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慶喜の心情〜真山青果の歴史認識

平成29年1月歌舞伎座:「将軍江戸を去る」

七代目市川染五郎(十代目松本幸四郎)(徳川慶喜)、 六代目片岡愛之助(山岡鉄太郎)他


1)真山青果の歴史認識

今月(1月)歌舞伎座のチラシを見てホウと思ったのですが、平成29年というのは大政奉還百五十年なんだってねえ。大政奉還とは、慶応3年10月14日(1867年11月9日)に将軍徳川慶喜が政権返上を明治天皇に奏上し、翌15日に天皇が奏上を勅許した政治的事件を言います。慶喜の江戸城明け渡しは翌年・慶応4年4月11日(1868年5月3日)のことだから、正確に云えば「将軍江戸を去る」のドラマは百四十九年前のことになりますが、まあ堅いこと言わないでおきましょう。大政奉還に関する一連の事件ということですね。それにしても明治維新前後のことを調べてみると、政治のことだからドロドロした権謀術数が渦巻くわけですが、この時、日本は随分と危ういところにあったのです。江戸城無血開城が成って、いくつか戦闘が起こったにしても、日本が 内戦状態に至らずに済んだのは、徳川慶喜が謹慎に謹慎を重ねたからだということは、もっと積極的な歴史評価をせねばならぬというところだと思います。もし日本が大混乱に陥っていれば、列強に付け込まれて、日本の自主独立はならなかったかも知れません。今日の日本が無事にあるのは、ホント徳川慶喜さんの我慢のおかげなのです。

ところで今月歌舞伎座のチラシ裏にある「将軍江戸を去る」の粗筋ですがねえ、「慶喜は幕臣の主戦論者の意見に心が揺らぎ、そのことを知った山岡が慶喜を諌めに来て、恭順を翻意すれば戦さが起こり、罪もない民衆が血を流すことになると山岡が必死に説得したおかげで、慶喜はようやく自らの誤った決断に思い至った」云々(大意)とあるけれども、これではまったく違います。慶喜さんのために言っておきたいですが、真山青果は「将軍江戸を去る」でそんなことは書いてはおりません。慶喜さんはそんな愚かな人間ではありません。そこで「将軍江戸を去る」を正しく理解するために、青果の歴史認識を検証しておきたいと思います。

まず水戸家は徳川御三家のなかにあって、特別な役割を課せられた家であったということがあります。もともと徳川光圀の「大日本史」編纂以来、水戸家は尊王思想が強い家でしたが・それだけではなく、徳川幕府が朝廷と対立し・決定的な破局に至った時は、水戸家は朝廷の側に付くべし・それによって徳川家の存続を守り抜くべしという密命が課せられていたのです。このことは「将軍江戸を去る」のなかでも慶喜の台詞のなかに出て来ることです。したがって、慶喜はどんなことがあっても、朝廷に対して恭順に恭順を重ねるという態度を示す覚悟は出来ているのです。この危急の時のために自分はあるのだとさえ、慶喜は思っていたと思います。戦争をするならば、江戸の町が灰塵と化すということは、もちろん慶喜は分かっています。薩長の背後には英国の武器商人がおり、彼らが戦争をけしかけています。幕府の背後にも仏国の武器商人がいます。したがって 錦の御旗をおっ立てて増長する薩長の挑発に慶喜が乗ってしまえば、日本は内戦状態となり、日本は列強の餌食になってしまう。それは日本の植民地化を狙っている列強の思う壺であることは、慶喜にはよく分かってい ます。

しかし、それでも慶喜が憤懣を感じざるを得ないのは、朝廷がと云うよりも・朝廷の御旗を笠に着た薩長の連中が慶喜の恭順をまったく歯牙にかけず、徳川家を破滅させようと挑発的な態度に出たことです。強い尊王思想を持っている慶喜は、朝敵呼ばわりされることが耐えられません。俺はこれほど朝廷に対し恭順を示しているではないか、その俺を朝敵と呼ばわりし、これでも徳川家を潰そうというのかということです。これは尊王をアイデンティティとしている慶喜の存在否定であって、これに慶喜は耐えられない。そのことを思えば慶喜は屈辱に震えてしまって、恭順の決意さえ揺らいでしまいそうになるのです。慶喜は開戦へ傾いているのではありません。それは慶喜の周囲の主戦論者たちが期待半分で言っていることで、慶喜はそんなことは考えていない。慶喜は恭順の決意が揺らぎそうで、それに必死で耐えている状態です。だから動けないのです。しかし、薩長が戦争をしたがっています。彼らは慶喜が怒り出すのを手ぐすね引いて待っているのです。山岡と対面する前の、慶喜はこのような状況に置かれています。

