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二代目白鸚襲名の「勧進帳」

平成30年4月御園座:「勧進帳」

二代目松本白鸚(九代目松本幸四郎改め)(弁慶)、十代目松本幸四郎(七代目市川染五郎改め)(富樫)、四代目中村鴈治郎(義経)

(二代目松本白鸚・十代目松本幸四郎襲名披露狂言)


1)二代目白鸚の弁慶

平成30年4月御園座は、新しく出来た劇場の葺落興行であり、また高麗屋襲名興行(二代目白鸚・十代目幸四郎)でもあり目出度いことです。特に今回の「勧進帳」は75歳8か月になる 二代目白鸚の久し振りの弁慶ということで、吉之助も名古屋へ見に行って来ました。生涯に弁慶を1,600回以上演じて弁慶役者と云われた祖父・七代目幸四郎が最後に弁慶を演じたのは昭和21年6月東京劇場でのことで、この時の七代目幸四郎は76歳1か月でした。今回の二代目白鸚の弁慶はそれに次ぐ高齢記録になると思いますが、その二代目白鸚の弁慶も1,100回を超えています。

   

だから自然とそうなってしまうわけですが、吉之助が見た「勧進帳」の弁慶も一番数多く見たのは白鸚ということです。白鸚にとって「勧進帳」の弁慶は三本指に入る最重要の役でしょうし、弁慶の変遷を辿るだけで白鸚の芸の道程を語ることが出来そうです。吉之助が見るところでは、ここ数年の白鸚は身体から余計な力が抜けて演技が自然になって来ました。芸がいい感じに枯れて来た感じです。しかし、弁慶や熊谷直実ではなお最善の芸を求めて格闘するところが見えて、やはりこの二役に関しては二代目白鸚にとって・と云うよりも高麗屋の家にとって特別に重い役なのだなあということを痛感させられます。今回の約2年半ぶりの白鸚の弁慶についても、是非そこのところを見届けたいと思いました。

そこで今回(平成30年4月御園座)の白鸚の弁慶ですが、原点に立ち返った端正な弁慶という印象を受けました。ここ数年の白鸚の弁慶は、余計な力が抜けた分流麗 さが強くなり謡掛かりの方に傾斜した印象がありました。勧進帳読み上げ、山伏問答が滑らかに過ぎて、お能みたいに弁慶の声があの世から聴こえて来る感覚がしたものです。今回の弁慶を見るとそう云う気配が消えて、音楽劇から芝居(台詞劇)の方へ回帰した感じです。これはとても良いことです。「勧進帳」が能への上昇志向を孕んでいるのは確かなことですが、劇の根幹にある古(いにしえ)の心、つまり荒事の骨太い弁慶のイメージをやはり大事にしてもらいたいのです。やっぱり弁慶は元禄以来変わらぬ歌舞伎のヒーローなのです。勧進帳読み上げ、山伏問答にしっかり足取りを踏んだ元禄歌舞伎の台詞劇の感覚が戻って来たことは、とても嬉しいことでした。或いは十代目幸四郎を襲名した息子の前で気持ちを新たにしたことが良い結果になったのでしょうか。吉之助にとってもここ数年の白鸚の弁慶のなかで最も納得が行くものであったと思います。延年の舞も動きに無駄がなく、端正で自然な風格が立ち現れて良かったと思います。富樫に「勧進帳聴聞の上からは疑いのあるべからず」 と言われてサッと踵を返して帰ろうとするとか、義経を打擲する時に「ご主人さま、申し訳ございません」と云う風をあからさまに見せるとか、直して欲しいところもありますけれど、吉之助も長年見ていますから、そこは白鸚の弁慶ではああ云うものであるという境地にまで至っております。

