝行息子です。郷代官になりたての与兵衛に、お殿様から早速依頼が舞い込みます。それが濡髪捕縛の仕事であったのです。初めての任務で功を挙げようと張り切る与兵衛ですが、後で気が付くことですが、濡髪は継母お幸の実子であったのです。それで与兵衛は思い悩んだ末、任務を諦めて・濡髪を逃がしてやると云うわけです。以上の経緯で、与兵衛の義理とは何で・人情とは何でありましょうか。与兵衛は次のように言っています。

『「日のうちはあの方(平岡・三原両名)より詮議せん。夜に入ってはこの方(十次兵衛)より隅々まで詮議しなにとぞ搦め捕って渡せ、国の誉」とあっての(殿様から十次兵衛へ直々の)お頼み。イヤモ一生の外分。(濡髪を)召し捕って手柄の程をみせたらば、母人にもさぞお悦び』

濡髪捕縛の功を挙げれば、殿様は「国の誉」と喜んでくれる・母者人もよくやったと喜んでくれるはずだと言っています。「最初の任務で功を挙げてみんなに喜んでもらいたい」というのは、与兵衛の素直な気持ちでしょう。しかし、濡髪が継母お幸の実子であることに思い至った時から、この気持ちは「濡髪を捕縛せねばならない・これは郷代官としての職務である・これを疎かにすることは先代から受け継いだ十次兵衛としての本分を裏切ることである」という義理の論理となって与兵衛を強く縛り付けることになるのです。しかし、この義理の論理がどのような様相で与兵衛を縛るのかが、ここで問題になって来ます。

まずここで考えなければならぬことは、濡髪を逃がしたことを与兵衛一家が周囲に黙ってさえいれば、誰にも分かることではないということです。与兵衛が「夜中一生懸命探索しましたが、濡髪を見つけることが出来ませんでした」と報告すれば、殿様は「左様か、残念なことであった」とは仰せになるでしょうが、それで済んでしまう問題なのです。バレなければ与兵衛が責められることはありません。それでは与兵衛は何をそんなに悩み苦しむのかと云うと、下手人を逃すことは郷代官としての職分を裏切ることになるから・自分で自分が許せないということに尽きます。職務に全力を尽くすところに十次兵衛のアイデンティティが掛かっている、アイデンティティを裏切ることは自己否定だからです。義理の縛りは与兵衛の外から来るものではなく、縛りは与兵衛の心の内にあるのです。

それと、もうひとつ考えねばならぬことがあります。「黙ってさえいれば誰にも分かることではない」と先に書きましたが、そんなトンデモナイ理屈があるかと驚く方がいるかも知れませんけど、これは「引窓」ではまさしくそうで、実際与兵衛には隠している罪が別にあるからです。それは女房お早が言っている「殺し徳」のことです。三冊目「新町揚屋」で与兵衛が佐渡七を殺してしまい・その罪を権九郎になすりつけて・現在自分は知らぬふりをしているということです。(詳しくは別稿「与兵衛と長五郎・運の良いのと悪いのと」をご覧ください。)濡髪がボソッと呟いた通り「同じ人を殺しても、運の良いの(与兵衛)と悪いの(濡髪)と・・」という対称関係が、ここで現われます。与兵衛だけが、この対称関係の重い意味を痛切に感じ取っているに違いありません。

「殺し徳」の伏線は、「引窓」だけを見取りで見る分には、まったく利いていないように見えます。しかし、もしこの伏線がなければ、与兵衛は濡髪を「情けで逃してやる」というところで濡髪に対し上から目線になってしまいます。これでは与兵衛と濡髪とが、正しい対称関係になりません。とするならば「明くればすなはち放生会。生けるを放す所の法」という与兵衛の幕切れの台詞は、濡髪に対してだけ言われたものではないかも知れません。職分に対する義理の縛りが心の内に強くあるからこそ、与兵衛の決断は一層苦渋に満ちたものになるのかも知れませんねえ。(この稿つづく)

(R2・10・4)


3)放生会の慈悲の心

与兵衛の人情とは何かを考える前に、検討しておかねばならないことが、いくつかあります。例えば「放生会」(ほうじょうえ)のことです。放生会とは、仏教の五戒のひとつである・生き物を故意に殺してはならないという「殺生戒」(せっしょうかい)の思想に基づいて行われる宗教行事です。捕獲した魚や鳥獣を慈悲の心を以て再び野に放ち、殺生を戒めました。日本では神仏習合により神道にも古くから取り入れられ、もう1000年以上の長い歴史があるものです。昔は旧暦8月15日に行われたもので、京都府八幡市の石清水八幡宮の放生会がよく知られています。