ですから、戦さになれば江戸の町は火の海となり罪もない民衆が血を流すことになるという論理だけでは、慶喜を説得することは決して出来ないのです。そんなことは慶喜には分かりきっています。それでも恭順の決意が揺らいでしまいそうになるから、慶喜は苦しんでいるのです。「戦争ほど残酷なものはありません」と山岡が言うと、必ず客席からは拍手が起きますねえ。確かにこの台詞に否ということは誰にも言えません。しかし、これに対しては「それでも止むに止まれぬものがある、我慢するにも限界がある、我々の誇りはどこへ行った」という論理があり得るのです。それで戦争になったことは、歴史には数限りなくあることです。だから「戦争ほど残酷なものはありません」の論理だけでは、慶喜を説得することは出来ません。「戦争ほど残酷なものはありません」というのを、青果が山岡の決め台詞にしているように聞こえるのは、この台詞の前までで山岡が慶喜に言いたいことを言い切ってしまっているからなので、つまりその台詞の前こそ大事なのです。

山岡の気持ちはこういうことです。「我慢なされ、ひたすら我慢なされ、我慢できない気持ちはよく分かるけれども、それでも我慢なされ、我慢できなければ、あなたはあなたではなくなってしまう、だから我慢なされ」ということです。このことを山岡は、山岡なりの言い方で(と云うよりも実は青果なりにと云うべきですが)、幽霊勤王だの・勤王と尊王の違いなど挑発的なことを交えながら言っています。理屈で攻め立てているように聞こえますけれども、実は山岡は慶喜の心情に訴えているのです。山岡には、それしか手だてはないのです。だから正確に言うならば、慶喜は山岡に説得されて開戦の考えを思い改めたということでは全然なくて、山岡のおかげで慶喜は改めて自分の役割を確認して、恭順に徹することを再び決意したということです。だから千住大橋前で江戸を立つ慶喜に対面して山岡が泣き出すのは、「よく我慢なされた、ホントに常人ならば我慢できないことを、あなたは我慢してくださった」というところで感激して泣いているのです。「将軍江戸を去る」が描いているのは、そういうドラマです。

ここで青果の「将軍江戸を去る」の成立年代を確認しておきたいのですが、本作は昭和9年(1934)1月東京劇場での初演。徳川慶喜を演じたのが二代目左団次で、山岡鉄太郎を演じたのが左団次劇団の副将格であった二代目猿之助(初代猿翁)でした。ちなみに昭和8年が満州事変、昭和11年が二・二六事件です。そういう時代に書かれた芝居なのです。これは幕末を描いたお芝居ですというところに託(かこつ)けていますが、あの時代によくこんな芝居が書けたものだと思います。あの時代になぜ日本は長 く苦しい戦争に突入せねばならなかったのか、いろんな議論が出来ると思います。多分、それでも止むに止まれぬ事情があったという結論にもなるかと思います。このような難しい時代に青果は、この「将軍江戸を去る」を書いたのです。青果が時代に向けて放ったメッセージは、「我慢なされ、ひたすら我慢なされ、我慢できない気持ちはよく分かるけれども、それでも我慢なされ、我慢できなければ、あなたはあなたではなくなってしまう、だから我慢なされ」ということです。戦争を回避するには、それしかないということです。再び、現代においては国と国、人と人が、互いにエゴを主張し合い、いがみ合い、憎しみを増幅させる雰囲気が次第に生まれつつあるようです。こういう時代には、このことを再び思い返さねばなりませんね。これが青果の歴史認識なのです。(この稿つづく)

(H29・1・29)