ところで幕切れの飛び六法では、観客の弁慶への盛大な手拍子に座席からひっくり返りそうになりました。テレビ映像ではこういう場面を何度か見ましたが、吉之助が実際に目の当たりにしたのは、今回が初めてです。芝居に入れ込んで弁慶を拍手で応援したい気持ちはまあ理解できないわけではないし、確かに歌舞伎は観客参加を拒否しない芸能であるかも知れませんが、あの下座音楽を四拍子で手拍子されると調子が狂って弁慶がつんのめるのじゃないかと心配になりました。さすが白鸚は無事に引っ込みましたが、四拍子の手拍子で六法を踏むのはさぞかしやり難かろう。もしあそこでどうしても手拍子しろと言うのなら、吉之助ならば百歩譲って表アタリ・裏アタリに取って二拍子に打つと思います(それが伝統的な邦楽のリズム感覚なのです)。二拍子にならないで、観客が自然と四拍子で受け取っちゃうということは、師匠・武智鉄二がこの光景を見たら腰を抜かして、戦後日本の被植民地的音楽教育ここに極まれりと嘆くであろうなあ。このような日本人の身体感覚の微妙な変化は、長い目で見て伝統芸能の感覚に大きな影響を及ぼすことは間違いありません。いやもう影響はどこかに出ているのかも知れません。黙阿弥のダラダラ調も案外こんなところから来ているのかも知れませんねえ。(この稿つづく)

(H30・4・25)


2)十代目幸四郎の富樫

と云うわけで白鸚の弁慶は良かったですが、逆に幸四郎の富樫の方に問題が多いようです。どうしてこうなっちゃったのか、以前はこんな感じでなかったと思うのですが、今回は謡掛かりに強く傾斜した印象です。冒頭の名乗りから台詞が伸びて、はるか冥界から聞こえて来るが如し。これではまったく台詞劇の態をなしません。「富樫のサエ〜モンにて候」と、エの音をこんなに長く転がす富樫は初めて聞きました。サエ〜モンって誰のことだ?山伏問答も台詞が伸びて良くありませんねえ。最初の一問目と二問目で弁慶の答えを聞いて納得したように「ウン」というのも、よろしくない。富樫は、実務者なのです。山伏問答は本来富樫の方から押して行くべきものものだと思いますが、完全に弁慶ペースの問答になってしまいました。弁慶が義経を打擲するのを止める「早まり給うな」の台詞は、悲鳴のように聞こえました。まあ確かにあの台詞は或る意味、富樫の悲鳴なのかも知れません。しかし、聞いてみるとどうも心情表出が生(なま)に過ぎる気がします。ここはもう少し抑えるべきでしょう。

ところで幸四郎は弁慶をこれまで二度勤めて「この箇所は富樫にはこう攻めて欲しい・こう受けてほしい」と感じるところがあったと思います。そう云う自分のイメージを素直に出せば、それで良いのではないでしょうか。弁慶を二度勤めたら勤めただけのものを富樫でも出して欲しいと思います。これが幸四郎の感じている(弁慶から見た)富樫のイメージなのでしょうか。弁慶と富樫はドラマ的には対立していると見えますが、音楽的に考えれば同じ義経の主題を協奏しているのです。弁慶と富樫をまったく別物に考えてはいけません。何だか変なところに凝っただけに思われます。まあこれほどの重い演目、完成ということは決してないのですから、これからも試行錯誤を続けて欲しいと思います。

ところで歌舞伎の義経はいわば現人神で、近年は優美なイメージが強過ぎて実体感が希薄になり、笈を背負う体力があるかさえ心配になりそうです。もちろんそう 云う義経も良いですが、今回の鴈治郎の太目でがっちり体型の義経は、最初登場した時はどんなものかと思いましたが、これが存外に良くて、とても興味深く見ました。鴈治郎の義経はしっかり人間の義経です。確かに昔は戦場で奮戦したことのある男・義経でした。「判官御手を」の場面においては、弁慶への強い信頼と感謝に裏打ちされた義経の心情が実感で伝わって来るようでした。「勧進帳」のこの場面は、あまり弁慶の忠義にばかり凝られると鼻白むことがありますが、今回気持ち良く見ることが出来たのは、鴈治郎の功績も大きいと思います。

(H30・4・28)



 

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