「引窓」はこの石清水八幡宮の放生会を背景にしています。場所はまさに八幡の里、時も夜が明ければ明日は放生会のお祭りだと云う前日の・8月14日の夜に設定されています。今まさに捕縛されんとする濡髪を与兵衛が再び野に放つドラマが、放生会の思想と重ねられていることは、誰の目にも明らかです。ですから与兵衛の行為は、放生会の慈悲の心で以て行われるものです。「引窓」の幕切れを参照しておきます。

「女房どももう何時」 「されば夜中にもなりましょか」 「たわけ者めが。七つ半は最前聞いた。時刻が延びると役目が上がる。縄先知れぬ窓の引縄、三尺残して切るが古例。目分量にこれから」とすらりと抜いて縛り縄、ずっかり切ればぐゎら/\/\。さし込む月に「南無三宝夜が明けた。身どもが役は夜のうちばかり。明くればすなはち放生会。生けるを放す所の法。恩にきずとも勝手においきやれ」(「引窓」床本)

時刻は真夜中(九つ=午後12時)、これは14日目の月(明日の夜は中秋の名月ですから・ほとんど満月に近い)が最も高いところにある時刻です。それを与兵衛は「七つ半(午前5時)だと最前聞いた」と言い張ります。与兵衛の理屈では、現在はもうすぐ明け6つ(午前6時・つまり夜明け)になります。与兵衛は引窓の綱を切る、引窓がガラガラと開く、すると最も高いところに位置する・つまり最も明るい月の光が差し込んで室内がパッと明るくなる、「・・・南無三宝夜が明けた」。この瞬間、放生会の慈悲の心が、与兵衛の気持ちとぴったりと一致するのです。月の光の「明るさ」が、このことをはっきりと教えてくれます。実際には「引窓」の舞台の明るさは全然変わりませんが、江戸期の観客にはこの明るさが見えたはずです。舞台が一瞬明るくなったように感じたでしょう。芝居を心で見るならば、必ずそうなるはずです。

『世界がまだ若く、5世紀ほども前の頃には、人生の出来事は今よりももっとくっきりとした形を見せていた。悲しみと喜びの間の、幸と不幸の間のへだたりは、私達の場合よりも大きかったようだ。すべて、人の体験には、喜び悲しむ子供の心に今なおうかがえる、あの直接性・絶対性がまだ失われていなかった。(中略)夏と冬との対照は、私達の経験からはとても考えられないほど強烈だったが、光と闇、静けさと騒がしさとの対照も、またそうだったのである。現在、都市に住む人々は真の暗闇・真の静寂を知らない。ただひとつまたたく灯、遠い一瞬の叫び声がどんなものかを知らない。』(ヨハン・ホンジンガ:「中世の秋」)

電燈やLEDの明るさに慣れてしまった現代の我々は、もはや月の光の「明るさ」を感じ取ることが出来なくなってしまいました。しかし想像力さえあれば、江戸の昔の観客の気持ちに寄り添うことが出来るのです。芝居を心で見るならば、それが可能です。それが出来れば、濡髪を逃す与兵衛の行為が継母への義理なんぞで行なわれるものではなく、与兵衛の慈悲の心で行われることがはっきりと分かるはずです。

もうひとつ考えて欲しいのは、「慈悲の心」とは何かということですねえ。慈悲は英語であると、多分「mercy」と訳されるでしょう。憐れみ、憐憫、慈しみという意味合いですが、これを主体が上位にあって憐れみを下に垂れるような感じに受け取ると、仏教の慈悲とニュアンスが全然違ってしまいます。仏教の教えでは、一切の生命は平等である。他者の苦しみと同化し・自らもその苦しみを供にする時、他者に対する最も深い理解・慈悲の心が生じるとするのです。したがって与兵衛が濡髪の手を取り「さらばさらば」と言い合う時、濡髪だけが解き放たれているのではないのです。与兵衛もまた何かの苦しみから解き放たれたがっているのです。恐らくここで与兵衛の心のなかに、(先に全然伏線として利いていないようだと書いた)あの「殺し徳」がさりげなく、実にさりげなくリフレインされて来るに違いありません。(この稿つづく)

(R2・10・5)