2)慶喜の心情のリズム

朝廷にこれほど恭順を示しているにも関わらず朝敵呼ばわりされることの屈辱、慶喜が怒り出すのを待つかのように挑発を繰り返す薩長、第二場・上野大慈院の場での慶喜は、そのような厳しい状況下で、慶喜はどちらへも動きようがなくワナワナと震えることしか出来ないのです。吉之助は二代目左団次の歌舞伎の様式は、タンタンタンと機関銃のように繰り出す2拍子であると考えています。(別稿「左団次劇の様式」をご参照ください。)二拍子は、自然な台詞のリズムではありません。自然な台詞なら、ごくわずかなリズムの揺れが生じるものです。それで写実の台詞になるのです。一方、二拍子の台詞は、生き生きとし た自然な人間の感情を、機械的で不自然なリズムのなかに押し込めようとするものです。例えば、がんじがらめに縛られれて動こうにも動けない苛立った気分、或は言い難いことだけれども・ここは言わなきゃ自分の気持ちが収まらないという切迫した気分、そのような気分が、二拍子のリズムで表現されるものです。前者が慶喜の気分、後者が山岡の気分であることは、言うまでもありません。これが新歌舞伎の二拍子のリズムなのです。

今回(平成29年1月歌舞伎座)の「将軍江戸を去る」の舞台での染五郎の慶喜ですが、これは前回所演(平成25年5月明治座) と比べて、遥かに良い出来に仕上がっています。前回は自分の感情に酔ったように台詞を詠嘆調に歌う慶喜でした。今回の染五郎の慶喜の台詞では、二拍子の基調のリズムがしっかり意識されています。例えば「将軍とて裸にならずにいられぬことがあるのだ」という台詞を「イラ/レヌ/コトガ/アー/ルー/ノー/ダー/」と、末尾を伸ばしていますが、二拍子の感覚をそこに確かに残しています。これならば正しい新歌舞伎様式です。染五郎の慶喜の台詞回しでは、湧き上がる感情の揺れを必死で抑え込んもうとしていることがよく分かります。そこに慶喜の苛立ち、憤懣が現れています。しかし、慶喜は開戦の方に心が動いているわけではありません。水戸家に代々伝えられた密令があるのですから、朝廷との対決は決して許されないことは、慶喜本人が一番良く分かっていることです。それでも慶喜にとって朝敵だと侮辱を受けることは耐えられないのです。これは水戸家と自分のアイデンティティに係わる問題だからです。だから慶喜はなかなか動けません。このような慶喜の厳しい状況を染五郎は、フォルムにおいて正しく表現できています。もしかしたらこれを陰鬱な慶喜だという風にネガティヴに受け取る方がいるかも知れませんが、新歌舞伎のフォルムから見て、この染五郎の慶喜こそ正しいのです。唯一、第3場・千住の大橋の場で「世界の日本は今、新しく誕生しているのだ」の台詞を長〜く引っ張ってますが、ここで引っ張りたい気持ちは分からぬでもないですが、こうやると気持ち良いのですかねえ。しかし、最後の「江戸の地よ、江戸の人よ、さらば」の台詞は詠嘆調に陥らずに、きっちり二拍子に締めて良かったので、この点だけは惜しかったですね。

今回の舞台の成功は、愛之助の山岡の好演にも負うところが大きいことを付け加えておかねばなりません。まず染五郎の高調子に対して、低めに取った愛之助の台詞の調子がとてもバランスが良くて聴きやすい。それと愛之助の台詞も、基調の二拍子がしっかり意識されています。命を懸けて慶喜の懐に飛び込み、慶喜の心情に訴える、山岡の覚悟がよく伝わってきました。おかげで上野大慈院の場の、ふたりの問答はとても聴きごたえのするものになりました。染五郎と愛之助のコンビは、相性が良いようですね。昨今の真山青果物は、台詞が間延びするか・怒鳴り散らすか、どちらかの舞台が多くてゲンナリさせられますが、この舞台ならば将来に希望が持てるなあとちょっと安心しました。

(H29・2・2)

田辺明雄:「真山青果―大いなる魂 (作家論叢書)(沖積舎)

追記:別稿「西郷と慶喜〜指導者の揺れる内面 」もご参照ください。


 


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