4)与兵衛の人情とは何か

「引窓」終わり近く、お幸が濡髪の前髪を剃り落とし、与兵衛の投げた銀の包みでホクロも消された、サアこれで濡髪は逃げるのかと思いきや、濡髪はまたもや「自分は与兵衛に捕えられるべきだ」と話を蒸し返します。「さうのうてはこなた(母者人)、未来の十次兵衛(あの世にある先代十次兵衛・つまりお幸の亡き夫・与兵衛の父)に(義理が)立つまいがな」と諭されて、お幸はハッとして次のように言います。

「長五郎。よう云ふてくれたな。アいかさま思へば私は大きな義理知らず、まことを云はゞわが子を捨てゝも、継子に手柄さするが人間。畜生の皮被り、猫が子を銜へ歩くやうに、隠し逃げうとしたはなにごと。とても遁れぬ天の網一世の縁の縛り縄。」(「引窓」床本)

「罪を犯した実子(濡髪)をかばうのは、猫が子を咥え歩くように、盲目的な母親の情に負けた畜生がすることだ、義理をわきまえた真(まこと)の人間がすることでない。私は何と義理知らずの愚か者だったんだ」というわけです。まあ確かにそういう理屈もあるでしょう。しかし、ここでお幸がどういう気持ちでこの台詞を言っているのかを、よく考えてみて欲しいと思います。お幸は濡髪の言に理性では納得しています。しかし、そこは人間ですから、内心から湧き出る母親としての感情には抗し難い。だからお幸は上掲の台詞を言いながら必死で自分を得心させようとしています。「そうじゃないんだ、息子を逃がそうなんて愚かなことを考えてはいけないんだ」と思い込むことで、母親の情を打ち消そうとしているのです。それがここでのお幸の気持ちです。

ここで吉之助が問題提起したいのは、罪を犯した我が子をかばうのは盲目的な母親の情に負けた浅ましい畜生の行為であると、ホントにそのように丸本作者が考えているのか?ということです。結論から先に申し上げれば、そんなことは絶対にありません。時に道理を見失って取り乱すことがあったとしても、それも含めてこれが母親の真実の情愛の有様なのです。それは真に有難い美しいものであるとしているのです。このように丸本作者が考えている証拠を挙げておきます。例えば「千本桜」の源九郎狐がこう言います。

「ヤイ畜生よ野良狐と人間では仰れども。鳩の子は親鳥より枝を下がつて礼儀を述ぶ、烏は親の養ひを育み返すも皆孝行。鳥でさへその通り、まして人の詞に通じ人の情も知る狐、なんぼ愚痴無智の畜生でも、孝行といふ事を知らいでなんと致しませふ。」(「義経千本桜・川連法眼館」床本)

鳥でさえ親は子を慈しみ・子は親を敬う、これが肉親の情と云うものです。鳥でさえ、狐も知っていることです。ましてや人間ともあろう者が、母親の情を本能から出た・愚かな畜生の情だとこれを切り捨てて良いはずがありません。これこそ真の人間の美しい感情です。だからこそ源九郎狐の台詞を聞いて義経も静御前も涙するのでしょう。もうひとつ「忠臣蔵・九段目」の戸無瀬の台詞を挙げておきましょう。戸無瀬が小浪を斬ろうとした時、どこからか虚無僧の尺八が聞こえて来ます。曲名は「鶴の巣籠り」と云います。松の木に巣を作った鶴の夫婦はヒナをかえすために雄雌交代で卵を温めると云う。そのような仲睦まじい夫婦を愛でるのが「鶴の巣ごもり」です。

 「コレ小浪。アレあれを聞きや、表に虚無僧の尺八、鶴の巣籠り。鳥類でさへ子を思ふに、科もない子を手にかけるは、因果と因果の寄合ひ」(「仮名手本忠臣蔵・九段目」床本)

このように鳥類でさへ子のことを思うのに、我が子のことを思わない親があろうかと、戸無瀬は云うのです。「鶴の巣籠り」を奏でる虚無僧の正体は、本蔵でした。本蔵もこう言っています。

「義にならでは捨てぬ命。子故に捨つる親心。コレ/\推量あれ由良助殿」(「仮名手本忠臣蔵・九段目」床本)

「忠義のために命を捨てるべきこの本蔵が、恥ずかしながら娘のために命を捨てる、この親の気持ちを分かってくだされ、由良助殿」というのです。「双蝶々曲輪日記」は寛延2年(1749)、つまり「千本桜」の2年後・「忠臣蔵」の翌年に、同じ合作者(二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳)によって書かれたのです。「引窓」でも、まったく同じことです。濡髪手配の絵姿を売ってくれとお幸に云われた与兵衛は、或る事をハタと思い出してこう言います。

「母者人二十年以前に御実子を、大坂へ養子に遣はされたと聞いたが、なんとその御子息は今に堅固でござるかな。(中略)鳥の粟を拾ふやうに溜め置かれたその銀。仏へ上げる布施物を費しても、この絵姿がお買ひなされたいか」(「引窓」床本)

ここでの与兵衛の台詞は、歌舞伎では「母者人、あなた何故ものをお隠しなされまする、私はあなたの子でござりまするぞ」なんて入れ事がされるので、まるで与兵衛が老母を責め立てるように見えかねません。おかげでこの場面での与兵衛の気持ちを「実子のアイツがそれほど大事か・継子のオレを愛してないのか」と誤解する方が出て来ます。しかし、丸本を正しく読むならば、様相が全然異なることが分かるはずです。お幸にとって、人殺しの罪人であろうが長五郎は私の子、出世した継子の与兵衛も等しく私の子です。ふたりの息子に分け隔てはありません。(別稿「与兵衛と長五郎・運の良いのと悪いのと」をご覧ください。)

義理の申し訳なさでガチガチになっている継母の気持ちを解きほぐすように、与兵衛がお幸に優しく語り掛けるのが、上掲の台詞なのです。与兵衛は母親の愛とはこういうものかと深く感動しています。これは「継母さん(お幸)はこれまで継子のボク(与兵衛)を大事に育ててくれた。そんな優しいお母さんだもの、実子に対する気持ちはどれほどに深いものか、ボクには想像が付かなかった。自分は本当のお母さんを早くに失って・実の母の愛を知らずに育って来たが、子供を思う母の愛というものはこんなにも深いものなのだ。それなのに継母さんは継子のボクにも変わらぬ愛を注いでくれた。有難いことだ。実に有難いことだ」ということなのです。(この稿つづく)

(R2・10・6)


5)その思い切りの軽さ

以上の通り「引窓」での与兵衛の人情とは、濡髪を捕縛することで母お幸に悲しい思いをさせたくないということに尽きます。逆に濡髪を逃がせば、与兵衛は郷代官としての職務にもとることとなり・それは父から受け継いだ南方十次兵衛としてのアイデンティティを裏切ることになる。これが与兵衛の義理です。どちらも与兵衛の倫理感覚のなかから出ます。どちらを選択してもそれは人として正しい選択なのですが、互いに背反するものだから、容易に選択が出来ません。

それで与兵衛の感情は義理と人情の狭間を揺れ動くわけですが、この隘路を抜け出て・ひとつの選択を行なうためには、「エイヤッ」という思い切りが必要になります。この思い切りは重いこともあれば、軽いこともあります。時代物の場合は、主人公が命を投げ出して自ら決着を付けることが多い。世話物ではそれは軽い感触になることが多いのですが、思い切りが軽いから無責任だということにはなりません。これはむしろ逆でしょう。「この思い切りを軽い」と思い込むところに、与兵衛が感じている選択の重さを読むべきでしょう。「これは軽い選択なんだ、その程度のことだ」と思い込むことで、与兵衛はこの選択の重さから逃がれようとしているのです。そこに与兵衛の苦しみを見るべきです。

「女房どももう何時」 「されば夜中にもなりましょか」 「たわけ者めが。七つ半は最前聞いた。時刻が延びると役目が上がる。縄先知れぬ窓の引縄、三尺残して切るが古例。目分量にこれから」とすらりと抜いて縛り縄、ずっかり切ればぐゎら/\/\。さし込む月に「南無三宝夜が明けた。身どもが役は夜のうちばかり。明くればすなはち放生会。生けるを放す所の法。恩にきずとも勝手においきやれ」(「引窓」床本)

時刻が真夜中(九つ=午後12時)であるのを、与兵衛はもう明け6つ(午前6時)だと決め付けます。夜が明ければ自分の仕事は終了だ。これは与兵衛が嘘の理屈で無理やり言いくるめたのではありません。その証拠には、引窓から差し込む光で、室内が朝日が差したように明るいではありませんか。だから与兵衛は確かに真実を語っているのです。多分、お月さまも与兵衛の選択を祝福しています。これが放生会の慈悲の心だ、与兵衛はそう感じているはずです。

引窓のドアが開閉し、それにつれて室内が明るくなったり・暗くなったりします。ただし実際に舞台の光量は変わりませんから・そこは観客が汲み取らねばなりませんが、実はこれは「二極を揺れ動く」という感覚によって、「引窓」の与兵衛の心の「揺れ動き」を象徴するものです。ただし引窓の開閉は、最初のうちはただ与兵衛の感情をかき乱すだけの働きしかしません。最後の最後になって、引窓の開放が、与兵衛の感情と一致します。月の明るさを知る人だけが、「引窓」のドラマを理解することが出来ます。(この稿つづく)

(R2・10・8)


6)菊之助初役の与兵衛

菊之助の初役の与兵衛は、品行方正で素直な孝行息子と云う印象が強い。これは与兵衛の性根として間違っていないし、菊之助の仁(ニン)とも云うべきで・これを基に役を作り上げて行けばいいです。しかし、「濡髪長五郎と云う者、そなたよう見知ってか」とお幸から問われて「色里で・・」と正直に答えかけて「・・イヤ参ったなァ」と口ごもるような余計な思い入れはせぬことです。自分の女房だって色里から連れて戻って来てるのじゃないか。そこはサラッと行けばよろしい。

帰宅してからの与兵衛のお早・お幸とのやりとりは、歌舞伎では本文にかなり入れ事がされています。与兵衛の台詞に世話と時代を交錯させる工夫が施され、家族の和やかな雰囲気を描写すると共に、大坂時代に遊び慣れた与兵衛の粋でさばけた人柄を表わすところですが、ここでの世話と時代の切り替えは和事が上手くないと、熟練の役者でもなかなか難しいところがあります。世話と時代の切り替えには、演技の「しなり」が必要です。世話の演技をする時に時代への要求が強くなり、時代の演技をする時には世話への要求が強くなるのです。ここでの世話と時代の切り替えは、チャンネルを切り替えるようにカチャカチャと行くわけではない。大蔵卿の正気と阿呆の切り替えとは違います。菊之助にはこの芸の「しなり」がまだ足りません。本稿冒頭で「頭脳プレイだけでは追っつかない」と書いたのは、そこのところです。

したがってここを世話と時代の振幅をあまり付けずサラッと行く菊之助のやり方も、始めのうちはそう悪くないように感じますが、ここまでで世話と時代の交錯のリズムが付かないから、与兵衛の一番の聞かせ所とされている「両腰差せば十次兵衛」を時代に重く・「丸腰なれば今までのとほりの与兵衛」で急に世話に砕ける箇所が、わざとらしく・臭い演技に感じられて、この場面だけが浮いて見えます。歌舞伎の入れ事もやはりそれなりの意図があって段取り付けているのだと云う当たり前のことが、菊之助の与兵衛を見ると良く分かります。「河内ヘ越ゆる抜道は、狐川を左に取り、右へ渡って山越えに」の台詞も、時代に張り過ぎて大仰な感じがします。これは時代というよりも「実(じつ)」の台詞だと思いますねえ。まあ今後に向けてそういう課題はあるにもせよ、菊之助の真摯な与兵衛は「引窓」後半で生きて来るようです。

吉右衛門の濡髪は期待しましたが、柔い印象で意外と生彩がありません。どうやら母親の情・与兵衛の情の板挟みとなって苦しむ濡髪という解釈のようで、それで人物が小さくなっています。しかし、濡髪という役には、関取らしいどっしりした重さと強さが欲しいのです。濡髪は実母に会った後に自首して縄に掛かるという覚悟が当初からあるわけで、「捕縛」の覚悟については一貫して揺るぐところがありません。揺るがぬ覚悟のうえで世間的な義理の論理を一貫して主張するのが、濡髪なのです。

雀右衛門のお早・東蔵のお幸は一応の出来ですが、前半で「欠碗で一杯ぎり。ついたべて帰りましょ」と濡髪が云って二階にあがる時、二人は濡髪の言に何か不吉なものを感じ取るという思い入れが欲しい。この伏線が効かないから、二人が後で与兵衛と二人侍との会話を盗み聞きすることの段取りが付きません。まあ確かに歌舞伎の「引窓」は入れ事が多くて具合が良くないところが確かにあるのだが、お月さまに急に厚い雲がかかるように、幸せに見えた家族に急に不安の影が差し始める瞬間、ここが「引窓」のドラマの序の要(かなめ)であると心得て欲しいですね。

(R2・10・10)

*別稿「引窓と与兵衛の浄められた夜」で、与兵衛の義理と人情について補足しています。

*別稿「引窓の様式〜二代目鴈治郎の南与兵衛」、「与兵衛と長五郎・運の良いのと悪いのと〜引窓の人物関係」を併せてお読みください。


 


  (TOP)     (戻る)